卵管を縛る同意書にサインしたのは、私じゃなくて義母だった

男の子を望んで産み分けに挑戦したけれど、三人目に授かったのは女の子でした。
結果的に、私は三姉妹の母になることが決まりました。
その一方で、旦那の金銭感覚はどんどん暴走していきました。
新春初売りフェアでアルファードが売っていたときのことです。
私が「いいね」と何気なく言っただけで、旦那はそのままローンを組んで購入してしまいました。
さらに、旦那の職場の近くに建売の土地があると聞き、「見に行くだけ」のつもりで見に行きました。
「家建てれたらいいよね」と夢を語りながら過ごしていたら、その土地を買い、家まで購入することになっていました。
三女が生まれる三か月前には、新居への引っ越しが完了していました。
車と家のローンを合わせて、毎月16万。
私は、これは成功している兄夫婦への対抗心なんだろうな、と感じていました。
「兄貴だって家も車も持ってるんだから、俺も。」
そんな見栄が、どこかに透けて見えました。

三女は、自分の手で3歳まで育てたい

そんな中でも、私にはひとつ、どうしても譲れない思いがありました。
「次に生まれてくる子は、3歳までは自分の手で育てたい。」
長女、次女と、義母に職場復帰の時期を勝手に決められてきた経験があるからこそ、
三女については、もう同じことを繰り返したくありませんでした。
だから、私は職場を退職することに決めました。
義母を通すと、またややこしいことになるのは目に見えていたので、
今回は私が直接、職場に辞表を出しに行きました。
もちろん、いろいろ言われました。
「もったいない」とか「せっかく資格があるのに」とか。
でも、育てるのは私です。
誰でもない、私が一番、三女のそばにいたかったのです。
母は強しというけれど、あのときの私は、自分でも「少しは強くなれた」と感じていました。

三女は緊急帝王切開に

三女の妊娠は、上の子たちのときのような切迫続きではなかったものの、やっぱり安産とはいきませんでした。
出産が近づいたある日、医師からこう告げられました。
「頭が大きくて、子宮口に入ってこない。
このままだと危険なので、緊急帝王切開になります。」
私は帝王切開で出産することになりました。
手術室に運ばれ、麻酔をかけられ、意識が少しずつ遠のいていく中で、
「この子で最後の出産になるかもしれないな」と、ぼんやり考えていました。

本当は、旦那にパイプカットしてほしかった

実は、三女妊娠の時点で、私は旦那にこう伝えていました。
「さすがに子ども3人もいるから、パイプカットしなよ。」
無理やり同意もなく襲われるのは、もう慣れていました。
でも、これ以上子どもが増えることは望んでいませんでした。
経済的にも、体力的にも、精神的にも。
三人が限界だと感じていました。
けれど、旦那は乗り気ではありませんでした。
「わかった、わかった」と言いながら全然動く気配はありません。

麻酔から目覚めたとき、「もう妊娠できません」と告げられた

帝王切開の手術は、無事に終わりました。
ぼんやりとした意識の中で、赤ちゃんの産声が聞こえて、「ああ、生まれたんだ」と思いました。
麻酔から目が覚めたとき、医師から告げられた言葉は、出産の報告だけではありませんでした。
「卵管を縛りましたから、生理は来ますが、妊娠はもうできません。
もし妊娠したくなったら、体外受精しかありません。」
頭が真っ白になりました。
卵管結紮手術をした、ということでした。
私は、その手術の同意書にサインをした覚えがありません。
説明を受けた記憶もありません。
後から分かったのは――
同意書にサインをしていたのは、私ではなく義母だった、ということでした。

「妊娠の心配なくなってちょうどよかったじゃん」

私の身体のことなのに。
私の人生に関わることなのに。
旦那は、こう言いました。
「妊娠の心配がなくなって、ちょうどよかったじゃん。」
笑いながら。
私は、言葉を失いました。
確かに、もうこれ以上妊娠しないこと自体は、私も望んでいたことかもしれません。
でも、それは「自分で選びたかったこと」です。
自分の身体について、自分で決める権利。
それすらも、義母と旦那によって奪われたことに、後からじわじわと怒りと喪失感が込み上げてきました。

産めなくなった身体と、それでも続く日常

こうして私は、三人の娘を授かったあと、自分の知らないところで「産めない身体」にされました。

  • 本当は旦那にパイプカットしてほしかったこと。

  • 自分の意思と関係なく、卵管結紮が行われたこと。

  • 同意書にサインしたのが義母だったこと。

  • 「ちょうどよかったじゃん」と笑った旦那の顔。

全部ひっくるめて、一生忘れない出来事になりました。
それでも、目の前には三人の娘たちがいました。
ご飯を作る人がいて、オムツを替える人がいて、保育園に送り迎えをする人が必要です。
怒りも悲しみも、しまっておく場所を見つけられないまま、
私はまた、いつものように日常に戻っていきました。


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