🌺ウメさんと喜三郎の縁側シリーズ『緑の中の眠り』26/07/04
日が暮れると、座敷の空気がすっと青くなった。
ウメが、天井の四隅に手を伸ばす。
鴨居の釘に、麻の蚊帳をひとつずつ引っかけていった。
ふわり、と緑の幕が下りる。
畳の上に、淡い萌黄色の空間が立ち上がった。
「ほれ、できたばい」
喜三郎が、座敷の入り口でそれを眺めている。
腕を組んだまま、ふんと鼻を鳴らした。
「……毎年、よう吊るのう」
「面倒くさかと言いたいとやろ」
「言うとらん」
ウメは、くつくつと笑った。
蚊帳の裾を持ち上げて、するりと中へ入る。
喜三郎も、続いて潜り込んだ。
外の音が、ふっと遠くなる。
緑の網目を通して、行灯の灯りがぼんやりと滲んでいた。
「子どもの頃はなぁ」
ウメが、寝転がって天井を見上げた。
「この中が、別の国みたいに思えたとよ。
網一枚で、ちゃんと守られとるごたる」
蚊の羽音が、網の向こうで頼りなく響く。
中までは、入ってこられない。
「不思議やったとよ。
ただの網やのに、この中だけが、特別な場所になるとが」
喜三郎は、ごろりと横になった。
天井の木目を、じっと見ている。
「……守られとる、ち思うとったんは、こっちもばい」
ぽつりと、それだけ言った。
ウメは、その横顔を見た。
何も言わず、ただ小さく笑う。
緑の幕の中で、二人の息だけが、静かに重なっていた。
網一枚。
たったそれだけのもの。
けれど、その内側には、外の世界から切り取られた、やわらかな安らぎがあった。
何も守ってくれそうにない薄い網が、いちばん深く、人を守っていたのかもしれない。
あんたにも、そんな場所のあるとよかね。
立派な壁やなくてよか。
網一枚ほどの、頼りなかもんでよか。
そこに入れば、ほっと息のつける。
あんただけの、緑の国があればよかとよ。
最後まで読んでくれてありがとうね。
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