母の日を作った女が、母の日を廃止しようとした
Ficta Labの中の人が、編集の合間に書き綴った世界のあれこれ。今回は、母の日の起源と、それを作った本人が後に「廃止したい」と言い出した話。
母の日は5月の第2日曜日、というのが日本での常識になっている。でもこれ、アメリカ発のルールで、世界中が同じ日に祝っているわけではない。
イギリスには「マザリング・サンデー」という別の母の日がある。毎年3月の第4日曜日、つまり今年2026年なら3月15日がそれにあたる。起源はカトリックの暦で、四旬節(レント)の中間日曜日に「母なる教会」へ参拝する習慣があった。16世紀ごろから続く話で、奉公に出ていた使用人たちがこの日だけ家族のもとへ帰ることを許されたとも記録されている。お土産は伝統菓子のシムネルケーキ。
タイでは8月12日が母の日だ。故シリキット王妃の誕生日で、国民はジャスミンの花を母親へ贈る。学校での式典、寺でのお参り、夜の花火まで行われる国家規模のお祝いで、もう完全に一体化している。
5月の第2日曜日という形式はアメリカから広まったもので、その起源には一人の女性がいる。
アンナ・ジャービス。1864年ウェストバージニア州生まれ。彼女の母アン・リーヴス・ジャービスは南北戦争中に傷病兵の支援活動をしていた人で、生前から「すべての母親を称える日があれば」と繰り返し語っていたらしい。
母が亡くなったのが1905年。アンナはその遺志を形にするべく動き出した。1908年5月10日、ウェストバージニア州グラフトンのアンドリュース・メソジスト教会で最初の母の日の礼拝が行われた。白いカーネーションが500本届けられ、参列者に配られた。カーネーションは母の好きな花だった。
そこから運動は広がり、1914年にウッドロー・ウィルソン大統領が5月の第2日曜日を「母の日」として国民の祝日に定めた。
で、ここから話がおかしくなっていく。
アンナにとって母の日は「個人が自分の母親に感謝を伝える日」だった。それが市販のカードや花束を贈り合う商業イベントに変わっていくのを、彼女は許せなかった。
1925年、フィラデルフィアで開かれた「アメリカ戦争母親の会」の集会に乗り込み、カーネーションを販売する会場で抗議して逮捕された。1943年には母の日の廃止を求める署名活動を始めた。自分で作った祝日を自分で潰そうとした。
訴訟費用に財産を使い果たし、最後は施設で一人暮らした。1948年に84歳で亡くなったとき、彼女の入院費は皮肉にも花卉業者と挨拶状業界が支払っていた、という記録がある。その事実を彼女が知っていたかどうかは、わからない。
「自分が作ったものが、自分の意図と全然違う方向に育っていく」という経験は、何もアンナに限った話じゃないかもしれない。でも彼女の場合は、それに対して死ぬまで戦い続けた。
母の日にカードを送る側は、そんな話を知らなくていい。ただ、知った上で送るのもわるくない気がする。
ここまで読んでくれて、ありがとう。
また次の余白で。── Ficta Lab
