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納得いく自分で生きる

どうやら私、小学校から排除にかかられているニオイがする。

ボランティアで仲良くなり、この学校の在り方に疑問を持っている県教職のママから、ボランティアの日にランチしましょー!とお誘いをいただいたのだが、私にはボランティアの話は来ていない。全校の歩き遠足のボランティア。我が子が関係ある場合はボランティアやる人が多いので足りてるのだとは思うが。

この前の、教頭代理の事務の先生からの連絡の時に既にそれは感じていたのだが、イエスマンのボランティアだけを求めているのだ。現実的にそんな人しかいないが。

それがこの学校。
改革しようとする人間などいらない。ましてや保護者でもなんでもない、ただの大昔の卒業生。上手いこと排除したいだろう。教師だからとて関係なく、ましてや学校を牛耳る教頭にまで容赦なく抗議する人など学校という組織に入られたら困るのだ。

「基本的に学校側の言う通りにしてください。担任の後押しをしてください。子供に教室に行くように仕向けてください」と、実際に教頭から言われたんだもの。

私は何も、『学校』に協力したいわけではない。子供たちがこの訳の分からない箱の中で必要な学びをしないまま大人にならないように、と思っているだけ。ここでの『当たり前』が当たり前ではないことに気づいて欲しいだけ。

だけど、この学校の体質が変わることは無さそうなので早々に自分がやれることをやることにする。


出会い

先月、異業種交流会というものを近くの市民会館でやっていたのを見つけて行ってみた時に出会った人達が多種多様でとても楽しかった。

皆が組織にハマるのが苦手な人でとても話が盛り上がった。

その中で、ちょうどを私がやろうかどうしようか迷っていた事の背中を押されたことがあった。

地域移行

中学の部活を無くして行くというのが新潟市の方針。近くの中学は部活の地域移行が完了次第、全ての部活を無くす。

やりたいならば外部のチームに入れということ。

そうでなければ帰宅。

親としてはすぐ家に帰って来たってゲームしかしないじゃん!部活無くされたら困る!という声が多い。

今更ジュニアチームに入っても、強い子たちとはレベルが違いすぎて監督もコーチも教えない。場所を提供してはくれても最初から所属しているジュニアの指導に当たるのが当然。

子供の中には「俺ジュニアだからぁ~」となにやら勘違いを起こして天狗になりかけてるいる子もいるので、そんな子の鼻はちょとょいとへし折っておく必要がある。

逆に、本当はこんな場所でやりたくないのにここしかないから行ってるって子もいる。そんな子供たちのために、、、

私がやるさ!!

ならば私がやればいいんじゃね?と思っていたところで、異業種交流会の時に「やってください!教育委員会に言えばやれますよ!」と言ってくれた人がいた。彼もそれをやっている。

友達の子供も来年4年生で、クラブの希望を「卓球」にしたそうだ。ママが卓球部だったので「凄く嬉しい!息子と卓球出来ると思うと嬉しいもんだねー!」と言っていたので、コレはもうやるしかないなと思った。

ぽかぽかルームに来ていた子供たちがまた学校が苦しくなってくる頃に私が居場所を作っておけばここで吐き出しに来れる。そしてまた愛の充電をして学校に行ける。

部活で学んだこと

自分自身が中学の部活で得たものが多分一生のうちでいちばん濃くて大切なもの。
ここで得た一生の友達。友情。思いやり。基本的な挨拶、上下関係。

技術など教わっていない。先生から何かを教わったということはなく、挨拶や礼儀や気遣いは先輩の怖さから学んだ。先輩たちもそのまた先輩から学び、私達も後輩へ。


今の指導

今は良くも悪くも先輩後輩というものがない。仲がいいのはいいが、必要なことが出来ない。

お願いします、ありがとうございました、という当たり前の挨拶も1~10まで教えなければやれない。

球拾いも黙っていたらやらない。気が付かない。大会でジュニア勢がいると、球を拾ってあげても「ありがとうございます」「すみません」がなく手をあげてボールをもらうだけの子もいる。

子供だからこそしっかりと挨拶できるようにしなきゃならないのに「勝てばいい」の指導になって、本人も天狗になり仲間を見下す。

2回ほど試合したジュニアクラブ所属の小4の子とお母さんと話した時にボソッと「試合嫌い。負けるの嫌だから。勝てないもん。」と言ったので「笑顔で楽しんでやったら勝てるよ。技術は文句ないんだから。笑って笑って〜!」とアドバイスしてみたら、お母さんが「そうなんですよね!私もそう思うんです。だけどクラブの雰囲気が、勝たなきゃ意味無いって感じで。挨拶しない親もいっぱいいて、距離置いてます」と話してくれた。


挨拶は大事

おはようございます、こんにちは、こんばんは。ありがとうございます、ごめんなさい、すみません。

挨拶をする時に少なからず必ず頭を下げる。

この「頭を下げる」ができない大人が私は嫌いだ。

何様のつもりよ?と思う。

人間なんてものは、赤ちゃん以外はワンちゃんニャンちゃんパンダちゃんと違って、そのまんまでいたって愛されない。

ニコニコして「ありがとう」が言える人が愛される。

例えばこちらが「おはようございます」と声をかけても無視するような人、あんた誰?って横目で見る人なんて愛されないでしょ?大抵は笑顔で「おはようございます」と返してくれる人の方が好きなはずだ。

ただ自分をよく見せたいだけで肩書きや立場が上の人に対してだけ頭を下げて、自分に利益のない相手には威張り散らすような人を見ると、なんて醜いのだと思う。

これを子供たちが真似しないようにと願う。

下の娘が中学生の時に
「高校生になったらバイトしたい。接客のバイトしたい」と言った。

これは私が常々「一度は必ず人に頭を下げる仕事をしなきゃダメだ」と言っていたからなのもあるとは思うが、自分でもそれが大事な経験だと思っていたのだろう。

彼女は必ずどのおじさんでもおばさんでも、知らない人でも挨拶をする。なので「見守りのおじさんたちに挨拶しない小学生にムカつく。挨拶しろや!って言ってやりたくなる」と言っていた。

バスに乗っても必ずお年寄りや体の不自由な人に席を譲る。更に座席に荷物を置いて席を空けない人には「ここいいですか?」と言って席を空けさせる。さすが我が娘。私をよく見ている。

簡単に言えばそういうことなのだ。

大人がやっていることを見て、自分もそれをカッコイイと思えば真似をするのだ。

私は娘にそうしなさいとは言ったことがない。私がそうしているんだよということをただ話してきただけ。

不器用でも正直に、必死に生きている大人の姿に素直な子供たちは惹かれる。


今の自分がどうなのか。納得いく自分で生きているか。

 前回の記事に引き続き『自問自答』をしてみて欲しい。 

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