一般人とプロは過大評価され、趣味人は評価すらされていない
AIによって「誰でもクリエイターになれる時代」が来る。
そんな話をよく聞く。
一方では、
「AIで作った70点のものでは、いずれ満足できなくなる」
「最終的にはプロが作った90点、100点のものに戻ってくる」
という話もある。
どちらも、少し違う気がしている。
一般人を過大評価しているし、プロも過大評価している。
そしてその一方で、昔から存在していた「趣味人」は、過小評価どころか、そもそも評価対象に入っていない。
一般人は、自分が何なら満足するのかを知らない
「AIを使えば、自分の欲しいものを自分で作れる」
これは一見もっともらしい。
でも、作る技術が手に入ったからといって、
自分が何を欲しいのかまで分かるわけではない。
ゲームを作れるAIがある。
曲を作れるAIがある。
絵を作れるAIがある。
アプリを作れるAIがある。
では、
「あなたが本当に遊びたいゲームを作ってください」
と言われたとき、どれだけの人が具体的に答えられるだろう。
ジャンルは?
何が楽しい?
既存作品の何が不満?
どんな操作感がいい?
どこまで複雑なら楽しい?
何を削るべき?
何を絶対に残したい?
完成品が出てきたとき、
「なんか違う」
までは言えても、
何が違って、どう直せば自分が満足するのか
まで分かる人は、それほど多くない。
一般人は、すでに存在している満足から選ぶことには慣れている。
しかし、
自分自身の満足条件をゼロから定義することには慣れていない。
AIが制作能力を与えても、満足条件まで自動的に生まれるわけではない。
プロもまた、満足をすべて知っているわけではない
ではプロなら分かるのか。
これも少し違う。
もちろんプロには技術がある。
経験もある。
何をどう組み合わせれば一定以上の品質になるのかを知っている。
しかしプロが特に詳しいのは、
市場ですでに成立している満足条件
ではないだろうか。
このUIなら使いやすい。
この展開なら盛り上がる。
このデザインなら受け入れられる。
このゲームシステムなら売れる可能性がある。
この曲調ならこの層に届く。
過去に大量の試行錯誤が行われ、市場で答え合わせされた知識が蓄積されている。
プロは、それを高い精度で再現できる。
これは間違いなく能力だ。
ただし、
まだ市場に存在していない満足条件まで知っているわけではない。
市場にないものは、過去の成功事例にもない。
データにもない。
顧客アンケートにもなかなか出てこない。
だからプロだから未知の満足を作れる、とは限らない。
むしろ仕事である以上、
「それ、本当に需要ありますか?」
という問いから完全に自由になることは難しい。
そこで、昔から存在していた変な人たちがいる
趣味人である。
欲しいゲームがないから作る。
欲しいツールがないから作る。
聴きたい曲がないから作る。
気に入るMODがないから自分で作る。
誰かに頼まれたわけではない。
市場調査をしたわけでもない。
売れる保証もない。
ただ、
「俺はこれが欲しい」
という理由で作る。
この人たちは、昔からいた。
ところが市場から見ると非常に評価しづらい。
売上がない。
商業実績がない。
フォロワーもいない。
再生数もない。
受賞歴もない。
そもそも公開すらしていないこともある。
だから「過小評価されている」という表現さえ少し違う。
評価されていないのではなく、評価する必要がなかった。
本人が自分のために作り、自分で満足しているからだ。
でも、この人たちは一つだけ特殊なものを持っている
自分の満足条件である。
一般人は、市場に並んだ満足を選ぶ。
プロは、市場で確認された満足を高い精度で作る。
趣味人は、
「市場にはないけれど、自分なら満足するもの」
を探している。
しかも、それを何度も試している。
作る。
違う。
直す。
まだ違う。
また作る。
ようやく、
「これだ」
となる。
市場価値があるかは分からない。
しかし少なくとも、
一人の人間を本当に満足させたもの
ではある。
これは案外重要なことだと思う。
AIが加速するのは「誰でも」ではない
ここでAIが登場する。
すると、この趣味人の性質が急に重要になる。
これまでは、
「こういうゲームが欲しい」
と思っても、プログラミングを覚える必要があった。
絵も必要だった。
音楽も必要だった。
何年もかかる。
だから頭の中に100個のアイデアがあっても、人生で作れるのは数個だったかもしれない。
AIはこの制約を猛烈な勢いで削っている。
重要なのは、
AIがこの人に創造性を与えたわけではない
ということだ。
欲しいものは最初からあった。
違和感もあった。
満足条件もあった。
作りたいという欲求もあった。
ただ作るのが大変だった。
AIによって変わったのは、
試せる回数である。
一年に一つしか試せなかった人が、十個、百個と試せるようになる。
だからAI時代を、
「誰でも作れる時代」
と表現すると、少し本質を外している気がする。
むしろ、
昔から自分のために作っていた人が、とんでもない速度で作れる時代
なのではないだろうか。
「俺だけの100点」が市場を作る
そして、この大量の個人的な創作の中から面白い現象が起こる。
ある趣味人が、
「俺にとってはこれが100点」
というものを作る。
本人は満足した。
それで目的は達成している。
ところが公開してみたら、誰かが言う。
「これ、俺も欲しかった」
もう一人が言う。
「なんで今までこれがなかったんだ」
さらに100人が使い始める。
ここで初めて、
個人的な満足が、市場の満足になる。
最初から市場を狙ったわけではない。
市場調査から生まれたわけでもない。
一人の人間が自分自身を満足させようとして見つけた条件が、偶然ほかの人間の満足条件とも重なった。
そこで初めて需要が観測される。
つまり、
市場 → ニーズ → 制作 → 満足
だけではなく、
個人の不満 → 制作 → 個人の満足 → 他人も満足 → 市場
という逆方向の流れが成立する。
AIは、この後者を極端に安くする。
市場は「作らせる場所」から「探す場所」になるかもしれない
そうなると、市場の役割まで変わる。
これまでは、
「何が売れるか」を市場が考え、
企画し、
プロに作らせ、
消費者に届ける。
という流れが強かった。
しかし世界中の趣味人が、自分自身のために無数の実験を始めたらどうなるだろう。
企業自身がゼロから満足条件を考えるより、
すでに誰かが発見してしまった満足を探した方が早い
という状況が増えるかもしれない。
「この人が自分用に作っている変なツール、実は10万人欲しいんじゃないか」
「この妙なゲームシステム、本人しか遊んでいないけれど面白いぞ」
「この人が自分のために作った曲、同じ感覚を持つ人が世界中にいるぞ」
市場はそれを見つけ、整備し、流通させ、大規模化する。
つまり、
市場が満足を定義して作らせる
のではなく、
個人が勝手に発見した満足を市場が拾い集める。
そんな方向へ偏移する可能性がある。
一般人とプロは過大評価され、趣味人は評価すらされていない
一般人は、AIさえあれば自分の満足を作れると期待されている。
しかし、制作能力と「自分が何なら満足するのかを知っていること」は別だ。
プロは、一般人には作れない本当に満足できるものを作れると期待されている。
しかしプロが特に強いのは、すでに市場で確認された満足を高品質に実現することだ。
そのどちらにも当てはまらない人がいる。
市場なんて見ず、
頼まれてもいないのに、
昔から勝手に何かを作っていた趣味人だ。
彼らは評価されなかった。
というより、
評価される必要がなかった。
自分が欲しいから作っていたのだから。
しかしAIによって制作上の制約が小さくなったとき、最も大きく変わるのは、この人たちなのかもしれない。
一般人は満足を選ぶ。
プロは既知の満足を作る。
趣味人は、自分の満足を発見する。
そして、その個人的な満足が誰かの充足まで満たした瞬間、
そこに今まで存在しなかった市場が生まれる。
AI時代に重要なのは、「誰でもクリエイターになること」でも、「結局プロが勝つこと」でもない。
昔から自分のために作り続けていた人たちの試行回数が、突然何十倍にもなることなのだ。
