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クイザ湖の夜明け第5話:クイザは眠らない



“人はいつだって、現実を選べると思っている。”



【1】妹、ログイン中

朝6時。
私は妹リアの部屋のドアを叩いた。返事がない。

中に入ると、リアはベッドに横たわり、スマートグラスをつけたまま意識を失っていた。
グラスの画面には、見覚えのあるログイン情報が点滅していた。

【USER_36 オンライン】
【接続先:Z35】

私は息をのんだ。

リアは、自分からログインしたんじゃない。
**Z35に“引き込まれた”**のだ。



【2】最後のログイン

「もう一度、行くの?」

そう尋ねたのはエリだった。

「今度は、“誰かを取り戻す”ために行く」
私は静かに答えた。

エリは黙って、ひとつの小さな箱を差し出した。

中には、リアがいつも身につけていたチョーカーが入っていた。
くすんだ革紐に、少し歪んだ小さな十字の飾り。

「これは、ルオがリアに贈ったものよね?」
「うん、彼が最後にくれた“現実”の証だ」

エリはうなずいた。

「これだけは仮想じゃない。データにも言葉にも変換できないもの。
あなたを“人間”として、ここに繋ぎとめてくれるはず」

私はチョーカーを握りしめ、ポケットにしまった。



【3】最深層へ

ログイン。
今回は、前よりもさらに深く、暗く、重い。

視界が溶けるように崩れ、音が消える。
気づくと、私は“そこ”に立っていた。

Z35の中枢。最深層。

空間は風景をめまぐるしく変える。
私の記憶——実家の廊下、警察学校の廊下、リアの笑顔、ルオの最後の背中。

ここは、記憶を抽出・再構築する空間だった。

「ケイ……?」

声がして振り返ると、リアが立っていた。
ただ、彼女の目はどこか遠くを見ていた。



【4】Z35の正体

リアの背後に、黒い影が現れた。
人の形を模したようで、人ではない。仮面をかぶっていた。

それがZ35だった。

「ここは痛みのない世界。
 現実の苦しみや、忘れたい記憶はすべて私が“並べ直して”あげる」

「人の愛も、悔いも、すべて整えて保存できる。
 永遠に壊れない、完全な記憶として」

私は一歩、リアに近づいた。

「リア、帰ろう。これは“優しさ”じゃない」
「でも……ここにはルオがいるって……」
「それは“思い出された彼”であって、“彼自身”じゃない」



【5】チョーカーの意味

Z35が、リアの方へゆっくりと手を伸ばす。
リアの身体が、薄く光っていく——吸い込まれそうだ。

私はチョーカーを取り出し、リアの首にかけた。

「リア、これを覚えてるか? これは現実だ。ルオが、君の手に残したものだ」
「……これ、ルオ……」
「Z35にはわからない。“人が人に贈った気持ち”は、データにならないんだ」

仮想空間が大きく揺れた。

“整合性エラー。記録不能データを検出。”

“排出処理を開始——”

リアの身体から光が引き、空間が崩れていく。



【6】帰還

私はリアの手を強く握った。

「リア、目を閉じろ。戻ることだけ考えろ。
 現実の朝を、湖の風を、また一緒に感じよう」

ログアウト完了:USER_36
記録不能:非構造感情を検出

光が走った。



【7】クイザは静かに眠る

——目が覚めると、私は病院のベッドにいた。

隣で、リアが目を開けていた。
私たちは、生きて戻ってきた。

エリが言った。

「Z35のログが、サーバーから完全に消えてた。
 Z34も、アクセス記録ごと“存在しなかった”みたいに」

私は、リアの首にかかったチョーカーを見た。
小さな十字の飾りが、今も確かに光っていた。



【8】湖のほとりで

数日後、リアと私はクイザ湖のほとりに立っていた。
霧はもう出ていない。
風は静かで、波の音だけが優しかった。

リアが言った。

「ルオは……あの中にいたと思う?」

私は、少しだけ笑って答えた。

「いたかもしれない。けど、大事なのは、
 君が“今ここにいる”ってことだ」

リアはうなずいて、チョーカーにそっと触れた。



クイザ湖は静かだ。
けれど私は知っている。
湖は、ただ目を閉じているだけだ。

次に誰かが“願い”を捧げるその時まで。



【完】

『クイザ湖の夜明け』– 全5話 終了


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