なぜあの人の一言が、こんなに頭から離れないのか
会議が終わった。仕事も終わった。家に帰った。
それなのに、あの人の一言が頭から離れない。別に怒鳴られたわけじゃない。暴言を吐かれたわけでもない。ただ、意見を否定された。それだけのことなのに、なぜかずっと引きずっている。
その理由が、長い間わからなかった。
提案が通らないたびに、傷ついていた
以前の私は、自分の提案が通らないたびに落ち込んだ。
企画を出した。却下された。改善案を提示した。採用されなかった。そのたびに、何かが削れていく感覚があった。なぜこんなに傷つくのか、当時はわからなかった。
今ならわかる。
提案が否定されることと、自分が否定されることを、同じことだと思っていたからだ。意見への批判を、人格への否定として受け取っていた。「この提案はダメだ」という言葉を、「あなたはダメだ」という言葉として聞いていた。
だから頭から離れなかった。自分の存在を否定された気がしていたから。
意見と人格は、別物だ
でもよく考えると、意見と人格は全く別物だ。
提案が通らなかったのは、その提案が今の状況に合わなかっただけかもしれない。タイミングが悪かっただけかもしれない。上司の好みに合わなかっただけかもしれない。それはその提案への評価であって、私という人間への評価ではない。
頭ではわかっていた。でも感情がついてこなかった。
なぜか。自分の意見と自分の人格が、無意識にくっついていたからだ。提案が自分そのものだと思っていたから、否定されると自分が傷ついた。
完璧主義が、混在を生んでいた
意見と人格を混在させていた背景には、完璧主義があった。
完璧な提案を出さなければいけない。完璧な自分でなければいけない。そう思っていたから、提案が否定されることが、完璧でない自分の証明になってしまった。
完璧主義の人は、成果と自己価値を結びつける癖がある。うまくいけば自分には価値がある。うまくいかなければ自分には価値がない。その思考パターンが、意見への批判を人格否定として受け取らせていた。
完璧主義が緩んだとき、意見と人格が切り離せるようになっていった。
そういう考えもあるか、と思えた
変わり始めたのは、感情と向き合うようになってからだった。
提案が却下されたとき、自分が何を感じているかに気づくようになった。傷ついている。落ち込んでいる。その感情に名前をつけると、少し落ち着いた。落ち着くと、冷静に考えられるようになった。
これは私への否定じゃない。この提案への評価だ。そう思えるようになっていった。
「そういう考えもあるか」と受け止められるようになった。反論したいときは反論する。でも感情のまま傷つかなくてよくなった。提案が通らなくても、次を考えられるようになった。
あの人の一言が頭から離れる日
意見と人格を切り離せるようになると、職場が変わった。
あの人の一言が、頭から離れるようになった。批判を批判として受け取れるようになったから、必要以上に引きずらなくなった。傷つくことが減った。職場にいることが、少し楽になった。
あの人の一言が頭から離れないとき、自分に問いかけてみてほしい。
これは私の意見への評価か。それとも私という人間への評価か。
その問いだけで、感情の受け取り方が変わる。職場は、少しずつ楽になっていく。
