#10 自分の怒りの理由がわからない
イライラや不安が生まれても、
私はその理由を言語化することが今でも苦手です。
でも、マイナスな感情だけは、
しっかり表に出てしまう。
後になって冷静になると、
「我ながらみっともない……」と思い、
「そういえば、何で怒っていたんだっけ?」と考える。
これまでの人生で、数えきれないほど
繰り返してきました。
妻にも、この点はよく指摘されます。
「何で怒っているの?」と聞かれても答えず、
「これを機に直す!」と宣言する。
しかし、後日また同じことを繰り返し、
結果として自分の宣言を自分で裏切ってしまう。
何とかしたいと思っても、
そもそも何にストレスを感じて、
マイナスな感情が表に出ているのかを
自分自身が理解できていません。
これでは、対策のしようがありません。
そこで、まずは怒りの理由を
言語化してみようと思い立ちました。
今回は、この点に向き合ってみた結果を
記したいと思います。
実は根深かった…
向き合ってみると、その原因を考えるには、
約30年前まで遡る必要がありました。
私は、自分が感じた些細な引っ掛かりに対して、
「仕方ない」
「我慢すればいい」
「相談なんかしなくていい」
と受け流してきました。
この「受け流し」の思考は、
高校時代にはすでに形成されていたように思います。
当時の私は、勉強に身が入らず、
成績が上がらないことに悩んでいました。
しかし、感情や考えを整理できず、
成績不振を認めることもプライドが
許しませんでした。
また、以前のnote(第4回)でも書きましたが、
両親は勉強面で、私に対して相当厳しく
接していました。
そのため、親に相談すれば、
父親から高圧的に干渉され、
母親からは過度に束縛されると予測していました。
相談せずに一人で抱えることは、親の介入を避け、
自分の自由を守るための防衛手段でもあったのです。
また、安心して相談できる友人もいなかったため、
他人に相談する経験を積む機会もありませんでした。
学校の先生ともそれほど親しくなかったので、
先生に相談するという選択肢もなかったと思います。
こうした経験から、私は次のような考え方を
身につけたのではないかと考えました。
困りごとを話すと、弱さを知られ、
評価や干渉を受ける。
自分の問題は、自分一人で処理したほうが
安全。
この考え方は、当時の私を守るためには
一定の役割を果たしていたと思います。
しかし、その後の社会生活においては、
私自身を長い間苦しめることになりました。
この思考を繰り返すうちに、自分の本音に気づき、
それを言葉にする力を使わなくなっていったのかもしれません。
やがて、「仕方ない」と受け流すことが、
私の主要な思考回路になりました。
何かに引っ掛かっても、一瞬のうちに
「我慢すればいい」と処理してしまう。
ところが、違和感や不満そのものが
消えるわけではありません。
それが積み重なった結果、
当の本人にも理由がわからないまま、
傍から見ればひどくイライラしている状態になる。
私は怒りの理由がわからなかったのではなく、
怒りになる前の小さな違和感や本音を、
「仕方ない」と消していたのだと思います。
その結果、私だけでなく、
相手にも理由がわからないまま、
不快な時間を過ごさせてしまいました。
意外な結果
普段の何気ない会話の中で、
興味深い出来事がありました。
妻:「今日、仕事が終わった後、
トレーニングに行くから、
帰りが20時半くらいになるけどいい?」
この時間に帰宅すると、
晩御飯は21時ごろになります。
その後、洗濯や片付けなどをしていると、
就寝は23時を過ぎます。
可能なら、もう少し早く帰ってきてほしい
というのが私の本音でした。
しかし、これまでの私は、こう答えていました。
私:「どうぞ」
この返事の裏には、
「私が我慢すればいい」
「本音を言って、もし揉めたら面倒だ」
という引っ掛かりがありました。
言語化する練習を始めて数日後、
まったく同じ状況がありました。
妻:「今日、仕事が終わった後、
トレーニングに行くから、
帰りが20時半くらいになるけどいい?」
私:「うーん、ちょっと遅いね」
妻は少し驚いた様子でしたが、
「わかった! じゃあ予定の半分のプログラムで
帰るね」
と快く返事をしてくれました。
私はむしろ拍子抜けして、
「あ、こんなことを言って悪かったかな?」
と尋ねました。
すると妻は、
「いや、すごくいいと思う!」
と喜んでくれました。
自分の希望を十分に説明できたわけでは
ありませんが、
「どうぞ」と反射的に飲み込まず、
まず違和感を口にできたことは、
私にとって大きな変化でした。
そして、本音を伝えたからといって、
必ずしも相手との関係が悪くなるわけでは
ないことも実感できました。
「言語化トレーニング」は自己表現
言い方を変えると、「言語化トレーニング」は
自己表現の練習なのかもしれません。
私は、これまで自己表現することを
諦めていたように思います。
それは、自分の気持ちや希望を、
自分自身が粗末に扱っていたとも思えるのです。
一方で、自己表現したときの相手の反応は、
必ずしも自分が予測したとおりになるとは
限りません。
今回のように、想像していたよりも、
ずっと素直に受け止めてもらえることもあります。
相手との意見のずれは「あるもの」と考えて、
早い段階で自分の考えを伝える。
そのほうが、理由のわからないイライラをため込み、
後になって周囲にまき散らすよりも、
はるかに精神衛生上よさそうです。
もちろん、世の中には話の通じにくい相手もいます。
すべての相手に、何でも率直に伝えればよいというわけではありません。
それでも、少なくとも安心して話せる
相手に対してまで、
自分の本音を打ち消す必要はない。
今の私はそう考えます。
長年、自分の怒りの理由がわからなかったのは、
怒りが生まれる前の違和感や本音を、
自分自身が打ち消していたからなのかもしれません。
小さな引っ掛かりの段階で言葉にしてみる。
まずは家庭という安心できる場所から、
その練習を続けていこうと思います。
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その後、自分の感情を言葉にすることだけでなく、
相手の話を「聴く」ことにも同じ難しさがあると気づきました。
[第11回 人の話を「聴く」ことは難しい]
https://note.com/fit_kudu8572/n/n91a1032ebbd2

