SlopとはAI生成物ではない。「意思のない生成物」である

AI生成物が増えると、よくこんな話が出てくる。
「AI slopが大量に増える」
「AIがAI生成物を学習したら、どんどん劣化する」
「オリジナルがなくなり、コピーのコピーだけになる」
この懸念自体は分からなくもない。
ただ、どうも「AI生成物」と「slop」を同じものとして扱っているところに違和感がある。
僕はむしろ、
Slopとは、人の意思が介入していない生成物ではないか
と思う。
そしてこれは、AIを使ったかどうかとは関係ない。


手で作ってもslopは作れる

例えば人間が8時間かけてイラストを描いたとする。
手描きである。
AIは一切使っていない。
でも、
「なぜこれを描いたの?」
と聞いたとき、
「毎日投稿した方がアルゴリズムに評価されるから」
「このキャラクターが流行っていたから」
「この構図が伸びると聞いたから」
だけだったらどうだろう。
もちろん、それだけで作品に価値がないとは言わない。
ただ、少なくとも「人間が手で作った」という事実だけを根拠に、そこへ強い創作的意思が存在したとは言えない。
逆もある。
AIに、
「夜の森林。巨大な生物が何千年も前に眠った痕跡が地形として残っている。その時間の長さを感じる静かな音楽」
と要求する。
何十曲も生成する。
違うものを捨てる。
一曲を選ぶ。
一部をExtendする。
ゲームの場面に合わせて修正する。
昼には合わないから夜のシーンへ配置する。
これはAIが音を生成している。
しかし、
なぜ作るのか。
何を残すのか。
何を捨てるのか。
どこで使うのか。

には人間の意思がある。
ならば「AIだからslop、人力だから創作」という分類は、かなり雑なのではないか。

Slopとは「出力すること自体が目的になったもの」

僕が考えるslopは、むしろこういうものだ。
出力すること自体が目的化した生成物。
AIで1000曲作って、そのまま1000曲配信する。
なぜその曲なのかは分からない。
何を表現したかったのかもない。
良いと思って選んだわけでもない。
単に、
「1000曲出せばどれか再生されるだろう」
というだけ。
これは確かにslopだと思う。
しかし問題は、同じことを人間もずっとやってきたことだ。
SEO記事。
トレンド便乗動画。
毎日投稿のためだけの投稿。
人気作品の大量カバー。
アルゴリズムに好かれる構成。
クリックされるタイトル。
「この形式が伸びる」と聞いて大量生産されるコンテンツ。
AI以前から存在していた。
つまりAIはslopを発明したわけではない。
すでにslopを報酬化していた市場へ、異常に高速な生産装置を持ち込んだだけだ。

「AIがAIを学習すると劣化する」は本当なのか

ここにも同じ問題がある。
AIが生成したものを無条件で次のAIへ食わせ続ける。
生成。
再学習。
生成。
再学習。
これを延々繰り返せば、分布が狭くなったり、ノイズが増幅されたりする可能性は当然ある。
でも、その間に人間が入ったらどうだろう。
100曲生成する。
99曲捨てる。
1曲を選ぶ。
修正する。
別のものと組み合わせる。
用途を与える。
そして、それが次の学習データになる。
これは単純なコピーではない。
生成 → 選択 → 変異 → 選択 → 蓄積
になっている。
特に重要なのは「選択」だと思う。
100曲全部を次の学習データへ入れるのと、
100曲から人間が3曲だけ選ぶのでは、
データとして意味が違う。
後者には、
「人間はこの3曲を残す価値があると判断した」
という新しい情報が加わっている。

意思とは情報なのではないか


創作における意思は、かなり大きな情報だと思う。
「なぜこれを選んだのか」
「なぜここを変えたのか」
「なぜこの組み合わせなのか」
「なぜこの場面で使ったのか」
「なぜ99個を捨てて、これだけ残したのか」
こうした選択の積み重ねによって、元の生成物には存在しなかった情報が追加される。
だから、
AI生成物 + 人間の選択 + 編集 + 文脈
は、元になったデータの単純コピーとは言えなくなっていく。
これは人間の文化も同じだ。
人間だって無から作品を作っているわけではない。
過去の音楽を聴く。
影響を受ける。
真似する。
違うものを組み合わせる。
気に入らないものを捨てる。
少し変える。
新しい用途を与える。
それが次の世代に伝わる。
文化そのものが、
模倣と変異と選択の連続
だったとも言える。

AI生成物が増えるほど「出どころ」は薄まっていく

今はまだ、
人間の作品

AIが学習

AI生成物
という単純な図に見える。
しかし今後は、
人間作品

AI生成

人間が選択・編集

別のAIが学習

AI生成

別の人間が加工

さらにAIが学習
となる。
そのうち、
人間 → AI → 人間 → AI → AI → 人間
という巨大な循環になる。
そうなったとき、
「この音楽的特徴は、30年前のこの曲が起源だ」
と特定すること自体がどんどん難しくなる。
しかもAI生成物が世界中に増え続ければ、次世代モデルが学習するデータの中でAI由来のものが占める割合も増えていく。
特定の商業カタログの影響は、相対的には薄まっていく。
だから将来重要になるのは、
誰から一度でも影響を受けたか
ではなく、
直接コピーしたのか。
直接どのデータを利用したのか。
どんな変換と選択が行われたのか。

という、もっと近い因果関係なのかもしれない。

オリジナルとは「無から作ること」ではない

そもそも完全な無から生まれた作品なんて、人間にもほとんどない。
ならオリジナル性とは、
過去に存在しなかった材料を使うこと
ではなく、
既存の材料に新しい意思決定を加えること
なのではないか。
同じAIを使っても、
Aさんは全部保存する。
Bさんは100個から1個を選ぶ。
Cさんはそこから一部分だけ取り出して別作品へ組み込む。
Dさんはゲーム世界の文脈に合わせて意味を与える。
結果は全部違う。
AIが生成した「素材」以上に、
人間が可能性空間のどこを選んだか
が作品になっていく。

本当に警戒すべきなのはAIではなく「意思のない大量供給」

だから僕は、slopをAI生成物の同義語として使うのは違うと思っている。
AIを使っていても意思のある作品は作れる。
人間が全部手作業していても、意思のないslopは作れる。
問題なのは制作手段ではない。
なぜそれを作ったのか。
なぜそれを残したのか。

そこに答えが存在するかどうかだ。
そして皮肉なことに、現在のSNSや配信サービスは長年、
「毎日投稿しろ」
「もっと出せ」
「トレンドに乗れ」
「アルゴリズムに合わせろ」
「この形式なら伸びる」
と、人間に意思より供給量を優先させてきた。
その環境へAIが登場した。
だから大量のslopが発生した。
だとすれば問題は、
AIが人間の創作を壊したことではない。
もしかすると、
人間の意思を必要としないコンテンツほど報酬を得られる市場を、僕たちが先に作ってしまっていたこと
なのかもしれない。
AIはそれを壊したのではなく、
その構造を、誰の目にも分かる速度まで加速しただけなのだ。

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