蒲田公益質屋廃止 区立の質屋がすべて姿を消す【9月5日】(蒲田東特別出張所) #449
※本記事は
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公開しています。
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※史料に基づき記述していますが、
必要に応じて
考察が入る場合があります。
公益質屋の始まり
1912年 (大正元年)
宮崎県南那珂郡細田村に
公益質屋が初めて誕生しました。
1927年 (昭和2年) 8月1日には
公益質屋法が施行され
各自治体に設置されていきました。

出典:社会福祉法人 東京都福祉事業協会
公益質屋の意義
社会福祉事業の一環で、
民間の質店より低金利で
質草(預け入れる品物)が
質流れになるまでの期間が長かったりと
生活に困っている人たちを
支えるために作られた仕組みでした。
質屋の利用方法
お金が必要な時
「質」の看板を掲げたお店へ
手元の大切な品物を預けて
現金を借りる。
そんな暮らしのセーフティネットが、
当時の大田区内に設置されました。
東京都福祉事業協会
1917年 (大正6年) 2月11日
前身となる
東京府慈善協会が
東京府の外郭団体として
設立されました。
協会は、
隣保館を設置しました。
現在の
保育所にあたる施設で、
子どもたちの健全育成に
取り組みました。
その後は、
母子生活支援施設や
特別養護老人ホームなどを展開し
現在に至ります。
大田区内の公益質屋
蒲田公益質屋
1934.04.01.~1996.09.05
池上公益質屋→調布公益質屋(移転・改称)
1950.12.15.~1952.03.31.(都営)
1952.04.01.~1954.03.28.(区営)
1954.03.29.~1974.07.01.(調布)
大森公益質屋
1956.12.20.~1986.03.31
大田区内には
3カ所の公益質屋がありました。

出典:社会福祉法人 東京都福祉事業協会
消費者金融の登場による変化
1970年頃から
質草のいらない
消費者金融の登場により
公益質屋の需要は
次第に下がっていきました。
1970年代後半には
「サラ金地獄」なる
言葉も生まれています。
大田区最後の公益質屋
1996年 (平成8年) 9月5日
蒲田三丁目にあった
「蒲田公益質屋」が
営業を終了し、
62年の歴史に幕を閉じました。
こうして
大田区から公益質屋が
姿を消しました。
公益質屋法のおわり
1927年 (昭和2年) 8月1日に
施行された
公益質屋法は
2000年 (平成12年)
廃止となりました。
おわりに
Otapediaは、
公益質屋を
「大田区無名の制度」
として
大田区最後の公益質屋
蒲田公益質屋が姿を消した
9月5日を
「大田区記憶の日」
として記録します。
大田区の記憶を呼び起こす
「Otapedia」の活動
私たちは
その“名を失いかけたものたち”に、
もう一度まなざしを向け、
記憶の岸辺に呼び戻す
営みです。
彼らの活動や
痕跡は消えても、
地域に遺した軌跡を
未来へと伝えていきます。
これらの呼称は
「Otapedia独自の呼称」であり
「大田区公式の認定ではありません」。

出典
1.『大田区政五十年史』年表・資料・索引
2.『大田区政五十年史』通史事業史
3.『社会福祉法人 東京都福祉事業協会』
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