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本を焼く

もう読まない本は感謝を込めて古本屋に持っていく…
私にとってはごく普通のことだったので、というより本の手放し方はそれだけだと思っていたので、その人の言葉にはハッとして、ギョッとして、ひどく狼狽した。
「そ、そんな考え方もあるんだ…」
もう二十年くらい前のことだけれど、忘れることができない。
本屋さんに行く度、本を手に取る度、そして文章を書く度…頻繁に思い出す。

その人形作家は読書家だった。
「俺は言葉を使う仕事じゃないから、言葉を知らないと…」
と言い、暗に
「あなたはライターだから、非言語のコミュニケーションこそ勉強するべきですよ?」
と突き付けてくるような、独特の厳しさと底知れない探求心を感じさせるひと。創る作品は常に暗くてグロテスク、しかしその核には子どもの"純真"がのびのびと遊びまわっているので、見ている人は不思議と楽しい気持ちになる。創作が面白くて仕方ない、作家も作品もそんなオーラを纏っていて、私は彼の人形はもちろん、制作の過程を見ているだけでもワクワクした。
私達はたまに会うと美術について、映画について、そして最近読んだ本についてよく話し合った。

ある時、彼は私が持っていた本を指さして言った。
「良いタイトルだね。読まないなら貸して」
「どうぞ」
「すぐ返すから」

それから一週間、二週間…
仕事の関係で定期的に会うけれど、本は帰ってこない。
彼がそれについて話すこともない。
もしかしたら制作に夢中で借りた本のことなど忘れているのかもしれない。それならそれで仕方ないか。今は良い作品を作ってもらわないといけないし、仕事が終わった時にを声をかけよう。

ある夜、人形のお披露目も目前…という時に彼から電話が来た。
当時も既にメールは普及していたけれど、長い話は電話の方が早い。
主な話題はあるスタッフへのクレーム。その人がいることで制作にひどい支障があるそうで、私がどうこうできる立場ではなかったけれど、話すことで状況を整理できるならとしばらく耳を傾ける。
「…すみませんね、悪口ばっかり言って」
「いえいえ、私は聞く以外は出来ませんから」
「結論的には、周りはどうあれ自分がやるべきことをやるしかない、と」
「大変でしょうけど」
「分かってはいるんだけどね…。
ところで…あの…お借りした本だけど」
あ、覚えていたんだ!
私が、今はお忙しいでしょうしいつでも…と言いかけたところで、
「あれ、捨ててもいいですか?」
「は?」
「いや、あの…すみません。正直に言うと…この前、庭で廃材を燃やした時に一緒に焼きました。燃やしたことは後悔してないけど、後からあなたを思い出して…」

題名に魅かれ、家に帰ってすぐに読んでみた。しかしタイトルに引き比べ、内容はひどい。ただ言葉を操るのが上手いだけの人間が書いた薄っぺらな美談で、文章から書き手の地声が聴こえてこない。
「肚からの声が出てない人間、いるでしょ。ペラペラペラペラもっともらしいことは言うけれど、自分の本音に気づいていない。無駄に頭が良くて、上手く立ち回っているだけ。そういう人の文章でした。語彙力はあるけれど、キレイなだけ。人形でもね、芯がないのはダメなんですよ。見えない芯が大事なんです」
彼は本に怒っている、激怒している。でも不思議とネバネバ、ドロドロしたものは伝わってこない。
「考えた末、こういうものは世に出回らない方がいい。読めば時間の無駄だし、書棚に並んでるだけでも迷惑になる。
だから燃やしました。燃やしたことに後悔はない。
ただ…考えてみたらあれはあなたのものです」
考えなくてもそうでしょう。
「だから必要なら買って返します。不本意だけど」

実はその本は著者からの「献本」だった。仕事でブックレビューを書いていた私の手元には同じ本が3冊あり、そのうちの一冊が彼のところに行ったのだ。
実は私はまだ読んでおらず、来月著者に会うのでこれから精読しよう…と思っていた。
私は人形作家に、買って返す必要は無いと伝えた(あと二冊あるし)。
ただ、私は文章を書いて本をつくる側の人間だ。
「もう二度と燃やすのはやめて下さい。あなたにとっては悪書でも、他の人にとってはかけがえのない一冊になるかもしれない。『華氏451度』ではないけれど、焚書は…」

しかし彼はきっぱりと言う。
「借りた本を焼いたのは悪かったけど、これからも自分で買ってダメだったら燃やすよ。本にはそのくらい真剣に向き合っているし、書く方だって真剣に読んだ上でそう判断されるなら仕方ないと思うはず。
それに今回も箸にも棒にも…と思ったけど最後の一文字まで読んでるし、その上でこいつはダメだと判断したからね」

ライターとして雑誌や書籍作りに携わる時、ZINEを作るとき、noteで毎日文章を書くとき…ふいにこのせりふがよみがえることがある。
本を焼くなんてむちゃくちゃだと思うと同時に、それでいて、あの主張には真実も感じるのだ。多分言葉が人形作家の「肚から出た声」であり、彼なりの「芯」が通ってるからだろう。
確かに、読者の時間を頂くというのは、読者の命を頂くということ。
だからこそ、その価値があるものを生み出さなくては。
燃やされないものを創り出さなくては。
私はあの人が、人形作家が焼かない本を書けているだろうか…?

…とここでこの文を終われなくもないけれど、やはり正直に書いておきたい。
彼が焼いた本を読んで、私はどう思ったのか。

ギャラリーの人形展示がひと段落したころ、私は手元にある2冊のうちの1冊を開いた。
精読した感想は…火にくべたくなる気持ちも分からなくはない…だった。
人形作家は「あの文章は肚から声が出ていない」「キレイなだけ」と言っていたけれど、私は「面白いけど…この人(著者)カッコつけてるな」「脱ぎっぷりが悪いな」と感じた。
上手い人なのだ。とても上手い。ただ技術がありすぎて、本音が全然見えてこない。面白いモチーフを語っているのに、その興味深い出来事について結局作者が何を言いたいのかが伝わってこない。無意識に隠しているだけで意図的ではないのかもしれないけれど、でもクリエイターって独自の「言いたいこと」を表現してナンボのものなのでは…?

しかし、私はその本を捨てなかった。売りもしていない。正確には、一冊は欲しいという同業者にプレゼントしたけれど、もう一冊はまだ自宅にある。
理由はまず、著者に興味が尽きない。
頭が良くて、ええカッコしいで、自分の本音に向き合う勇気がなくて、でも何かものは書きたくて。しかし脱ぎっぷりは悪くて、なのにキレイな文章は書けて…。この人、一体どういう人間なのだろう。これから何を書くのだろう(その後著書は出ていないようだけれど…でも今後は分からない)。文章とは、つまりは人だ。何度読んでも解けない謎は、絶対に手放せない。
またこの一冊があることで、「本は、つまらなければ焼く」人がいることも思い出せる。彼は、人形作家はずっとああいうスタンスなのだろうか? 今もつまらない本は焼いているのか? 躊躇はないのか?
もし自分が納得できる人形を作れない時がきたら、あるいは酷評されて作品を捨てられるようなことが起こったら、どう思うだろう?
そして何より私は、カッコつけて、適当にキレイなことを書いてやり過ごしていないだろうか。自分の無意識を意識し、自分の肚からの声を聴き分けて、それを文章に出来ているだろうか…?

私は、本は燃やさない。
古本屋に売って小金を稼ぎたいからではない。
職業倫理とか、道徳的な理由でもない。
結局のところ知りたがりで考えたがりの、欲ばかりが深い物書きだからに他ならない。

(おわり)

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