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10歳の少年が教えてくれた、大人が背負うべき「優しき責任」

最近、私には20歳ほど年の離れた「10歳の友人」ができました。 自分の子供を持たない私にとって、小さな子供と真っ向から遊ぶという経験は、人生で初めてのことです。

論理や効率、忖度が支配する大人の世界から一歩離れ、感情のままに笑い、嫌なことは嫌だとはっきり口にする彼との時間は、私に「大人としての在り方」を強く再定義させてくれました。


1. 感情の純粋さに触れ、磨かれる「翻訳力」

10歳の男の子は、大人のような気遣いをしません。楽しいか、そうでないか。それだけが彼の基準です。 彼と対話するには、私の語彙を解体し、彼に伝わる言葉へと再構成する必要があります。彼が何にワクワクし、何に退屈するのか。その「共感のポイント」を必死に探るプロセスは、ビジネスにおけるプレゼンや交渉以上に、人間としての真摯なコミュニケーション能力を試されているように感じます。

彼が見せてくれる曇りなき笑顔や、全力のリアクション。それは、私たちがいつの間にか忘れてしまった「人間の宝」そのものでした。

2. 「自分より大切なもの」への気づき

かつて誰かが言った「子供のためなら、自分より大切な命があると思える」という言葉。以前の私なら、どこか遠い世界の美談のように聞き流していたかもしれません。

しかし、彼と遊び、その小さな背中を見守るうちに、その感覚が少しだけ「わかった」ような気がしています。 「この無垢な存在を、未来の理不尽から守らなければならない」 「この笑顔が続く社会を作らなければならない」 そう強く願うとき、私の中にこれまでになかった種類の責任感が芽生えました。

3. 大人が作るべき「未来」という名のギフト

私自身の10歳の頃を振り返れば、30歳前後の自分がどう生きているかなんて想像もしていませんでした。しかし、今の私は知っています。 子供たちの純粋な未来を守るのは、他でもない私たち大人の仕事であるということを。

「この子のために、何だってしてあげたい」 そう思わせてくれる彼との時間は、私に「より良い大人にならなければ」という健全なプレッシャーを与えてくれます。


結び:いつか来る「卒業」の日を想って

彼も数年経てば中学生、高校生になり、私と遊ぶことなどなくなるでしょう。それは寂しいことではなく、彼が自分の足で歩き始めた証であり、正しい成長の姿です。

その時が来たら、私は彼から学ばせてもらったこの「無償の責任感」や「守るべきものがある強さ」を、今度は社会のより良い場所へと還元していきたい。

彼が大人になった時、「あの時遊んだ大人は、かっこいい大人だった」と思ってもらえるように。私は私の人生を通じて、彼らに恥じない未来をデザインし続けたいと思います。


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