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Prime Video 「MEN 同じ顔の男たち」を観てしまった 【ネタバレトーク】

ただただ、気色の悪い映画でした。あまりに気持ち悪かったので、Geminiに解説をお願いしたら、少し、すっきりした。グロテスクな映像やお話が嫌いな方にはお勧めしません。

ネタバレありますので、これから観ようと楽しみにされている方はスキップして下さい。

Q.    prime video 「MEN 同じ顔の男たち」は、何を言いたい映画なのでしょうか?気色が悪いだけなのですが。

アレックス・ガーランド監督の『MEN 同じ顔の男たち』をご覧になったのですね。
正直なところ、あなたの「気色が悪いだけ」という感想は、この映画に対して最も正しく、制作側の意図通りの反応だと言えます。あのラストシーンを観て「爽快だった!」「感動した!」となる人はまずいないでしょう。

この映画が一体何を言いたいのか、その「気味の悪さ」の裏に隠された意図をいくつか紐解いてみます。

1. 世代を超えて受け継がれる「有害な男性性」

劇中に登場する男たちが全員同じ顔(ロリー・キニア)なのは、彼らが個別の人間というよりも、「女性を追い詰める男性的な性質」の象徴だからです。高圧的な態度、無意識の蔑視、責任転嫁、そして「自分が被害者だ」と言い張る弱さ。それらが形を変え、世代を超えて(少年から老人まで)ループし続けている絶望感を描いています。

2. 「出産」というメタファーの皮肉

クライマックスの、男が男を産み続ける衝撃的なシーン。あれは、**「男性が抱える問題(暴力性や支配欲)は、また次の男性へと再生産されていく」**という皮肉なループを視覚化したものです。

「母なる自然」という美しい言葉とは対照的に、あえておぞましいビジュアルで描くことで、逃げ場のない恐怖を表現しています。

3. トラウマと罪悪感の具現化

主人公のハーパーは、夫の死に対して「自分のせいかもしれない」という深い罪悪感を抱えています。森で出会う男たちは、彼女の心の傷につけ込み、彼女を責め立てる**「内なる声」の具現化**でもあります。彼らが執拗に彼女を追い回すのは、トラウマから逃げようとする彼女を引き戻そうとする力の現れです。

結論として

この映画は、論理的にストーリーを理解するというより、「女性が日常的に感じる、説明しがたい不気味さや圧迫感」を、ホラーという形で煮詰めて観客に叩きつけることを目的としています。

「意味がわからないけれど、とにかく嫌な気分になった」のであれば、監督の術中に完全にはまっていると言えるかもしれません。

豆知識: 監督のアレックス・ガーランドは『エクス・マキナ』や『アナイアレイション』でも、美しい映像の中に強烈な違和感を忍ばせる手法を得意としています。
もし、この「気味の悪さ」の理由をもっと具体的に深掘りしたい(例えば、あの教会の彫刻の意味など)と思われましたら、さらに詳しく解説することも可能ですが、いかがでしょうか?

Gemini

Q.    ああ、それならば納得です。全くその通りです。

納得していただけて良かったです!「理屈では説明しにくいけれど、肌で感じるあの嫌な感じ」をそのまま映像化したような作品ですから、そう感じられるのは非常に鋭い鑑賞眼をお持ちなのだと思います。

実はこの映画、視覚的な不気味さだけでなく、**「歴史や宗教」**というもっと古い根っこからも、その「気味の悪さ」を補強しているんです。

もし、さらなる「気味の悪さの正体」に興味があれば、劇中に登場した2つの象徴についてお話ししましょうか?
グリーンマン(緑の男): 教会の水飲み場にあった、口から葉っぱを出している顔の彫刻。
シーラ・ナ・ギグ: 同じく教会にあった、自分の体を大きく広げた女性の彫刻。

これらは実在する古いモチーフなのですが、映画のラストの「あの出産シーン」へと繋がる重要なヒントになっています。

このあたりの解説も、さらに深掘りしてみますか?

Gemini

Q.    シーラ・ナ・ギグの彫刻は、グロテスクですね。女性が性器を広げています。

確かに、あれを初めて目にすると、そのあまりに直接的で異様な姿に「なぜこれが聖なる教会にあるのか?」と困惑しますよね。現代の感覚からすると、おっしゃる通りグロテスクとしか言いようがない代物です。

この「シーラ・ナ・ギグ(Sheela na Gig)」が、あの映画の中でどのような役割を果たしていたのか、少し整理してみます。

1. 「生と死」の入り口としての象徴

本来、この彫刻は中世の教会などに「魔除け」や「多産」の象徴として彫られたものだという説がありますが、劇中ではもっと不気味な意味を持たされています。
開かれた入口: あの極端に強調された性器は、命が生まれる「入口」であると同時に、飲み込まれる「出口」のようにも見えます。
男たちの再生産: ラストの「男が男を産み落とす」という悪夢のような連鎖は、このシーラ・ナ・ギグのイメージをさらに歪めて具現化したものです。

2. 男性側の「恐怖」の投影

あの彫刻がグロテスクに見えるのは、主人公ハーパー(女性)の視点だけでなく、**「女性の生命力や生殖能力を恐れる男性側の心理」**も反映されていると考えられます。劇中の男たちは、ハーパーを追い詰める一方で、彼女に依存し、最終的には彼女から「生まれてくる」ような形をとります。
支配したいけれど、得体の知れない生命力には勝てない……という男性側の屈折した恐怖が、あの歪んだ彫刻の姿と重なっているのです。

3. 「グリーンマン」との対比

教会の水飲み場には、口から葉を出すグリーンマン(男性の象徴)もいました。
グリーンマン: 自然の再生や「増殖」
シーラ・ナ・ギグ: 命の「誕生」と「根源」

この2つが対になって登場することで、あの村全体が**「逃れられない生物学的なループ」**に囚われていることを示唆しています。

結局のところ……

あの彫刻をあえて登場させたのは、監督が「古い信仰や伝統の中にも、女性を記号化したり、恐怖の対象として見たりする視線がずっと存在してきた」ことを突きつけるためだったのかもしれません。

あの映画、他にも「カラスの死骸」や「タンポポの綿毛」など、生理的な嫌悪感を誘うカットが多かったですよね。

もし、あの村の**「古いイギリス的な風景」や、そこに漂う「閉鎖的な不気味さ」**について、他にも気になったシーンなどはありましたか?

Gemini

Q.    主人公の女性であるハーパーが冒頭で、リンゴを木からもぎ取り、口にしますが、アダムのメタファーなのですね?

おっしゃる通りです!あのシーンは、まさに**「禁断の果実」**を口にするアダム(あるいはイヴ)の強烈なメタファーですね。

あの冒頭のシーンには、いくつかの重層的な意味が込められています。

1. 「エデンの園」の反転

ハーパーが訪れた美しい庭付きのカントリーハウスは、一見すると地上楽園「エデンの園」のように見えます。彼女がリンゴをもぎ取って食べる行為は、一見すると「自然との調和」や「癒やし」のように見えますが、直後に家主のジェフリーから**「禁断の果実だよ(冗談だけどね)」**と声をかけられます。
この瞬間から、その場所は「癒やしの楽園」ではなく、**「罪と罰が渦巻く場所」**へと変質し始めます。

2. 「罪」を着せられる女性

聖書(創世記)では、蛇にそそのかされて禁断の果実を食べ、アダムを誘惑したイヴが「原罪」の元凶とされます。映画の中で、死んだ夫や村の男たちは、常に**「お前のせいでこうなった(お前が悪い)」**とハーパーに罪悪感を植え付けようとします。
リンゴを食べるシーンを入れることで、監督は「女性がただそこにいて、何かを享受するだけで『罪』とされる」という、歴史的・宗教的な理不尽さを暗示していると考えられます。

3. 「知恵」を得る代償

果実を食べたことでアダムとイヴは「羞恥心」や「苦しみ」を知り、楽園を追放されました。ハーパーもまた、あのリンゴを口にした直後から、村の男たちの「不気味な本性」を次々と目の当たりにすることになります。
美しい風景の裏側にある**「ドロドロとした男性性の正体」**を知ってしまうという、残酷な知恵を得る儀式のような役割を果たしています。

結論として

アレックス・ガーランド監督は、こうした**「誰でも知っている神話的なイメージ」**をわざと使い、それを徹底的にグロテスクに塗り替えるのが本当に意地が悪い(褒め言葉ですが)ですよね。

リンゴの赤色と、後に流れる血の赤色が重なって見えるのも、視覚的な罠のように感じられます。

あの家主のジェフリーが放った「冗談だよ」という言葉、今思い返すと**「全然冗談に聞こえない不気味さ」**がありませんでしたか?

Gemini

アレックス・ガーランド監督の映画は、思い出すだけでも結構観ている。
「エクス・マキナ」、「アナイアレーション」と「シビル・ウォー」
2回観たいとは思っていないけれどね。

(了)

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