穏やかな日曜日―11円の誤差【2026/07/26】
ゆっくり起床の日曜日
今日はバレエトレーニングが1時間あるだけで、比較的ゆっくり過ごせる日曜日だった。
目覚ましをかけずに起きて、焦ることなく朝ごはんを食べ、ゆっくり準備をする。
こんなに余裕のある朝は久しぶりだった。
忙しい毎日の中で、何もしない時間というのは意外と貴重なのかもしれない。
本を買うということ
トレーニングの後、娘と一緒に本屋へ立ち寄った。
我が家では、漫画であっても「本」であるなら、読みたいものは買ってよいことにしている。
文学を研究してきた私と、ゲームを作る夫。
そんな私たち親にとって、子どもが本に触れることはとても大切なことだと思っている。
紙の手触り。
ページをめくる時間。
そこに描かれた絵や文字をじっくり眺めること。
少し古い考え方なのかもしれないけれど、本にはデジタルでは得られない良さがまだあると思っている。
娘は同じ漫画を何度も読み返す。
そのおかげなのか、少しでも絵のタッチが違えばすぐに気づくし、街中で「あ、これはあの漫画の場所だ」と背景から発見することもある。
セリフを完璧に覚えていることもある。
文学研究者とゲームクリエイターの親を持てば、こういうオタク気質を受け継ぐのも自然なことなのかもしれない。
レジで起きた小さな出来事
私も気になる本を購入し、娘と合わせて3冊。
ところが、どうやらレジの計算に間違いがあったようだった。
店員さんが確認し、金額を打ち直してくれた。
そして改めてカードで支払いをしたのだけれど、レジに表示されていた金額とカードで支払った金額が数円違っていることに気づいた。
でも、何度も確認して提示された金額だったので、きっと店員さんが正しいのだろうと思い、そのまま支払いを済ませた。
カードの控えは渡してくれたけれど、レシートはなかった。
もしかすると、店員さん自身も不安だったのかもしれない。
私は以前、店じまいの集計で数字が合わない大変さを経験したことがある。
だから、レシートは自分には必要なくても、店員さんには必要なのかもしれないと思い、その場では何も言わず帰った。
家に帰ってから、自分でもう一度計算してみた。
すると、やはり11円ほど誤差があった。
「あの店員さん、大丈夫だったかな」
気づけば、そんなことを心配していた。
知らない誰かを気にかける
私は昔から、街中や電車の中で困っている人を見ると気になってしまう。
できる範囲で席を譲ったり、声をかけたりする。
道に迷っている外国人観光客を見かけることもある。
フランス語が聞こえれば自然に声をかけられるけれど、英語になると少し戸惑う。
助けたい気持ちはあるのに、言葉がすぐに出てこないもどかしさ。
しかも今は観光客も増え、毎回対応していたら仕事に遅れてしまうこともある。
それでも、声をかけなかった日は後から気になる。
「あの人たちは無事に目的地へ行けただろうか」
「困ったままではなかっただろうか」
そんなことを考えてしまう。
今日も、本屋の店員さんのことが少し気になっている。
きっと、買った本を開くたびに思い出すのだろう。
今日のカード
今日引いたカードは、

ペンタクルの6。
このカードは「与えること」「受け取ること」、そして人と人との間にある思いやりやバランスを表すカードだと言われている。
今日の11円の出来事は、一見すると小さなレジの誤差だった。
でも、私の心に残ったのは金額ではなく、その場にいた店員さんのことだった。
「大丈夫だったかな」
「集計の時に困らなかったかな」
知らない人なのに、なぜか気になってしまう。
でも、ペンタクルの6が教えてくれるのは、こうした小さな気遣いもまた、人との間を巡る優しさのひとつなのかもしれないということ。
誰かを助けること。
誰かを思いやること。
そしていつか、自分も誰かから助けられること。
そんな循環の中で生きているのだと思った
11円という小さな誤差。
でも、その小さな出来事から、その人のことを想像した。
世の中には、知らない誰かのことを気にかける人もいる。
そして私自身も、そういう人でありたいと思った穏やかな日曜日だった。
