散策note《 誉田八幡宮 》応神天皇陵/大阪府羽曳野市
5月14日、大阪府羽曳野市にある
誉田八幡宮〔こんだ はちまんぐう〕を訪ねる。
この日は近鉄古市駅から白鳥神社をお参りして、白鳥神社の東の道を北上、近鉄の踏切を越え道なりに進むと、10分しないうちに誉田八幡宮の南大門の前に到着。

誉田八幡宮のすぐ北側には誉田御廟山古墳、つまり応神天皇陵がある。誉田八幡宮はこの応神天皇を祀る神社として創始された。
八幡=応神天皇となっておりますが、ここは八幡神を祀るより応神天皇を祀るというニュアンスが強いと思われる。
そこらへんは他の八幡宮とはちょいと違うぜ、というところでしょうか。

かつてあった神宮寺の遺構

ご祭神は、誉田八幡宮のWebサイトでは
◯ 応神天皇
◯ 仲哀天皇
◯ 神功皇后
の三柱を中心に、住吉大神と一座神秘の五座と記している。
応神天皇は、誉田別尊〔ほんだわけのみこと〕とも称される。
「誉田」の読みは応神天皇は「ほんだ/ほむた」、八幡宮は「こんだ」、羽曳野市の地名も「こんだ」。「こんだ」は「ほんだ」の転訛らしい。
ご祭神で気になったのは「一座神秘」。
江戸時代発行の『河内名所図会』には「一座神秘」と明記しているが、明治大正期の神社紹介書籍などには「八后神」としている。
噂では応神天皇の八人の后を合祀したものではないかと。
それよりも神秘なものがあったほうが素敵だなと思う。そう言いながらも推察すると、この神は、もしかすると石清水や宇佐など他の八幡宮では主要三神に入っている「比売神」ではないかしら。


欽明天皇の時代の559年に、応神天皇陵の側に八幡大菩薩を勧請したと縁起には記されているようです。
さすがに仏教伝来して間もない欽明天皇の時代に、「八幡大菩薩」はないだろうと思いますが、早くから応神天皇を祀る神廟が建てられた可能性はある。
やがては武士、とくに源氏の台頭により八幡信仰が盛んになり、八幡神の主祭神である応神天皇の御陵にある誉田八幡宮の信仰も高まっていったのでしょう。
誉田八幡宮の境内から応神天皇陵をのぞめますが、展望がきかないので、天皇陵を参拝している感じはうすい。
誉田八幡宮は応神天皇陵の南に位置しますが、北側へまわると拝所があるので、そちらへ行ったほうが天皇陵参拝の感じは出ると思われます。
ホントはそちらへも廻りたかったのですが、今回は行きませんでした。


まるで、山。

この先に応神天皇陵
ひとつ誉田八幡宮の境内にある当宗神社〔まさむね じんじゃ〕をご案内。
いまは小さな境内社ですが、かつては誉田八幡宮から東へ100mくらいのところに鎮座されていた由緒ある式内社。
現在のご祭神は素戔嗚尊ですが、もとは違う。
当初は中部朝鮮の楽浪郡から渡来した「当宗忌寸〔まさむねのいみき〕」の祖神である山陽公を祀っていたという。

今回、はじめて河内地方を訪れるにあたり、ちょっと調べて分かったのですが、多くの渡来人が河内に定住していた。おそらく応神天皇のころ、河内王朝のころでしょうか。
ゆえに渡来人ゆかりの神社仏閣も少なくないことを知りました。縁起をひもといてみると、実は渡来人の、そうゆうところを巡拝してみたかったのですが、今回は割愛。



それから河内といえば「ようきたのぉ、われぇ」とちょっとガラの悪そうな河内弁で挨拶されて、非力な東京もんはビクビクしながら街歩きをしなければならないのかと覚悟してきたのですが、まったくそんなことはございませんでした。
いくつかの神社ではいろいろお話もさせていただき、とてもよきところだと思います。また大阪市内からのアクセスも良いので、折見てまた来たいと思う。

