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東洋哲学|仏教哲学・老荘思想を活かすと「生きるのがラクになる」

成島です。@freeowner171

普段の僕は、
マーケティングとかビジネスとか、
わりと数字の話をしています。

そんな僕が仏教とか
老子、荘子みたいな話をするのは、
ちょっと意外に思えるかもしれません。

ただ、自分の生き方を振り返ると、
昔からこういう考え方に
助けられてきたところがあります。

最初のきっかけは、
中学生の頃に読んだ『バガボンド』でした。

作中に

「殺し合いの螺旋から、俺は降りる」

というような表現があって、
それがずっと頭に残っていました。

その後、大学を卒業した僕は
メガバンクに入りました。

当時は、
メガバンクの次のキャリアとして、
海外の大学院に行ってMBAを取り、
外資系の投資銀行とか
戦略コンサルに進む道も考えていました。

今よりもっと競争の強い世界ですね。
でも、途中で疲れてしまったんです。

それで銀行を辞めたとき、
自分の中では

「国際金融資本主義の螺旋から、俺は降りる」

という感じがありました。

その後、出版社に転職した僕は、
担当著者さんの関係で
仏教に触れる機会が増え、

さらに個人的に気になった
老子や荘子関連の本を
読むようになっていきます。


そうしたら、
僕が感覚的に選んできたことに、
ずっと昔から名前が
ついているとわかったんです。

「争わない」とか、
「無理に固めない」とか、
「世間のルールにそのまま乗らなくてもいい」とか。


今回は仏教や老荘思想を
きちんと学問として
解説するつもりはありません。


僕自身が、こういう考え方を
普段の生活を生きるうえで
どう使っているのか。

その話を書いてみようと思います。


「もっと上へ」というゲームから降りてもいい

金融の螺旋から降りた時のこと。

メガバンクにいた頃の僕は、
今とはかなり違う世界にいました。

企業に融資を中心とした
金融商品を売る仕事をしていて、

周りにはもっと上を
目指している人もたくさんいました。

MBAを取るとか、
外資系金融やヘッジファンドに行くとか、
大手外資コンサルに行くとか。


僕自身、そういう進路を
考えたこともあります。

ただ、途中で
「もうこの戦いはいいかな…」
と思うようになりました。


別に、その世界が悪いと
言いたいわけではありません。

向いている人もいるでしょうし、
そこで力を発揮する人もいます。

僕は疲れました。

それだけです。

銀行を辞めたあと、
結果として今のような
コンテンツビジネスの世界に来ました。

今振り返ると、あのときの選択は
「負けた」という感覚ではなく、
参加するゲームを変えた感じに近いものでした。


子どもが生まれて、もう一度戦い方が変わった

20代から30代前半の頃は、
出版社でプロデューサーを
やりながら個人でコンサルをしていました。

自分の時間をかなり自由に使えたので、
仕事を増やそうと思えば増やせました。

でも、子どもが生まれると、
それができなくなります。

当然なんですけど、
自分とは関係のないところでも
時間を使うようになります。

そこでまた、
昔と似た感覚が出てきました。

「このままずっと戦い続けなくてもいいんじゃないか」

と。
仕事を捨てるという話ではなく、
戦い方を変える感じです。


その頃から
「争わないほうが、結果として負けにくい」
という感覚をかなり強く
持つようになったんです。


勝つことより、負けないことを考える

僕には「どん底からの大逆転」がありません。

コピーライティングとか
情報発信の世界では、
大逆転ストーリーがネタとして強いと言われます。

たとえば、、、

借金がありました。
どん底でした。

魔法のメソッドを手に入れて、
そこから這い上がりました。


そういう話ですね。

僕は昔、それがないことを
少し気にしていた時期がありました。

大きく負けた経験がないので、
ドラマが弱いなと思っていたんです。

ところが、あるVIPクライアントさんから

「どん底がないところが信頼できた」

と言われたことがありました。

「ああ、そういう見方もあるんだな…!」

と目からウロコが落ちたのを
今でも強く覚えています。


僕は昔から、大きく攻めるより、
致命傷を避けるほうを
選ぶことが多かったです。


多かったというか、
性格的に得意だったので
自然と多くなったというほうが正しいかも。

投資でもかなり資金管理に
保険を掛けた手法でやっていますし、

仕事でも全部を一つに
賭けるようなやり方はあまりしません。

大勝ちもしませんが、
大負けもしにくい。

それでいいかなと思っています。
それが僕のスタイルだから。


水みたいな感じが、自分には合っています

老子の話でよく出てくるのが水です。

僕も、
この水のイメージが好きなんですよ。

ガチッと固めると、
一見強そうなんですが、
強い力がかかったときに折れやすい。

一方で、水は形がありません。

入れ物に合わせて形が変わります。

僕もわりと、
そんな感じで生きてきた気がします。


何かを絶対にこうすると決め切らず、
状況に合わせて変えます。

成果の大きさは別にして、
少なくともそのほうが、
自分にはラクでした。

「こうでなければいけない」
と決めすぎると、
その条件から外れた時に
しんどくなるんですよね。


AかBかで迷ったら、Cがないか考えてみる

僕は普段から、
二者択一になった時に
「両方取れないかな」
と考えることが多いです。

野球か勉強か。
会社員か起業か。
自由か安定か。
仕事か家庭か。
起業か育児か。

こういう話は、
どちらか1つを選ばないと
いけない感じになりがち…

でも、僕はそこで、
AでもBでもないCを探します。


会社員を続けながら
副業をしてもいいですし、
安定を残しながら
自由を増やす方法もあります。


仕事を続けながら家庭を
優先する時期があってもいい。


きれいに半分ずつ、
という意味でもありません。

時期によって配分が変わっても
いいと思っています。

世の中グラデーションでできているから。


僕がずっと言ってきた
「自由と安定を両立する」
というミッションフレーズも、
この辺りから来ています。


片方を取るために片方を
全部捨てる必要は、
意外とないんですよね。

僕自身、そうやって選択肢を
増やしたほうがラクでした。


「自分はこういう人間だ」と決めすぎない


仏教の話で、
僕が普段かなり使っているのが
「縁起」です。


僕はこれを、
かなり日常的に
よく使う感覚で捉えています。

たとえば、
先輩経営者と話しているときの僕と、
受講生に何かを教えているときの僕では、
当然ちょっと違います。


家で犬(トイプードル&マルチーズ)と
一緒に寝ているときなんて、全然違います。


どれが本当の自分なのかと言われても、
全部自分です。

相手や場所が変われば、
自分の出方も変わります。

昔は「本当の自分は何だろう…」
みたいなことを考える
時期もありましたが、
今はあまり固定しなくていいと思っています。


プライベートな人間関係でもそうです。

「この人はこういう人だ!」
と決めつけると、
その後のやり取りまで
固まりやすくなってしまいます。

でも、実際に釈迦が悟ったレンズで
世界を見てみると、
自分も相手も、
その時の関係によって変わる。

(悟ることはレンズを外すことなので、
この表現自体矛盾っぽく感じますが、
そのあたりは曖昧・ゆるゆるでいいんです。

だって東洋哲学の記事だから…)


そう考えていたほうが、
少なくとも僕は人と
ぶつかりにくくなりました。


いや、もともとぶつかりにくいんだけど、
その上で人間関係で
精神をすり減らすことが減りました。

こう言った方がより正確かも。


言葉にすると、少し固まってしまう

以前、この記事のテーマで
Zoomのお話会をしたことがあります。

そこで、この話が
思った以上に盛り上がりました。

僕は普段、
文章を書く仕事をしています。

情報発信もしていますし、
セールスレターも長いあいだ、
たくさん書いてきました。


言葉を扱うのは、
完全に仕事です。

でも、言葉にした瞬間に
抜け落ちるものがあるとも思っています。


文章にすると、
その時に考えていたことより少し狭くなる。

参加者のライターのさよさんがいたのですが、
お話会の中で
「文章にすると固まってしまう感じがする」
と話していました。


すごくわかる感覚です。

この考え方を僕から提示するまえに
ライターの方からそう言ってもらえたので、
この感覚は思ったより説明が少なくても
伝わる可能性が見えて、
嬉しくなりました…!


音声だと、同じ言葉でも
テキストとは伝わり方が変わります。

声の高さや間もありますし、
「あの」とか「えー」みたいな言葉にも、
その人なりの意味が乗ることがあります。

僕は音声編集をする時、
消したい「あの〜」と
残したい「あの〜」があります。


AIで動画編集が自動的に
できる時代になってきましたが、
AIに自動でカットさせると、
そこまでは識別してくれません…


たぶん、人間同士の会話も
そんなものなんだと思います。


全部きれいに伝わることを期待すると、
しんどくなります。

少しくらいズレる。

文章なら、もっとズレる。

それぐらいに思っていたほうが、
僕は気がラクです。


増やすより、減らしたほうがラクなこともある

老子の話で、
僕が好きなのが
「捨てる」という考え方です。

参加者の小川さんがお話会の中で、

「儒教は学んで積み上げていく感じで、
老子はどんどん捨てていく感じ」

だという話をしていました。

これはマーケティング的に
考えてもかなり当てはまります。

情報発信を教えていると、
何でも入れたくなる人がいます。

初心者さんに特に多いです。

この人にも届けたい。
あの人にも届けたい。
この話も入れたい。
あれも必要かもしれない。

そうやって増やしていくと、
何を言いたいのかわからなくなります。


僕も子どもが生まれてから、
前よりかなり「何をやらないか」を
考えるようになりました。


昔みたいに、
全部に時間を使えなくなったからです。


よく80対20の話(パレートの法則)
がありますが、

僕はその20%の中でも、
さらに大事なところはどこかを考えます。

トップ4%ぐらいまで絞る感覚ですね。


AIで何でもつくれるようになって、
世の中に情報が増えて、
洪水のように溢れかえっている今は、

なおさら減らすほうが難しい、
けどそれが求められている気がします。


増やすのは簡単。
捨てるのは、けっこう勇気がいります。

でも、こういう
東洋哲学マインドセットの話を
自分で記事として書くことで、

自分に繰り返し「捨てる勇気」を
言い聞かせています…!


自分が参加するゲームくらい、自分で決めてもいい

仏教とか老子、荘子の話をしていると、
達観して何もしなくなるような
イメージを持たれることがあります。

僕自身は、普通に仕事もしますし、
売上も増やしたいです。

利益だってもっと残したい。

欲がないわけでもありません。

それでも
「どの競争にも参加しなければいけない」
とは思わなくなりました。


特に昔から王道エリートの
イメージがある競争は避けることに慣れ、
それを自分の精神的な豊かさに
つなげることもできるようになってきました。


銀行員だった頃に
参加していたゲームからは降りました。

子どもが生まれてからは、
仕事のやり方も変えました。

何でも大きくすればいいとは
思っていません。


ただし、AかBかで迷ったら、
両方残せないか考えます。

固まりすぎそうになったら、
少し緩めます。

(でも、マーケターとして
「固める=売れる言語化」こともあります!)

そういうことをやってきた結果、
昔より生きるのはラクになりました。


たぶん僕にとって仏教や老荘思想は、
「正しい生き方を教えてくれるもの」
というより、

考えすぎて固まった頭を
少し緩めてくれるものなんだと思います。


今やっているゲームを
続けるのもいいですし、
途中で降りてもいいです。

僕自身も、
この先また考えが変わると思います。

だから、僕の発信を
ずっとウォッチしてみてください。

そして、変化に気づいたら
教えてくださいね^^


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成島拓|出版×WEBを横断する二刀流マーケター チップって金額以上の嬉しさがあって不思議…