再生数が人気なら、新宿駅前で騒音を流せば人気曲になる

AI音楽が増えている。
すると、よくこんな話が出てくる。
「AI slopが大量に配信される」
「低品質な曲がストリーミングを埋め尽くす」
「大量生成を制限しないと音楽市場が壊れる」
たしかに、大量生成した曲を大量に配信して、偶然の再生から収益を得ようとする行為は問題になり得る。
でも、ここで少し疑問がある。
なぜ「流れた」というだけで金になるのだろう。
そしてもっと根本的には、
なぜ私たちは再生数を「人気」や「価値」だと思っているのだろう。


新宿駅前で曲を流してみよう

極端な例を考えてみる。
新宿駅前に巨大なスピーカーを置く。
そこで自作曲を一日中流す。
ものすごい数の人が通る。
本人たちは別に聴きたくない。
買い物へ行きたいだけかもしれない。
会社へ向かっているだけかもしれない。
待ち合わせしているだけかもしれない。
それでも曲は耳に入る。
仮に100万人の耳に入ったとしよう。
では、この曲は、
「100万人に聴かれた大人気曲」
なのだろうか。
たぶん違う。
むしろ、
「新宿駅前で100万人に騒音を浴びせた人」
になる可能性の方が高い。
ところがデジタル空間へ移動すると、なぜか話が変わる。
100万回流れた。
100万再生だ。
人気曲だ。
数字だけを見ると、そんな物語が成立してしまう。

「耳に入った」と「聴いた」は違う

本当は、
「音が耳に入った」
「存在を認識した」
「少し聴いた」
「最後まで聴いた」
「自分から選んで聴いた」
「もう一度聴きたいと思った」
「作者を探した」
「保存した」
「作品を買った」
「ライブへ行った」
は全部違う。
ところが「再生数」という数字は、それらをかなり乱暴に一つへまとめてしまう。
特に推薦アルゴリズムが選曲する環境では、
本人が積極的に探していない曲まで勝手に流れてくる。
それでも一定の条件を満たせば「再生」として記録される。
だとすると再生数とは、人気そのものというより、
「その音源が人間の耳に接触した回数」
に近いのではないか。
新宿駅前のスピーカーと、本質的にどこまで違うのだろう。

AI slopは原因なのか

ここでAI音楽の話へ戻る。
生成AIによって、音楽を作るコストは猛烈に下がった。
一日に10曲でも100曲でも作れる。
だから大量に作って配信する人が現れる。
そして、
「AIによる大量生成が問題だ」
と言われる。
でも、本当にそうだろうか。
AI以前から、ホワイトノイズ、雨音、睡眠用環境音などを大量にアップロードするビジネスは存在していた。
なぜそんなことをするのか。
簡単だ。
流れれば金になるからだ。
大量に置く。
どれかが検索される。
どれかがプレイリストに入る。
どれかが流れる。
微額でも収益になる。
だったら大量に置くことには経済合理性がある。
AIはこの仕組みを発明していない。
単に、
「大量に置けば確率的に金になる市場」
へ、
「ほぼ無限に音源を作れる機械」
を接続しただけだ。
問題が一気に巨大化したので、今まで存在していた構造的な欠陥が見えるようになった。

生成を制限するのは蛇口が違う

そこで、
「生成回数を制限しよう」
「ダウンロード数を制限しよう」
という話になる。
しかし、これは妙だ。
一人がパソコンの中に1万曲保存していたとして、誰が困るのだろう。
ゲーム開発者が500曲生成して、自分のゲームで使ったら市場が汚染されるのだろうか。
映像制作者が100曲作って、そのうち3曲だけ採用するのは問題なのだろうか。
実験音楽が好きな人が毎日50曲作って楽しむことを制限する必要があるのだろうか。
ない。
問題になるのは、
大量生成
→ 大量配信
→ 偶然流れる
→ 流れただけで収益になる

という後半部分だ。
だったら制限する蛇口は「創作」ではなく、収益化の仕組みではないか。
流れれば勝ち、をやめればいい
もし大量にアップロードしても、それだけでは儲からないならどうなるだろう。
収益目的で無差別に1万曲を投入する意味は薄くなる。
それでも1万曲作りたい人は作ればいい。
作ること自体が楽しい人。
研究している人。
ゲームに必要な人。
映像素材として使う人。
自分専用の音楽が欲しい人。
そういう人には何の問題もない。
一方、
「大量に流せばどれかが再生されて金になる」
ことだけを目的としていた人は離れていく。
そして音楽で収益を得たいなら、
「なぜこの人の曲を聴くのか」
「なぜもう一度聴きたいのか」
「なぜこの作者を追うのか」
「なぜこの作品に金を払うのか」
を考える必要が出てくる。
それは別にAIに厳しい世界ではない。
むしろ普通の商売である。

再生数という数字を疑ってみる

100万人に偶然流れた曲。
100人しか知らないけれど、そのうち80人が翌日もう一度自分から探して聴いた曲。
どちらが「人気」なのだろう。
少なくとも、単純に
100万 > 80
とは言えないはずだ。
再生数は便利だ。
数字だから比較できる。
ランキングにもできる。
広告にも使える。
収益分配にも使いやすい。
しかし、測りやすいものと、測りたいものは同じではない。
私たちは「再生数」という測りやすい数字を、いつの間にか「人気」「価値」「支持」と読み替えてしまったのではないか。
AI音楽の大量生成は、その矛盾を極端な形で見せているだけなのかもしれない。
AIが音楽を壊しているのではなく、
「流れた回数に価値を与える」という既存の仕組みが、無限供給時代に耐えられなくなっている。
そう考えた方が自然ではないだろうか。
再生数だけで人気を測るなら、話は簡単だ。
良い曲を作る必要なんてない。
新宿駅前へ行って、一番大きなスピーカーで一日中流せばいい。
通行人は嫌でも聴いてくれる。
それで100万人の耳に入ったなら――
今日からあなたも、100万再生の人気アーティストだ。

いいなと思ったら応援しよう!