平成漫画探訪~「GTroman」
(あらすじ)
若かりしころ沼津一円の「族」全ての相談役をしていたマスターが経営するcafe「roman」を舞台に、自動車マニア達が引き起こす悲喜こもごもの出来事を、ちょっと不良っぽく洒脱に描いている。

あこがれの名車たちとの、あこがれの生活。

スカイラインGT-R、ポルシェ911、アルファロメオ・ジュリア・スーパー、ホンダS800、ケータハム・スーパー7、etc…。

シリーズ後半では、カフェ「roman」とは直接関連の無いストーリーも登場し、不良っぽい雰囲気は薄れてくる。

胸を熱くしたあの頃の気持ちがよみがえる、車好きの、車好きによる、車好きのための[エンスーコミック]!!
作品に登場するのは、自動車を愛し、自らいじり倒すことを人生の喜びとしている市井の人々(エンスーと呼ばれる人々も含む)と、彼らに愛される国内外の名車、旧車たちである。
クルマの改造やレストアを直接題材にすることはほとんど無く、クルマを操る喜びや走る気持ちよさ、クルマをとりまく人間模様を描くことに主眼を置いている。
特徴として、クルマ好きな男女の活躍や恋愛を軽妙かつコミカルに描く作品と、不良の雰囲気を色濃く漂わせる作品が両立している点が挙げられる。
西風の描く恋愛はドライでカラッと描写されることが多く、感傷的なストーリーはあるが、湿っぽく表現されることはほとんど無い。
作品に漂う不良っぽさは、ヤクザや暗い過去を持つ人物を題材とした作品だけではなく、普通のクルマ好きが描かれた作品にもある。
日本の漫画家 西風(にしかぜ、NISHIKAZE)
漫画家としての活動が軌道に乗るにつれて交友関係も広がり、過去には友人、知人、出版関係者らと自動車クラブを結成して、ヒストリックカーによるレース活動やサーキットでの走行会を行っていた。
当時の様子はコミックスに収録されたレースレポート等で窺える。
この後、バイクにも興味を示し、バイク雑誌の企画でカスタムバイクを製作して所有している。
作者は車やバイクにまつわる作品を多数発表し、自身も猛スピード狂の西風先生。
「ほぼ取材で乗ってから描いているからね。
そうするといろんなことがわかるんですよ。
例えば、ポルシェのバリオカムなんてギヤーッて怒ったような音がする(笑)。
逆に、ホンダのSシリーズなんかは高級時計みたいに精密にできているから、まったく違う音で。
車には、そういうことを体感する楽しみもあるんだよって伝えたくて、いろいろ工夫しているんです」
「実際、車の腕前はコーナリングでわかるんですよ。
例えば、コーナーでブレーキをかけないなんてのは、よく知らない奴で信じちゃいけない(笑)。
そういう技術は乗りながら研究するうちに身につくと思うけどね」
まぁ、大事なのは欲しい車があったら誰の意見も聞かずに買うことかな。
特に中古車は出合いだから.…。
【コラム】
平成の頃「バブルの残り香」を感じさせる雰囲気。
CaféBar「ロマン」に夜な夜な集う、愛すべき「旧車バカ」の生態をテンポよく描く。
あんまり「色恋の物語」は少なく、専ら愛車にゾッコンの気持ちイイ野郎どもばかり。
これが続編の「ストラダーレ」になると前作の登場人物もすっかり歳を取り、前作は「生活の総てを愛車に注ぎ込んだ若者」から、今作は入れ替わる様に「謎の渋くて中高年男性と職業不詳の美女」の組み合わせ。
やはり趣味系の作品にありがちな、終わりのない連載打ち切りの終わり方はこの作品にも当てはまる。
30代の頃だったか?
ちょうど二校目の定時制高校時代は県庁所在地が勤務校で繁華街が直ぐ傍にあり、バイク仲間が経営する居酒屋に置いてて、読んで好きになった。
確かに画は下手だ。
何せアシスタント経験もなく、「スクリーントーン」などもない、線とベタとセリフだけのシンプルな作風だ。
しかし、作者西風の人間性と哲学が存分に画(主にエンスーカー)とウイットに富んだ台詞が心地いい。
昨今の漫画家にあるような「読者が理解できるように総て台詞で教える」のではなく、キャラの表情と少ないセリフと仕草だけで読者に感情を理解させる。
こういう漫画家はバイク漫画キリンで有名な「東本昌平」が該当する。
この漫画には18歳以上の成人しか登場しない。
何故なら自動車運転免許証が取得できるのは18歳以上で、旧いエンスーを購入できるのはバブル期で給与も高く、国産車の方が高性能に対し、エンスーはまだ資産価値が低かったから所有できた時代。
この漫画から昭和時代の暴走族(クルマ)と珈琲、そして煙草とバーボンの芳香が醸し出される。
新車にはない、旧車の魅力。
わかる人、感じる人には堪らない世界観。
(おまけ)
自分はバイクがイタリア製だったので、クルマもイタリアメーカー贔屓だ。
旅の途中に限らず、ソロtouring先でもこういった「エンスー好き」のオーナーさんから良く話しかけられた20代。
なにせ本来なら50代が駆るDUCATI900ssを27歳の若造が乗っているのが大変珍しかった時代だから。
無論「豚に真珠」「馬子にも衣裳」とならぬよう、ヒストリーを知り、エンジニアの哲学を学んだ上で、愛機を駆る。
そしてマメに整備する。
月イチで隣県まで早朝遠征touringして峠道を走り経験を積む。
知識だけでなく経験を積めば、それは「好事家」に至る。
企業経営者の「雇われサラリーマン社長」と違い、エンスー好きの人は創業者(個人事業主)や士業など高所得者が多い。
自分が好きなことを話したくても、
「お金持ちだね」
「それって直ぐ壊れるんじゃないですか?」
「荷物が詰めず人も乗れないじゃん」
…など哀しいことに殆どの人からこう言われる。
別にエンスーの世界に限らず富裕層(趣味人)は「教養があり対等に話せる人が周囲におらず、知的な会話が出来ない」という悩みを抱えている。
私は「好奇心の塊」なので色々と質問し、オーバーなリアクションで反応する。
また「自慢(マウンティング)」しなければ、決してこちらから否定することもない。
私は別にお金持ちや社会的な肩書には、正直興味がない。
ただこういうエンスー好きの人達は自分の「趣味の話」をする時は本当に「イイ笑顔」で非常に好感が持てる。
「心からエンスーが好きで、愛車との日々を楽しんでいるなあ...」
話を聞くとこっちまで嬉しくなる。
逆に最新の高級車や外車に乗っている人を見ると、「ああ..旧車ではなくて”ブランド”が好きなのね」と内心思う。
資産家と成金、エンスー好きとブランド嗜好。
そこには大きな溝があり、似て非なる存在。
私は少し無理してDUCATIに乗って一番良かったと思うのは「周囲からの羨望の眼差し」ではなく、こういった趣味人の人達と知り合えたことだった。
私にはお金では買えないスポーツの世界での実績と経験が既にあり、他者を惹き付ける魅力を10代から備えていたので、もはや嫉妬する理由がない。
面白いことに同じ外車、クラシックであってもバイクとクルマでは趣味人の人柄に雲泥の差があることに気付いた。
ハーレーは中間管理職でブランド嗜好、BMWは意識高いスピード狂、DUCATIはスピードジャンキー.…バイク乗りの方が”たち”が悪い。
対してクルマの方が愛車を労わる運転をする。
『The Classic Car~クラシックカーってカッコイイ!~』
というクラシックカーの番組を良く見る。
私が注視しているのは登場するヒストリックカーではなく、その所有者を観るために毎回視聴している。
登場する人達はみな、ヒストリックカーとの”運命の出逢い”や”所有する切っ掛け”があり、腕の良いお店と良好な関係を築き、仲間から譲って貰う「信用/信頼」がある。
ただブランドではなく、どの方もしっかりとヒストリックカーの歴史とメーカーの哲学も知っている。
そしてどの方も異口同音に「自分がしっかり維持して若い人達に託したい」と〆る。
その譲るまでは結構な維持費がかかるが、”それ(維持費)も含めて所有する愉しみ”で所有する。
普通の人は「壊れてから修理」をする。
だがこういった趣味人の人達は「好調を維持するために小まめに整備や塗装」をする。
言わば「予防/計画整備」という。
私も30歳前後からバイク屋で修行して自ら「予防/計画整備」を心掛けている。
病気と同じく、初期症状の段階で対処すれば、治療費も通院時間もかからない。
大抵気付いた時には結構なお金も時間もかかる。
つまり「備える/対策する(ソリューション)」という概念がない。
よく「クルマが壊れた!」という人がいるが、放ったらかしだったり、足回りのゴムブッシュ類は新車/中古車に限らず3~4年で要交換部品を知らない。
賢い投資家なら買う前に「そのモノはリセールがどれくらいあるか?」を考える。
浪費家は逆にそういうことを一切考えない。
またTVに搭乗するクラシックカー愛好家の人達の顔は一様に良い顔をしている。
分かりやすくいうと顔に「これまで歩んできた人生」が顕れている。
「人を傷つけたり周囲を不幸な目にあわす者」の顔付きはとても醜悪だ。
仮にそう見えなくても「目付き」だけは誤魔化せない。
綺麗にお金を稼ぎ、(社会に還元する)使う人はいずれも笑顔がいい。
幸せになりたい人は必見の番組だ。
