ちいかわを観て、世界のことを考えた。――自然の摂理、善悪、死、そして「それでも幸せに生きる」ということ
映画『ちいかわ』があまりに衝撃的だったので、観てから約2週間、ちいかわを通してあれやこれやと考え続けた。
ようやく少し自分の中で整理できてきたので、忘れたくないこの気持ちを、noteに載せてみる。
まずは、映画を観た直後の気持ち。
涙が出そう。
でも、悲しいとも違う。
怖い?
……「怖い」だけでは到底表しきれない。
そして、もはや「かわいい」という感情は皆無だった。
いや、もちろんキャラクターはかわいい。
かわいいんだけど、それどころではない。
ちいかわの「かわいさ」を中心に楽しんでいた幼い娘は、映画館を出て放心している私を、不思議そうな顔で見ていた。
でも、観てよかったのは間違いない。
……むしろ、ものすごく観てよかった。
ただ、あまりに強烈だったせいで、直前に観た『トイ・ストーリー』の内容が、もうほとんど頭から抜けてしまった。
あれもよかったのに。
それくらい、『ちいかわ』が頭の中に残った。
ちいかわ映画は、忘れたくない。
せっかくなので、忘れてしまう前に、今の自分なりの解釈を残しておこうと思う。
1.善悪って、なんだろう
映画を観てまず考えたのが、「善悪」について。
最初は、セイレーンが怖い存在として見える。
でも、セイレーンにはセイレーンの事情がある。
人魚を失ったことへの思いがあり、それを取り戻そうとしている。
一方、人間側にも、大切な人を救いたいという願いがある。
つまり、こちらから見れば「ひどいこと」をしている人も、その人の側から見れば、それなりの理由や正義に基づいて動いているのかもしれない。
「悪い人がいる」というより、「それぞれの立場から見た正しさがぶつかっている」
そんなふうに感じた。
そしてこれは、映画だけの話ではない。
現実の世界でも、自分から見えているものがすべてではない。
相手には、自分には見えていない事情があるかもしれない。
2.人魚を食べることは「悪」なのか
映画の中で特に印象に残ったのが、さっきまで楽しく遊んでいた人魚が、煮付けになっていたこと。
これは本当に怖かった。
でも、そこから考えてみると、人魚自身は、人間でいう牛や豚、魚のような「食べられる生き物」として存在しているのかもしれない。
人魚が、人間に対して憎しみを持っているようには見えなかった。
そして、セブンイレブンにちいかわデザインの「煮付け」が並んでいるような世界観も含めると、
「他の命をいただいて生きること自体は、この世界では当たり前」
なのではないかと思った。
魚を食べることも、生態系の中では自然なこと。
だから、
「人魚を食べた=悪」
という単純な話ではないのかもしれない。
問題は、その先。
3.自然の摂理に反すること
生き物が別の命をいただいて生きる。
生まれて、食べて、生きて、そして死ぬ。
それは自然界の当たり前の循環。
でも、人間はその自然の摂理に抗おうとする。
「大切な人を死なせたくない」
「永遠に生きたい」
そう願うこと自体は、とても自然な感情だと思う。
でも、
「永遠の命を手に入れることは、本当に幸せなのか?」
「そこまで望んでいいのだろうか?」
という疑問が残る。
死は悲しい。
でも、死そのものが自然の一部でもある。
そこから逃れようとすることが、自然の循環を壊すことにつながるのだとしたら――。
「死なないこと」は、必ずしも幸せではないのかもしれない。
むしろ、映画を観て感じたのは、
「死をなくすこと」ではなく、「死がある世界をどう生きるか」
という問いだった。
4.セイレーンは「復讐者」なのか、それとも「自然災害」なのか
もう一つ気になったのが、セイレーンについて。
セイレーンを「人間への憎しみを持つ復讐者」と考えることもできる。
でも、もし違うとしたら?
セイレーンは、人間のような「怒り」や「善悪」によって動いているのではなく、自然災害のような存在なのではないか。
台風や地震は、人間を憎んでいるわけではない。
ただ、自然の中で起きる。
そう考えると、
人魚の世界が人間によって脅かされる
↓
自然のバランスが崩れる
↓
セイレーンという災害が起こる
↓
その結果、大切な人魚が失われる
↓
人間が死に抗おうとする
↓
さらに自然の摂理から外れる
↓
また新たな災害を引き起こす
という循環にも見える。
つまり、
「自然の摂理に逆らえば、自然が揺り戻してくる」
という物語なのかもしれない。
セイレーンは「怒っている」のではなく、ただ「起きている」。
そう考えると、さらに怖い。
5.人魚は何を思っていたのだろう
人魚たちには、強い憎しみや復讐心があまり感じられなかった。
表情も、私には感情が読み取りにくかった。
だからこそ、
「人魚たちは何を思っていたんだろう」
と考えてしまう。
人魚自身には、
「人間が憎い」
という物語はなくて、
ただ生きて、遊んでいた。
なのに、周囲の存在によって、
「大切な仲間」
「食べ物」
「永遠の命を得るためのもの」
「復讐の理由」
という意味を与えられていく。
人魚自身が何も望んでいないのに、他者の欲望や悲しみの中に巻き込まれてしまう。
だから、あの煮付けの場面が余計に怖かった。
6.それでも、のほほんとした幸せは存在する
ここが、この映画について考え続けて、最後に自分の中で一番大きく残ったこと。
同じ世界のどこかで、
大切なものを失っている人がいる。
自然の脅威がある。
生きることも、死ぬこともある。
正しさと正しさがぶつかる。
そんな世界なのに、
ちいかわたちは遊んでいる。
おいしいものを食べる。
友達と笑う。
好きな歌を歌う。
ラップをする。
今日を楽しく過ごす。
大きな世界の問題と、小さな日常の幸せが、同時に存在している。
それは現実の私たちの世界も同じなのかもしれない。
自分が知らないところでは、大きなことが起きている。
自分には見えていない世界がたくさんある。
それでも、自分の今日には、
「おいしい」
「楽しい」
「嬉しい」
がある。
それは、世界の問題を知らないから生まれる幸せではない。
世界がどんなものであっても、人はその中で小さな幸せを見つけて生きていける。
7.映画を観終わったあとに残ったもの
最初は、ただただ、
「なんなんだ、この映画は……」
という放心状態だった。
でも、考えていくうちに、
自然の摂理に反することとは何か。
永遠の命は本当に幸せなのか。
善悪とは何なのか。
自分が見ている世界が、世界のすべてなのか。
そして、そんな世界の中でどう生きるのか。
そんな問いを投げかけられたように感じた。
そして最後に残ったのは、
「それでも、日々の暮らしには幸せがたくさんある」
ということ。
世界が怖いことを知ることと、毎日を幸せに生きることは、矛盾しない。
大きな世界の摂理なんて、全部理解できなくてもいい。
今日、友達と笑えた。
おいしいものを食べられた。
好きな歌を聴けた。
誰かと一緒にいられた。
それでいい。
『ちいかわ』は、「かわいい」だけじゃなかった。
むしろ、
世界は思っているよりずっと複雑で、怖い。
でも、
その世界の中で、小さな幸せを抱えて生きていくこともできる。
そんなことを、あの愛らしいキャラクターたちに教えられた気がする。
……ナガノさん、何者なの?やっぱりちょっと怖い。
でも、すごい作品だった。
