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【小説】アヴァターラ2


「フロイトに言わせると、女は父親から罰を受けてすでに去勢されてしまった身体が自分なのだと認識するのです」とAIのアリシアが、精巧なまばたきに長いまつ毛を震わせながら言った。
 キアラはどうも釈然としない。
 それよりも、キアラは自分の否応なく男性である部分を見えないようにして鏡に映り込み、自分自身の姿にしばしば耽溺していた。

 自分の身体を見おろした際も、自分の胸部、腹部から視線を伸ばしていって両足が自分であり、自分ならざるものを見ているかのように喜んだ。
それは、主体であり、客体でもあるといった趣だ。

 緩やかなボブカットに丸みを帯びた肩に繊細な両腕は白地のようにきめ細かくすらりと伸びていて、これはどうだろう。
 女性的と明言するよりは、男性の身体ではない、とか、男性ではない性別の身体、といった婉曲的な物言いが似つかわしくも思われた。
 そのことについては不本意ではない。

 故にどちらにも組みさないという強固な意思を、自分の身体が宿しているようにも思われた。
 それを両性具有のアンドロギヌスと見るか、恐れ多くも生を介在させぬ身体としての天使のごとき、超越者のそれと見るか。


 キアラは自分の身体を主体として見ているのか、客体として思慕するその対象としているのか、このあたりもよくわからなかった。
 生を受けて間もなくのいわゆる鏡像段階では、あたかも鏡写しにあったかのように眼前に対峙する他者、多くの場合は母、を自己と同一視しているのだという。
 必然的に鏡写しの私イコール母はその性も一義的ではない、男であるか、女であるか、などとは測りえない。
 二項対立では片付けられない未分明な存在であったはずだ。

 主体と客体もその境界線は朧になっていく。
そもそも、人はだれしも男も女も概念として内在化する前の原初的な存在であったはずだ。
 元来がそうであった、そのままに、名付けられぬ、何者でもない、またはあまねく誰でもある存在なのであった。
 アリシアの紹介してくれた、フロイトよりは現代に近い古典的思想家のうちダナ・ハラウェイを思い出す。

 キアラが思春期を迎えた頃、微かに脛に生えた産毛が日に日に濃くなってきているように感じ始めた。
 それはあたかも黴か何かにゆっくり侵食されていくような、あるいは安っぽいホラー映画のように少しずつゾンビ化するみたいに思われて、自らの足を見るたびに戦慄した。
 もう時間がない。
 そんな焦慮もそれほどには長く苛まれることなく、結論を下すまでにかからなかった。

 母親に遺伝子治療をしたいというには気が楽だった。
 何よりも母親が娘を欲していたということには異論の余地はなかった。
 治療を始めた時の母は上気した顔色に目を見張り、口角のわずかに上がるのを隠しきれぬ様子があからさまな内面の欲望を手に取るように彼女の心模様があからさまに貼り付いていた。

 性の多様化が進み、内分泌系を中心とした遺伝子治療や体内を走行するナノマシンによる身体の修復には十分に一般的に普及してきていた。
 性は薬理学的に、技術的に改変可能なものだと、自然で本来的な性などないとのプレシアドの思想もかなり一般的になっている。
 それでも旧態依然とした固定的なジェンダー観が蔓延したままではあるのだが。
 だから、娘を欲するステレオタイプな旧世代の母親と、これはある意味の同床異夢というべきもので、キアラは女の子になりきるつもりはなかった。

 未成年の性転換治療に関してはかなりの議論が交わされてきたようだったが、治療が遅れることによって身体がもはや男性性を発現し始めてからでは遅いという声にも配慮しなければならないように時代は変わってきた。

 そうした治療で後年になって後悔する人々もいないわけではない。あるいは一度治療をしたものの本来の性というのも変わってくることがあるようなケースもある。
バーチャル空間でのアバターで代償的に欲求を満たせるというか、本来の姿はこちらのバーチャルな世界だと割り切って生きている人もいる。

 残念ながら、全身にわたる染色体の改変技術は実証実験すらも立ち行かず、肝細胞での身体的改変、ホルモン治療よりは高くなるが、遺伝子変性治療によるゲノム編集をほどこしてホルモン調整機能を獲得するといった方法を取った。
 すでに体内にロボティクスを内蔵するキアラは、これはサイボーグなんだと思った。

 継続的な経過観察としてのカウンセリングは今も続く。

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