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「最近のオッサン管理者は…」と若者が言わない理由

社長は「おやじ」社員は「子ども」

何が言いたいのかと言いますと、中間管理職から見たらという意味です。
先ずは本当の子どもの話から始めたいと思います。

最近の子どもは何でも揃っている環境で育っています。情報はスマホ1つで何でも入ります。YouTube、TikTok、Instagramなど、眺めているだけで勝手に目に入ります。
調べたいことがあればChatGPTに聞けば何でも答えてくれる。もしかしたら親よりも的確な回答をしてくれるかもしれません。

子どもに貴重な体験をさせることは眺めているだけでは無理でしょうから、そこは親の出番です。誇らしげに体験させてあげるのがいいと思います。
ただ、何も体験していない、失敗もしたことがない若者が多いのも現実。子どもの頃に大切に育てられたのでしょうが、何も体験せず、ケガもせず、失敗の経験がない場合、いざ仕事となると大きな壁にぶつかる可能性もあります。
現に、管理職である40代や50代の人たちは若者との接触に怯えてしまい教えなくてはいけないことを教えず、失敗しても注意せず叱らず、穏便にことを済ませる傾向にあります。これが最初の壁でしょう。
まさに、今の子どもたちの現実であり管理者の現実でもあります。

さて、果たしてそれでいいのでしょうか。会社の成長を考えるとそれではいけない、と直ぐに分かりますが、管理職の立場の人たちは「注意してやめられたら困る」「大きな仕事を与えてストレスを抱え込んでもらっては困る」など。簡単に言うと「ビビってる」とでも言いましょうか、家庭では「過保護」と言ったりしますが、ビジネスの現場なら「ホワイトハラスメント」でしょうか。「ローンモアボス」でしょうか。要するに管理者の方々が保身に走るあまり、若手社員のことを考えた「ように見える」行動に出てしまいがちです。

それは可愛い子どもに失敗もさせない、ケガもさせない、安全に過ごすように育てているのと何ら変わりません。確かに失敗はさせたくありません。ケガもさせたくありません。子どもが小さい時から「ダメダメ」で何もかもをさせずに過ごした日々は大きくなってからの負荷になっています。育て方が間違っているとは言いません。私も子どもには失敗させたくないし、ケガもさせたくないですからね。

私の場合ですと、失敗は「やって見せる」ケガは「して見せる」ことで、子どもたちは「お父さんバカだね」って言いながら「自分は失敗しないぞ」「自分はケガしないぞ」と学んでいったのだと思います。しかし、現在は「背中見て学べ」なんてことは通用しませんから取説のような詳しい教え方をしなくてはなりません。それで初めて個人の個性を読み取らなくてはいけないと思います。何も教えないで面接だけで判断して各部署に配属ではかわいそうです。

管理職の立場からすると社長は「おやじ」です。おやじには楽をしてもらいたいし、子育てをしている自分を認めてもらいたいという願望があります。おやじが子育てにとやかく言うと「分かってるよ」などと言いたくなりますからね。しかしです、「親を想う心に勝る親心」とはよく言ったもので「親よりも子」なのが現実です。

会社に於いてもそうです。社長より社員です。家では子ども一番に考え、自分の親にも反発しますが、会社ではそんなことはありません。社長に気に入られるように振舞う人が大多数を占めているのではないでしょうか。
前にも言った「保身」です。

本来なら社員優先で物事を考えたり行動したりしなくてはいけないところを「おやじ」である社長を優先にしてしまうと、「子ども」である社員は心理的安心感がなくなります。上司に「言ってもムダだ」「言っても何も変わらない」などです。ところが管理者側から見ると「何も言ってくれないから、何を考えているか分からない」などと若手社員が悪いかのように意見を述べます。何か違う。何でしょう?

「子ども」が先で、「おやじ」はあと。これが成り立っていないのではないでしょうか?子どもの話に耳を傾ける、否定しない、尊重するなどは子育てでも重要なことです。会社内だとどうでしょう?どうしても相手が悪い「部下が悪い」「一般社員が悪い」と勝手に、というか固定観念というか、そうなりがちです。

前述したように私が子どもに見せた失敗やケガはリスクを伴います。具体的に言うと、子どもがスケボーの練習をしていたので「そのやり方はケガするよ」と言っても子どもはピンときません。私は子どもがやっていることと同じようにしたところ、予定外に肩を骨折しました。痛いですが子どもにとっては凄く勉強になったことでしょう。「お父さんバカだなぁ」って言われますけどね。もちろん、これを読んでくださっている方に、骨折してくださいと言っているわけではありません。

子どもが痛い思いをする代わりに私が受けた程度です。次からどうなるかと言いますと私の「それだとケガするよ」と言ったあとに「じゃぁ、どうすればいいの?」と返ってきます。「どうすればいいと思う?」と続くようになります。そこにYouTube動画などで「これだとケガするね」などと言える材料は沢山ありますから、ケガをする必要もありません。考えさせること、それは負担をかけることではなく成長させることに繋がると思います。ケガをしなくても成長のチャンスを与えることはそんなに難しくはありません。

会社でも同じことだと私は思います。「おやじがなんて言おうと子どもにケガをさせるわけにはいかない」という気持ちで社員と向き合います。「成長して欲しい」という気持ちで向き合います。そこには保身なんてありません。彼らの成長を願うと、その願いに対して何をしなければならないかが見えてきます。「何か不満そうだな」「何か言いたそうだな」は子どもにもあれば社員にもあります。
シッカリ向き合うにはどうすればいいでしょう?

簡単です。目線を合わせることです。例えば、小さな子どもと話すとき、立ったまま上から話すことは少ないと思います。しゃがみこんで目線を合せ、「どうしたの?」と聞くことが多いでしょう。これと同じで若手社員と目線を合わすのです。高さの話ではありません。「安心して話せる環境」が必要ってことです。
大きな大人が上から話すと怖いので大人はしゃがんで小さな子どもに安心感を与えます。若者には、何に興味があって、何が嫌いで、どうすれば安心して話せるか、どうすれば安心して仕事ができるかを聞いたり調べたりして目線を合わさなければいけないと思います。そうすることで心理的安全性が確保され若者はのびのびとできるのではないでしょうか。

若手を育てるのに必要なのは、大人が自ら「しゃがんで目線を合せ」、安心して失敗し、自分で考えられる環境を作ってあげることではないでしょうか?それを「今の若者は」と言い訳し守っているような「過保護」、傷つけたくないからという「放置」は保身と言っても間違っていないと私は思います。

恐らく、「刺激しないように」や「摩擦なきように」と「良かれ」と思ってしていることだと思いますが、それは彼らの学習や成長の機会を奪っているにすぎないと考えられます。学習や成長の機会を「与えない」のと「奪う」は大きな差があります。本人たちは成長したいと頑張っているのに「与えない」のは違う仕事をさせたりでしょうが、「奪う」とは「自分がやったほうが早い」「自分のやり方が正しい」「尻ぬぐいは嫌だ」などでしょう。彼らに任せることによって学習や成長のチャンスがあるのに管理者が自分でやっちゃって奪うのは良くないかもしれません。如何でしょう?
「そんなつもりはない」という人が多数いそうですが現実では見えない所で摩擦が起きています。この摩擦こそが「最近の若者は理解できない」でかたずけられてしまうのではないでしょうか?非常に都合のいい言葉であり、みんなが「だよね」と答えてしまうから問題視されません。

このような発想は大変なことだとは誰も思っていないでしょう。目線が同じ40代や50代の管理職の方々と同じだからです。それでは若者に目線を合せてみましょう。若者からしたら「最近のオッサンたちは何考えているのか分からない」ってなりませんよね。そうなんです、彼らには「最近の」はないのです。昔のオッサンの頃は生まれていませんからね。そんな彼らの立場を考えたらもう少し目線を合せてあげてはどうでしょう。
もう一つ、90歳以上の人からしたら、70代だと20歳下です。40歳の管理職からしたら、ちょうど大卒の新人社員でしょうか。90歳の人からしたら「最近の管理職の奴らは・・・」と嘆いているかもしれません。果たして90歳くらいの偉大な人に何を言われても「胸を張って誇れる管理者」を実行しているでしょうか?

見る角度や立場によって考え方も色々です。90歳くらいの人に言われたら「時代が違うんですよ」って言いたくなるでしょう。

そうなんです、時代が違うんです。

40代50代の人たちが若かりし頃とは全く時代が違うのです。ということは、若者の目線が今の時代なのではないでしょうか。如何でしょう。

小さな子どもだったら、目線を合わせるのは容易かもしれません。多くの言葉も知らないし政治等の話もしない、殆どが遊びで少し大きくなったら難しい内容の勉強も入ります。子どもは小さな大人ですから子ども扱いしないで(頭ごなしに命令しないで)話を聞き、考えさせ、成長するのが望ましいでしょう。「最近の若者は」と言いたい気持ちを少し抑えて目線を合せてみませんか?小さな子どもは小さな大人。若者は「オッサンより未来を考えている大人」と思って少し謙虚な気持ちになれば話すのも楽しいものです。もっと言えば知らないことを教えてくれる「先生」です。人は得意なものを教えたり、自分がハマっている流行りなどを教えるのは好きなものです。彼らの「好き」を教えてもらうために目線を合してみましょう。

「さぁ、明日は誰と目線を合してみようかな」

管理職が楽しくなることを願っております。

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