予測市場が盛況という話を聞いて感じた違和感

NHKを見ていたら、アメリカで「予測市場」が拡大しているという話をしていた。
スポーツの優勝チームを予測したり、選挙の結果を予測したり、将来起きる出来事に対してお金を賭ける。
そこで実際に生計を立てている人も紹介されていた。
「予測するのが得意です」
「データを集めることが重要です」
そんな話をしていた。
なるほど。
……いや、これギャンブルでは?
というのが最初に感じた違和感だった。


「予測市場」という名前にすると急に知的になる

もちろん、予測市場の仕組み自体は面白い。
たとえば、
「Aチームが優勝する」
という結果に対して市場が成立し、参加者がYESとNOを売買する。
YESが70セントで取引されていれば、市場はおおよそ70%程度の可能性を織り込んでいる、と見ることができる。
市場参加者は情報を集め、自分なりに確率を推定する。
市場価格より実際の確率が高いと思えば買い、低いと思えば売る。
確かに金融市場っぽい。
しかし、これを別の言葉にすると、
「試合結果を予想するためにデータを集め、オッズと自分の予想を比較してお金を賭ける」
とも言える。
競馬を本気でやっている人だって同じだ。
血統を見る。
馬場を見る。
過去のタイムを見る。
騎手を見る。
調教を見る。
そしてオッズと自分の予測との差から期待値を考える。
だから、
データ分析をしていることと、ギャンブルであることは別に矛盾しない。
ところが「予測市場トレーダー」と呼んだ瞬間、急に高度な金融活動のように聞こえる。
ここがまず面白かった。
個人がそれで生活しているだけなら別にいい
とはいえ、個人が予測市場で生活していること自体には、それほど違和感はない。
競馬で生活する人がいてもいい。
ポーカーで生活する人がいてもいい。
予測市場で生活する人がいてもいい。
自分のお金を使って、自分の分析能力で勝負しているだけなら、それは本人の選択だ。
気になったのは、
「アメリカで予測市場が急速に拡大している」
という部分だった。
市場そのものが社会的な存在になってくると、単なるギャンブルとは少し違った問題が出てくる。

予測市場は「世論」ではない

予測市場の面白さとして、「集合知を利用できる」という説明がある。
たしかにアンケートとは違う。
「Aが勝つと思いますか?」
と聞くだけなら、適当に答える人もいる。
しかし実際にお金を賭けるとなれば、もう少し真剣に考えるだろう。
ただし、これを「世論」と考えるのは少し危険だと思う。
世論調査なら、基本的には一人一票に近い。
予測市場は違う。
極端に言えば、
一人一票ではなく、一円一票である。
資本を多く持っている人ほど、市場価格に大きな影響を与えられる。
それでも普通の市場なら、価格がおかしくなれば逆張りする人が現れる。
「そんなに高い確率ではない」
と思う人が反対側を買うので、価格はある程度修正される。
市場原理としてはそれでいい。
しかし、ここで一つ疑問が出てきた。

市場の外で利益を得る人が参加したらどうなるのか

たとえば、
「ある企業の商品が100万個売れるか」
という予測市場があったとする。
市場では成功確率50%と評価されている。
そこで、その企業自身、あるいは企業と利害関係のある人がYESを大量に買ったらどうなるだろう。
市場価格は上がる。
すると、
「予測市場では成功確率70%」
になる。
さらに買えば、
「成功確率80%」
になるかもしれない。
当然、
「80%は高すぎる」
と考える人が反対側から入ってくる。
普通の投資家なら、ここで買い支えるのは損になる。
しかし企業にとっては事情が違う。
なぜなら、その損失を広告費として考えることができるからだ。

市場で負けても、広告として勝てばいい

仮に企業が予測市場で5000万円損したとする。
普通のトレーダーなら大失敗だ。
しかし、その結果、
「市場ではこの商品の成功確率80%」
という数字が作られたとする。
それがニュースになる。
SNSで拡散される。
「市場が成功を予測している」
という評判が生まれる。
それによって商品の売上が1億円増えたならどうだろう。
企業全体では利益になる。
すると企業側は、逆張りする人に対してこう言える。
「どうぞ儲けてください。こちらは広告費として払っていますので」
という状態になる。
ここまで来ると、市場価格を正しい方向へ戻すはずの裁定取引だけでは十分ではない。
普通の市場参加者は、
市場の中で儲けること
を目的にしている。
しかし予測対象になっている企業や政治家などは、
市場の外で利益を得ること
ができる。
両者は同じゲームをしていない。


「市場がそう予測している」が広告になる

普通の広告なら分かりやすい。
「この商品は素晴らしいです」
と企業が言えば、
「広告だからそう言うよね」
と判断できる。
しかし、
「予測市場では成功確率82%です」
となると、少し印象が変わる。
企業の主張ではなく、
「市場参加者による集合的な評価」
のように見えるからだ。
さらに、
「成功確率が60%から82%へ急上昇」
となれば、それ自体がニュースになる。
つまり予測市場が巨大化すると、
市場価格そのものがマーケティング媒体になる可能性がある。
SNSでフォロワー数や再生数が「人気の証明」として利用されるのと少し似ている。
数字が人気を測る。
だから数字に価値が生まれる。
数字に価値が生まれるから、数字を作ることにお金を使う人が現れる。
そして、その数字を見た人が本当に人気だと思う。
予測市場でも同じことが起きないだろうか。

未来を測っているのか、未来を動かしているのか

予測市場が小さいうちは、
「未来を予測する面白い仕組み」
で済むと思う。
しかし市場が巨大化し、その数字をテレビや新聞やSNSが頻繁に引用するようになると状況が変わる。
市場価格が人間の行動に影響するからだ。
「A候補の当選確率70%」
という数字を見て、投票行動が変わるかもしれない。
献金する人が増えるかもしれない。
「この商品が100万個売れる確率80%」
という数字を見て、購入する人が増えるかもしれない。
投資家が動くかもしれない。
取引先が動くかもしれない。
すると、
予測市場 → 報道 → 人間の行動 → 現実 → 予測市場
という循環が生まれる。
予測市場は未来を観測しているだけではなくなる。
観測結果そのものが未来へ干渉し始める。

だから「市場拡大」を単純に喜んでいいのか分からない

予測市場には有用な使い道もあると思う。
経済指標。
政策。
技術開発。
商品の需要。
さまざまな人が持っている情報を価格へ集約する仕組みとして考えれば面白い。
しかし、
取引量が増えた=社会の予測能力が向上した
わけではない。
単純に、
世の中のあらゆる出来事にお金を賭ける人が増えた
だけでも市場規模は拡大する。
スポーツ。
選挙。
芸能。
企業。
商品。
政治。
経済。
ニュースになるものなら何でも市場にできる。
SNSが「あらゆる出来事を反応の対象」にしたとすれば、予測市場は、
あらゆる出来事を賭けの対象にする
ことができる。
そこへ広告、政治、金融、メディアまで接続されたらどうなるのだろう。

「未来を予測する市場」なのか

NHKを見ながら最初に感じたのは、
「これ、ギャンブルでは?」
という単純な違和感だった。
しかし考えていくと、むしろ市場が大きくなった後の方が気になってきた。
予測市場が本当に未来を予測するためだけの場所なら面白い。
しかし市場価格そのものに社会的価値が生まれれば、当然、その価格を利用したい人が現れる。
資本を持つ企業。
政治家。
広告会社。
メディア。
投資家。
そして市場参加者。
それぞれが違う目的で同じ数字を利用するようになる。
そうなると、これは単なるギャンブル市場でも、単なる金融市場でもない。
「未来への期待値そのものを売買する市場」
になっていくのかもしれない。
「アメリカで予測市場が盛況です」
そのニュースを聞いて、
未来を予測できる便利な時代になったな、とはなぜか思えなかった。
むしろ、
未来まで市場にして賭け始めたのか。
そんな妙な違和感の方が残った。

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