「作品どこいった?」──プラットフォーム攻略コンテンツはネット広告と同じなのか

最近のWebサイトを開くと感じる。
何かの記事を読みたくてページを開いた。
すると広告が出る。
上にも広告。
横にも広告。
途中にも広告。
スクロールすると追従してくる広告。
記事とそっくりな「おすすめ」という名の広告。
閉じようとするとポップアップ。
そして思う。
記事どこいった?
最近、TikTokなどのプラットフォームを眺めていて、これと似た感覚を覚える。
ただし、広告が大量に表示されるという話ではない。
もっと奇妙だ。
コンテンツそのものが、広告と同じ構造になっている。


「あなたが200再生で止まる7つの理由」

TikTokで再生数が伸びない理由を検索してみる。
すると大量に出てくる。
「200再生で止まる理由」
「400再生以下になる人の特徴」
「最初の1秒が重要」
「離脱されない動画の作り方」
「バズるための○つの方法」
「伸びた動画の共通点」
事例はいくらでもある。
そして、こうした動画自体がよく伸びている。
考えてみれば当然だ。
再生数が伸びなくて困っている人が大量にいるのだから、
「再生数を伸ばす方法」には強烈な需要がある。
しかし、ここで妙なことが起きる。
その手法を実践した「作品」はどこにあるのだろう。
短編映画でもいい。
MVでもいい。
アニメでもいい。
コメディでもいい。
その「伸びる方法」を使って作られた作品が大量に伸びているなら分かる。
ところが目立つのは、
「伸びる方法を使って作られた、伸びる方法を紹介する動画」
だったりする。
これは何を証明しているのだろう。

成功事例集が一番成功する

さらに面白いことが起きる。
成功した投稿を集める。
共通点を分析する。
「冒頭にフックがある」
「テンポが速い」
「字幕が読みやすい」
「○秒ごとに画面が変わる」
「最後まで見たくなる構成になっている」
それをまとめて、
「伸びる動画の成功事例10選」
を作る。
たぶん、この動画は伸びる。
なぜなら、みんな伸びたいからだ。
すると、その事例集を見た人たちが同じ方法を使う。
全員が冒頭にフックを置く。
全員が字幕を入れる。
全員がテンポを上げる。
全員が「最後まで見て」と言う。
すると今度は、それが普通になる。
差別化だったはずの手法が背景になる。
そして次に、
「最近フックが効かなくなった5つの理由」
という動画が伸びる。
新しい成功事例が集められる。
新しい攻略法が作られる。
またみんなが真似する。
攻略法が陳腐化する。
また新しい攻略法が作られる。
作品はどこへ行ったのだろう。

これは昔のネット広告と似ている

Web広告も最初は単純だった。
記事があって、その横に広告があった。
ところが広告のクリック率を上げようと最適化が進む。
目立つ場所に置く。
大きくする。
記事の途中に入れる。
スクロールに追従させる。
関連記事のように見せる。
動画を自動再生する。
最適化するほど、記事を読む体験が悪くなっていった。
そして最終的に、
記事を読むために広告をかき分ける
という奇妙な状態になった。
今のプラットフォームでも似たことが起きているように見える。
ただし今回は、広告が作品の周囲に増えているのではない。
作品そのものが広告の文法を身につけ始めた。
冒頭で注意を奪う。
離脱させない。
感情を刺激する。
コメントさせる。
フォローさせる。
次の動画へ誘導する。
これは広告クリエイティブの設計とかなり似ている。
商品を広告しているわけではない。
動画が動画自身を広告している。

「良い作品」と「よく見られる作品」

ここで一つ混同されやすいものがある。
再生数だ。
「再生数が少ないのは品質が低いから」
という説明をよく見る。
しかし、本当にそうだろうか。
ある動画が200回で止まった。
これは観測できる。
しかし、
なぜ200回で止まったのか
は外から完全には分からない。
推薦された視聴者との相性かもしれない。
テーマかもしれない。
投稿されたタイミングかもしれない。
視聴維持率かもしれない。
競合する動画かもしれない。
単なる偶然もあるだろう。
それなのに、
200再生だった

アルゴリズムに評価されなかった

品質が低かった
と変換される。
しかし推薦システムが測っているものが、
「この人がこの動画を見続けそうか」
だとしたら、それは作品の品質とは別の話だ。
猫が棚から落ちる動画が300万再生され、
実験映像が80再生だったとしても、
猫動画が実験映像の37,500倍優れた作品ということにはならない。
測っているものが違う。

最適化行動集を見るための媒体

ここまで最適化が進むと、さらに奇妙な状態になる。
TikTokを見る。
TikTokで伸びる方法が流れてくる。
それを見て投稿する。
伸びない。
TikTokで原因を調べる。
「伸びない理由7選」が出てくる。
それを見る。
改善する。
また投稿する。
また攻略法を見る。
その攻略法を紹介している人は、攻略法を紹介することで伸びている。
するとプラットフォームは、
プラットフォームを攻略する方法を見るためのプラットフォーム
になっていく。
これはかなり虚無だ。
本来、
作品を届けるために最適化する
はずだった。
ところが、
最適化する

最適化について発信する

その発信を最適化する

新しい最適化手法を発信する
という自己参照ループが生まれる。
一次的な目的物が消えていく。

「記事どこいった?」から「作品どこいった?」へ

昔のネット広告では、
記事どこいった?
と思った。
今のプラットフォームでは、
作品どこいった?
と思う。
これは同じ現象なのかもしれない。
最適化そのものが悪いわけではない。
広告も必要だし、作品を届ける工夫も必要だ。
問題は、
手段だった最適化が目的になった瞬間
だと思う。
作品を届けるためのアルゴリズム攻略だったものが、
アルゴリズム攻略そのものを消費する文化になる。
そして攻略法を取り入れた作品同士が大量に競争し、また新しい攻略法が必要になる。
最終的に一番安定して需要があるのは、
「最新の攻略法を教えるコンテンツ」
になる。
だったら一度、逆に考えてみてもいい。
200再生しかされなかった作品。
400再生にも届かなかった映像。
アルゴリズムが次の推薦へ運ばなかった音楽。
そこには本当に「品質の低いコンテンツ」しかないのだろうか。
もしかすると、
最適化されなかった作品
が大量に眠っているだけなのかもしれない。
もしそうなら、次に必要なのは新しい攻略法ではない。
攻略されていないものを発見する仕組み
なのではないだろうか。

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