多様性と一体感 【06/16/2026】
我が家ではサッカー⚽は禁句
昨夜……というか今日の深夜に行われたスペイン対カーボベルデ戦。
なんと結果は、まさかのスコアレスドロー😭
恐る恐る試合終了間際に起きてリビングへ行ってみると、主人がソファーで項垂れていた💧
しばらく我が家は喪に服すレベルで、「サッカー⚽」という言葉すら禁句である。
明日の早朝にはフランス代表の試合もあるが、こちらは観るのだろうか。
スペイン人なのか、フランス人なのか
主人はフランス代表にはそれほど思い入れがないらしい。
スポーツとなると、ほぼ例外なくスペインを応援する。そしてスペイン国歌が流れれば歓喜する。
しかし、彼は生まれも育ちもフランス。スペインに住んだことは一度もない。
両親がスペイン人で、家庭ではスペイン語を話して育ったため、スペインを祖国のように感じているのだろう。
けれど、彼自身も自分を100%スペイン人だとは思っていない。
教育を受けたのはフランスであり、価値観や文化的な土台もフランスで培われたものだからだ。
フランス人的な考え方を持ちながら、家族観や生活習慣にはスペイン的な部分もある。
まさにその中間。
なんとも絶妙なバランスで成り立っているヨーロッパ人なのである。
「〇〇人」とは何だろう
ヨーロッパには、主人のような人がたくさんいる。
ルーツは別の国にありながら、生まれ育った国は違う。
そのため、日本のような比較的均質な社会で育つと、「この人は〇〇人」と一言で分類したくなるが、実際はそう単純ではない。
国籍とルーツ。
育った文化と家庭文化。
そのすべてが重なり合って、一人のアイデンティティが形作られている。
では、主人のようにフランス国籍を持ちながら、スポーツではスペインを応援する人は、フランスへの愛国心がないのだろうか。
私はそうは思わない。
むしろ、自分の中に複数のルーツを抱えているからこそ、「どちらか一方」ではなく、「どちらも自分」なのだろう。
多様性と一体感のあいだで
フランスは長年、移民国家として多様な文化的背景を持つ人々を受け入れてきた。
その一方で、「フランス人とは何か」「フランスという国としてどうまとまるのか」という問いにも向き合い続けている。
多様性を尊重することと、一つの共同体としてまとまること。
その両立は理想として語られるが、現実には簡単なことではない。
だからこそ、ワールドカップや欧州選手権のような国際大会になると、その複雑さがよく見える。
主人のようにルーツの国を応援する人もいれば、生まれ育った国を応援する人もいる。
あるいは、その両方を応援する人もいる。
それでも彼らは皆、フランス社会の一員として日々を生きている。
「どこの国を応援するか」と「どこの国に属しているか」は、必ずしも同じではないのだ。
ただ、こうして考えていると、一つ気づくことがある。
多様性と一体感は、本当に両立できないものなのだろうか。
少なくとも、サッカーを見ているとそうは思えない。
フランス代表には、様々なルーツを持つ選手たちが集まっている。
アフリカにルーツを持つ選手もいれば、ヨーロッパやカリブ海地域にルーツを持つ選手もいる。
背景は実に多様だ。
それでも試合が始まれば、彼らは「フランス代表」として同じユニフォームをまとい、同じ目標に向かって戦う。
そしてスタジアムや街では、多様なルーツを持つ人々が共に歓喜し、時に共に落胆する。
サッカーは違いを消し去るのではなく、違いを抱えたまま一体感を生み出す。
フランス社会が今なお模索し続けているものを、サッカーはほんの90分の間だけ鮮やかに実現して見せてくれるのかもしれない。
ペンタクルの6
そして、今朝引いていたカードは「ペンタクルの6」だった。

このカードは、「分かち合い」や「バランス」、そして「異なる立場の人々をつなぐこと」を意味する。
今日書いたことを振り返ると、不思議なくらい重なる。
スペインにルーツを持ちながらフランスで生まれ育った主人。
ルーツの国を応援する人々と、一つの国としてのまとまりを模索するフランス社会。
どちらか一方を選ぶのではなく、異なるもの同士が共に存在すること。
ペンタクルの6に描かれた天秤は、そんな均衡を象徴しているようにも見える。
違いを分けるためではなく、違いを抱えながら共に生きるためのバランス。
簡単に答えの出る問題ではないけれど、互いを理解しようとすることから始まるのかもしれない。
そんなことを考えながら、スペインの引き分けに肩を落とす主人を横目に見ていた。
……とはいえ、今の主人にこんな話をしたら、
「そんなことより、スペインが勝てなかったんだ!」
と返されそうである。
やはり、しばらく我が家ではサッカー⚽は禁句になりそうだ。
