🌺ウメさんと喜三郎の縁側シリーズ『糸巻きの色と、繕う心』
裁縫箱の蓋を開けると、色とりどりの糸巻きが顔を覗かせた。赤、青、黄色、緑。古びた木の巻きに巻かれた木綿糸が、午後の光を受けて静かに輝いている。
ウメは、その中から一本の糸を手に取った。濃紺の糸。
「この色やね」
独り言のように呟いて、糸巻きを光にかざす。
「何ば繕うとね?」
喜三郎が、縁側から声をかけた。
「喜三郎さんのシャツたい。袖口がほつれとったやろ?」
「……ああ、気づいとったとか」
「気づくばい。毎日洗濯しとるけんね」
ウメは、糸巻きを何本か並べた。
濃紺、紺色、藍色。微妙に色の違う糸が、ちゃぶ台の上に並ぶ。
「どれも同じに見えるばってん」
喜三郎が、糸を覗き込んだ。
「同じやなかとよ。ほれ、この濃紺は少し黒っぽい。この紺色は明るか。この藍色は青みが強か」
ウメは、一本一本を喜三郎のシャツに当てて確かめている。
「……そこまで気にせんでもええやろう」
「よかないばい。合わん色で繕うたら、目立つとよ」
ウメは、慎重に糸を選んでいる。
その様子を見ながら、喜三郎は黙っていた。
「昔はな、こうやって糸ば選ぶんが楽しみやったとよ」
ウメが、糸巻きを手のひらで転がしながら言った。
「裁縫箱ば開けるとな、色んな色の糸があってね。その中から、ぴったりの色ば探すとよ」
「……宝探しみたいやな」
「そうたい。宝探したい」
ウメは、ようやく一本の糸を選んだ。
「これやね。この藍色が、一番近かとよ」
針に糸を通す。小さな針穴に、何度も糸を通そうとする。
喜三郎は、その手元をじっと見ていた。
「あたしの母ちゃんもな、こうやって糸ば選びよったとよ」
ウメが、針仕事を始めながら話す。
「子どもの服も、主人の服も、全部繕うてな。糸の色が合わんかったら、『ああ、繕うた跡が見える』って恥ずかしかったとよ」
「……繕うこと自体は、恥ずかしかことやなかやろ?」
「恥ずかしかないばい。けど、雑に繕うんは恥ずかしかとよ」
ウメは、丁寧に針を進めていく。
「繕い物っちゅうんはな、ただ直すだけやなかとよ。その服ば着る人への愛情たい」
喜三郎は、ウメの横顔を見た。
真剣な表情。一針一針、心を込めている。
「今の人らは、繕わんとよね」
ウメが、手を止めずに言った。
「破れたら、『もう着られん』言うて捨てるとよ。新しいの買うた方が早いって」
「……そうやな」
「けど、それで失われとるもんがあるとよ」
「失われとるもん?」
「繕う時間たい」
ウメは、針を止めて、喜三郎を見た。
「この時間な、ただの作業やなかとよ。喜三郎さんのことば考える時間たい」
「ワシのこと?」
「ああ。『このシャツ、喜三郎さんがようけ着てくれたとやね』『まだまだ着られるようにせんとね』って」
ウメは、また針を進め始めた。
「糸の色ば選ぶ時間も、針ば通す時間も、全部、相手ば思う時間たい」
喜三郎は、何も言えなかった。
「今の世の中は、効率ばっかり求めるとよね。けど、効率の良い愛情なんて、ないとよ」
ウメは、最後の一針を終えた。
糸を切り、シャツを広げて確かめる。
「ほれ、どこば繕うたか、わからんやろ?」
確かに、繕った跡はほとんど見えなかった。
「……さすがやね」
「さすがやなかばい。ただ、時間ばかけただけたい」
ウメは、シャツを畳んだ。
「一本一本、糸ば選ぶ。その時間が、愛情の準備やとよ」
梅雨の近い空気が、縁側を撫でていく。
糸巻きは、また裁縫箱に戻された。けれど、その色とりどりの糸には、繕う心が込められていた。
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