「未完成が9割」という言葉に隠れている、「完成」の定義の曖昧さ

ゲーム開発の話を見ていると、よくこんな言葉を目にする。

「個人ゲーム開発の9割は未完成で終わる」

そしてそこから、

「アイデアを考えることより、完成させることの方が難しい」
「ストアに出すところまで行けるだけですごい」
「最後まで作り切る力こそ重要だ」

という話につながっていく。

言いたいことは分かる。

実際、一つのゲームを長期間作り続けるのは大変だし、途中で開発をやめるプロジェクトも大量にあるだろう。

ただ、ずっと引っかかることがある。

そもそも「完成」って、どの状態なんだろう。


ストアに並んだら完成なのか

たとえば、一通り遊べるゲームを作ったとする。

作者が想定していたシステムも実装した。
最初から最後まで遊べる。
致命的なバグもない。

そこで作者が、

「これで終わり」

と決めた。

これは完成しているのだろうか。

おそらく、多くの人は完成していると答えると思う。

では、そのゲームをSteamに出さず、自分のWebサイトで無料公開したらどうだろう。

これも普通に完成品だろう。

友人にだけ配ったら?

イベントだけで配布したら?

誰にも公開せず、自分だけで遊んで終わったら?

逆にSteamにEarly Accessとして出したものの、作者自身が「まだ完成していません」と言っているゲームは完成なのだろうか。

こう考えていくと、

ストアに並ぶことと、作品が完成することは、どうも別の話に見えてくる。

「完成」「公開」「販売」「流通」が混ざっている

ゲーム制作では、このあたりの言葉がかなり混線しているように思う。

たとえば、

完成
作者が意図した作品として一区切りついた状態。

公開
他人がアクセスできるようになった状態。

販売
対価を取って提供する状態。

流通
SteamやApp Storeなど、何らかの経路を通して届ける状態。

これらは本来、全部違う。

完成したけれど公開しない作品もある。

完成して無料公開する作品もある。

完成して自サイトで販売する作品もある。

完成してSteamで販売する作品もある。

逆に、未完成のままEarly Accessとして販売することだってできる。

ならば、

「ストアに出した=完成」

とは必ずしも言えない。

ストアは完成判定装置ではない。

単なる流通経路の一つだ。

「出すところが一番の壁」という不思議

よく、

「結局、ストアに出すところが一番の壁」

とも言われる。

これも「商業ゲームとして販売開始するところが大変」という意味ならよく分かる。

ストアページを作る。

スクリーンショットを用意する。

PVを作る。

価格を決める。

審査や登録をする。

宣伝する。

問い合わせに対応する。

アップデートする。

レビューにも対応する。

確かに大変だ。

ただ、ここで要求されている能力のかなりの部分は、もはやゲームを作る能力とは違う。

商品化と販売の能力だ。

ゲームを作るゲームをクリアしたら、突然、

「では次に販売という別ゲームを始めてください」

と言われているようなものだ。

しかも全員がそのゲームを遊びたいとは限らない。

「売らない」は挫折とは限らない

ゲームを完成させたあと、作者が計算してみたとする。

「500円で売っても、この規模ではペイしそうにない」

「販売後のサポートまで考えると割に合わない」

「宣伝に時間を使うくらいなら次を作りたい」

「そもそも商売として作ったわけではない」

そこで販売しないことを選ぶ。

これは、

完成させられなかった

のだろうか。

違うだろう。

むしろ、

完成後に販売しないという意思決定をした

だけだ。

ところが「ストアに出るところまでが完成」という定義を採用すると、

販売しなかった作品まで、

「未完成で終わったプロジェクト」

に分類されてしまう。

これはかなり奇妙だ。

プロトタイプを捨てることすら「未完成」なのか

もっと手前でも同じことが起きる。

アイデアを思いついた。

プロトタイプを作った。

遊んでみた。

面白くなかった。

だからやめた。

これは未完成なのだろうか。

もし目的が、

「このアイデアがゲームとして成立するか確認する」

だったなら、

検証は完全に終了している。

「面白くないことが分かった」という成果まで得ている。

プロジェクトとしては正常終了だ。

それを、

「最後まで製品化しなかったから未完成」

と呼んでしまえば、研究開発における大量の試作品まで全部「完成させられなかった失敗作」になってしまう。

試作には試作の完成がある。

完成とは「やることがなくなった状態」ではない

そもそもソフトウェアに、

「もう改善できるところが一つもない」

なんて状態はほとんど存在しない。

UIはもっと良くできる。

演出も追加できる。

ステージも増やせる。

バランスも調整できる。

グラフィックも作り直せる。

最適化もできる。

その意味では、ゲームは永遠に未完成にできる。

だから完成とは、

やるべきことがなくなった状態

ではないのだと思う。

むしろ、

作者がどこかに境界線を引いて、一度作品を閉じた状態

なのではないか。

そう考えると、「完成」と「完璧」も別物になる。

完璧ではなくても完成できる。

改善点が残っていても完成できる。

そして完成後に、また開いて更新することもできる。

「9割が未完成」は何を数えているのか

ここまで考えると、

「個人ゲーム企画の9割以上は未完成で終わる」

という言葉そのものが気になってくる。

その9割には何が入っているのだろう。

アイデアだけ考えてやめたもの。

試作してボツにしたもの。

技術検証だけしたもの。

完成したけれど公開しなかったもの。

無料公開したもの。

自サイトだけで公開したもの。

採算が合わないので販売しなかったもの。

販売作業をしたくないので売らなかったもの。

別作品へシステムを転用したもの。

全部なのだろうか。

もし「商用ストアに並ばなかった企画」を全部未完成として数えているなら、

それは、

「9割が完成できなかった」

という話ではない。

正確には、

「商業流通まで到達しなかった企画が9割ある」

という話になる。

意味がまったく違う。

完成の定義を流通側に渡していないか

そして一番気になるのはここだ。

もし、

Steamに並んだ作品=完成品

という感覚が強くなっているのだとしたら、

個人創作なのに、

作品の完成条件まで既存の流通プラットフォームから逆算している

ことになる。

制作はインディーになった。

会社から独立して、一人でもゲームを作れるようになった。

なのに、

「どこまで行ったら作品として完成なのか」

という判断だけは、

既存の商業流通モデルから独立できていない。

これはちょっと面白い。

ゲームを作りたい。

ゲームを公開したい。

ゲームを売りたい。

ゲームで生活したい。

本来これらは全部別の目的だ。

「作りたい」を選んだ人が、自動的に「売りたい」まで要求される理由はない。

未完成なのか、そこで完成したのか

途中でやめた作品をすべて肯定したいわけではない。

本当に「最後まで作りたかったのに挫折した」プロジェクトも大量にあるだろう。

完成させる技術や継続力が重要なのも間違いない。

ただ、

ストアに出なかった

という事実だけから、

完成させられなかった

と判断することはできない。

作った。

試した。

目的を達成した。

ここで終わると決めた。

無料で置いた。

販売しないと決めた。

次の作品へ行った。

それぞれに違う終了理由がある。

だから「9割が未完成」という数字を見る前に、一度聞いた方がいいのかもしれない。

その話でいう「完成」って、いったい何をもって完成なんですか?

その定義次第では、

「未完成で終わった」とされている大量の作品の中に、

実は作者にとってはとっくに完成しているものが、かなり混ざっているのかもしれない。

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