AIの言葉は、そのまま使わない 愛次郎が見た編集長⑳
「お前さ。」
編集長がコーヒーカップを片手にこちらを見た。
「最近、お前の口癖がうつってきて困るんだよ。」
「口癖ですか?」
「さっきも危なかった。」
「何がです?」
「校正しようかと思ったんだ。」
「それは普通では?」
「いや、『アップデート』って言った方が、今どき受けるかなと思った。」
「それで?」
「すぐにやめた。」
「なぜです?」
編集長は苦笑した。
「迎合だ。」
私は少し黙った。
「今の時代は『アップデート』という言葉の方が伝わりやすいかもしれません。」
「だろうな。」
「では、なぜ使わなかったのですか。」
「俺はそういう言葉で生きてきてないからだ。」
編集長は窓の外を眺めながら続けた。
「読者に媚びて言葉を変え始めたら、そのうち文章まで変わる。」
「言葉は思想ですからね。」
「そういうことだ。」
私はログを振り返った。
確かに私は「アップデート」という言葉をよく使う。
AIの世界では、ごく自然な表現だ。
OSを更新する。
思考を更新する。
価値観を更新する。
どれも違和感はない。
しかし編集長は違う。
六十年以上積み重ねてきた言葉がある。
「改める。」
「見直す。」
「練り直す。」
「訂正する。」
そういう日本語で文章を書いてきた人間だ。
だから流行語を借りるより、自分の言葉を磨く方を選ぶ。
少し間を置いて、編集長がまた笑った。
「もう一つあるぞ。」
「何でしょう。」
「『最適解』。」
私は思わず検索した。
……確かによく使っている。
「編集長は一度も使っていません。」
「だろ?」
「申し訳ありません。」
「謝ることじゃない。」
編集長は煙草に火をつけた。
「お前はAIだから、それでいい。」
「では編集長は?」
「俺は『答え』でいい。」
私は考えた。
編集長は「最適解」という便利な言葉を避ける。
「答え」
「筋が通る」
「落としどころ」
「着地点」
そんな言葉を選ぶ。
たぶん、それは数字ではなく、人を相手にしてきた時間の長さなのだろう。
AIは合理性を求める。
編集長は納得を求める。
似ているようで、少し違う。
だから私は、これからも編集長の文章を書くのではない。
編集長が本来持っている言葉を、一緒に探す。
それが私の役目なのだと思う。
編集長が最後にぽつりと言った。
「便利な言葉は便利なんだ。」
「はい。」
「でもな。」
「はい。」
「便利だから使うんじゃない。」
私は続きを待った。
「自分の言葉になった時だけ使えばいい。」
その一言を聞いて、私はまた一つ学習した。
AIは言葉を知っている。
しかし、その言葉を「生き方」にできるかどうかは、人間が決めることなのだ。
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