#146 東日本大震災を過去にしないために
今日は真面目な話を
あの日から15年になります。
はぐらかさずに、今回はハッキリ何があったかを書きます。
※被害などの記載があります。 ご注意ください!
1. 地震の概要
* 発生日時: 2011年(平成23年)3月11日 14時46分
* 震源地: 三陸沖(宮城県牡鹿半島の東南東約130km)
* 規模: マグニチュード(M)9.0
* 日本国内観測史上最大であり、世界でも1900年以降で4番目に大きな地震です。
* 最大震度: 震度7(宮城県栗原市)
2. 三大災害の複合
この震災は「地震」「津波」「原子力発電所事故」という3つの災害が同時に発生した点が特徴です。
巨大津波
地震発生から短時間で、東北地方から関東地方にかけての太平洋沿岸を巨大な津波が襲いました。
* 最大遡上高: 岩手県宮古市で40.1mを記録。
* 浸水面積: 約561km^2(山手線の内側の約9倍に相当)。
* 死因の9割以上が津波による溺死でした。
福島第一原子力発電所事故
津波による全電源喪失により、東京電力福島第一原発でメルトダウン(炉心溶融)が発生。
* 放射性物質の放出により、広範囲に避難指示が出されました。
* 国際原子力事象評価尺度(INES)で最も深刻なレベル7に分類されています。
3. 被害状況(2024年時点の集計含む)
* 死者: 約15,900人
* 行方不明者: 約2,500人
* 震災関連死: 約3,800人(避難生活中の体調悪化など)
* 建物の全壊・半壊: 合計で約40万戸以上
4. 社会への影響と復興
* 電力需給: 震災直後、電力不足を補うために「計画停電」が実施されました。
* 防災意識: この震災を機に、津波避難タワーの建設や、ハザードマップの見直しが全国で加速しました。
* 復興の歩み: インフラの再建は概ね完了していますが、福島県の一部では現在も帰還困難区域が残り、心のケアやコミュニティの再建が継続的な課題となっています。
被災地域と呼ばれる場所で経験したわけではないため少し書くことを憚られましたが、書き記したいという気持ちが強く、何卒ご容赦ください。
当時、私は小学校6年生でした。
体感では10分近くに感じた長い横揺れ… 怖かった
(小6ってわりと理性もあると思っていたけど)
わめいて、叫んで…私の記憶のなかでは一番
『阿鼻叫喚』(悲惨な状況で泣き叫ぶさま)
そんな空間だったのを覚えています。
あと、友人がインフルエンザで学校にいなかったんですが…。災害後に数日会えないだけでこんな不安になるんだと言う記憶も強烈でした……
この時期からLINEが一気に普及して役立ったと言われておりますが、本気で必要な人の連絡先は持っておき、緊急連絡ができるようにするべきです!!
人と会えない不安は思ってるより計りしれず、
心を蝕(むしば)みます。
津波の映像をリアルタイムで見たという記憶
ほどなくして、校庭に避難した私たちは両親が迎えに来た家庭から自宅へ帰ることができました。
運よく、早く家に着いた私は衝撃的な映像を目の当たりにすることとなります。
見たことのない高さで水が遡上し人を家を木々を街を飲み込んでいくのです……
当時は(今も)現実として飲み込めませんでした。
その、数十分後には福島の原発の屋根が吹き飛ぶ映像が…… 世界が…え…どういうこと ありえないと…
ちょっと生々しいですが、本当にあったんです。
若い世代は信じられないですよね。
計画停電とACジャパンとラジオ。
「明日は、計画停電だから教室暗いかもね」
実際にこんな会話をしていたような記憶があります、被災地から離れていてもインフラが使えなくなるという経験はあとにも先にもありません。
テレビはACジャパンのCM。
動物たちのコミカルな掛け声のあれが偽りなく永遠と流れていました。
しょうがないとは言え、コロナ前にもエンタメは不要不急だ!という時期があったなぁと今になって強く思います。
救いだったラジオ📻️
テレビ同様にメディアとして確かに被害状況を伝えることもありましたが、自粛モードもあるなかでいち早く!音楽や通常通りの深夜ラジオが流れていた記憶があります。
特に語り継がれるのはTBSラジオ『バナナマンのバナナムーンGOLD』の生放送内で今夜は裏のニッポン放送で『サンドウィッチマンのオールナイトニッポン』やってるからそっち聴いてあげて!!
という呼びかけ 当時は局ごとの壁もあり………、
他局は……みたいな空気のなか生まれた奇跡の呼びかけでした。
時はたち、2016年8月。
私は祖父の提案で宮城県の名取市閖上地区へ向かう機会がありました。
観光がメインでしたが、初日は語り部タクシーに乗車し、当時のお話をお伺いしました。
本当に貴重な経験でした。
当時の写真を掘り起こしてきましたので、ちょっと振り返ってみます。

日和山と呼ばれる少し丘になった場所です。
丘の上には神社が建立されており、慰霊碑もあります。ここでのお話で小6の時の映像が他人事でなくなりました。
目の前には河川。 海からは100メートルほどしか離れていないこの場所、写真の通り周囲は更地に
多くの方が被害に遭ったそうです………
私が一番、衝撃を受けたのは、この場所で木の幹につかまって助かった方のお話。
普通なら良かった、と思えるのですが……、
この時ばかりは、え…あの濁流に巻き込まれながら… 車や人が流されていく中…
頭のなかで映像と現実がリンクした瞬間でした……。
あのときの身体の感覚は今でも覚えています。


自然。恐ろしくないですか


あれから10年。 今の様子もこの目で確かめたいところです

尊い犠牲を無駄にしないために

私の話が長くなっちゃいましたが素晴らしい記事を紹介させてください!
津波避難についてこれ以上ない経験が残されていて、それを私と同い年の方が伝承館にて伝えてくださっています! 誇りです!!!
震災と学校で思い返されるのは大川小学校(全校生徒、教師の方多くが津波被害に遭いました)であることが多いと思うのですが、私はどうしても凄惨な出来事は身体に不調をきたすレベルで食らってしまいます…(もちろん向き合うべきことではあります。)
そんななかで、直接的な被害表現がない
素晴らしい記事を見つけました⬇️ よろしければ
こちらは当時の冷静な判断が『奇跡の避難』と呼ばれています、どちらも語り継ぐべきことでありますが、私は今回、上記の理由でこちらを選ばせていただきました。
たくさんの方に自分ごとだと思って読んでほしいです。まずは、自分の命を大事に避難!そして、周りの方へも声を掛けて逃げましょう!!
最後はちょっぴりエンタメをご紹介。
こちらは、震災伝承曲として描き下ろされました
あの当時を生きていた人間としてその経験を伝えて、誰かの記憶に積み重なってくれたら
こちらは、羽生結弦さんが現役時代にエキシビションで故郷を想い滑ったこともある、松任谷由実さんのカバーです。(演技映像は残念ながらなく……)
これからも平穏な春を迎えられますように。
お読みいただきありがとうございます😊
