ショートショート|壁の向こうの隣人|拝啓文芸部
壁の向こうの隣人へ
手紙の冒頭にそう書かれた筆跡には
身に覚えがあった。
壁の向こうの隣人へ
つまらなそうな声。
視線を合わさない。
先に寝ている。
私に関心がない。
私の昨日の服を覚えてますか?
短く明るい色にした髪であなたの前で食事をしていたの。貴方が好きだと言ってくれていた長髪じゃないのよ。私を見てくれてますか?
明日の夜はどうしますか?記念日の話をしたら慌てて近場のケーキ屋を探しましたよね?
こんな風に手紙を書いても
多分、貴方は私の隣の部屋にいても、
ドアの隙間の手紙にも気づかないんでしょうね。
今から一ヶ月の間に同封した書類にサインをしてください。気づいてくれたら、その時は考えます。
私は貴方の壁の向こうに住んでいるみたいです。
一番近い隣人です。
壁の隙間が出来るのを待っていましたが、
いつのまにか壁を積み上げてきたのは、
貴方でしょうか、それとも私?
ー壁の向こうの隣人より
私は壁際で寝息を立てている、艶やかな黒髪の妻の顔を見ながら、隣の部屋の住人の顔を思い浮かべていた。
薄い壁が壊れていく音がした。
◆
マンションの壁の向こうの手紙の送り主の顔を思い出していた。
玄関先の手紙を私は何日も見過ごしてきた。
いえ、知らないふりをしていた。
やっと手紙を読んでいるらしい。
私は唇を噛んでいた。
ベッドの横で、手紙を握りしめた壁の向こうの夫、
いいえ、私に一番近い隣人の手は震えていた。
私を隔てた二人の隣人は近くも、遠くもあった。
