🍂ウメさんと喜三郎の縁側シリーズ『伏せた湯呑み』26/09/05
朝晩の風に、秋の匂いが混じり始めた。
庭の萩が、細い枝の先に、小さな花をつけている。
縁側に差す日が、少しずつ色を深めていた。
茶簞笥の脇の茶卓に、来客用の湯呑みが伏せて並んでいる。
五つ、きちんと口を下にして。
ちゃぶ台には、栗きんとんがひとつずつ。
ウメが、黒文字で切り分けた。
ねっとりとした甘さが、舌の上でほどけていく。
「今朝な、この湯呑みば拭いとったとよ」
ウメが、茶卓のほうへ目をやった。
喜三郎は、茶をすすっている。
「……誰も、来やせんばい」
「来んでも、拭いとくとよ」
ウメが、くすりと笑った。
五つの湯呑みは、いつも伏せて置かれている。
埃がかぶらないように、口を下にして。
いつ誰が訪ねてきても、すぐに出せるように。
「昔のうちは、いつも人の出入りのあったとよ。
ふらりと寄って、お茶ば一杯」
ウメが、しみじみと言った。
「そのたびに、この湯呑みば、ひょいと返して、注いでね」
「今は、誰も寄りつかんがな」
喜三郎が、ぼそりと言う。
「そげんこと言うても、いつ来るか分からんやろ。
備えとくとが、もてなしたい」
「来ん客のために、毎朝拭くとか。
気の長か話やな」
「あんたのために拭いとる、と思えばよか」
ウメが、にっこりと笑った。
喜三郎は、湯呑みを持ち上げて、ふんと鼻を鳴らした。
「……俺は、客やなか」
「いちばんの上客ばい」
ウメが、けらけらと笑う。
「そら、心外やな。
四十年、この家に籠城しとる兵に、上客もなかろうが」
「籠城て、あんた」
ウメが、栗きんとんを落としそうになった。
「攻めて来る敵も、おらんとに」
「油断は禁物たい」
喜三郎は、大真面目に茶をすすった。
ウメは、涙が出るほど笑っている。
伏せて並んだ、五つの湯呑み。
それは、誰かを待つ心のかたちだった。
いつ来てもいい、いつでも迎える。
その備えが、暮らしにやわらかな余白をつくっていた。
もてなしとは、客が来てから始まるものではない。
来ない日も、そっと整えておく。
その日々の心づかいの中に、もう、もてなしは宿っていた。
あんたの心にも、そんな余白のあるとよかね。
いつ誰が訪ねてきても、あわてんように。
湯呑みひとつ、伏せて置いとくような。
そんな小さな備えが、あんたを、ゆったりさせてくれるけんね。
最後まで読んでくれてありがとうね。
もし心が軽くなったなら、『スキ』や『フォロー』をしてくれると嬉しいばい。
いつでもここ(縁側)で待っとるけんね。
いいなと思ったら応援しよう!
🌿チップでの応援、ほんの少しでも嬉しいです。いただいたご支援は、新しい記事づくりの糧にします。