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Xで発信を始めて、数字はほとんど追っていません

SNSで発信を始めるとき、頭の中にあるのは、だいたいどちらかです。
バズって急に注目されるか、投稿しても誰にも見られないか。

でも、ぼくはそのどちらにもたどり着きませんでした。

Xのアカウントを開設し、何度か投稿したものの、発信はいつの間にか止まっていました。
注目を集めることも、誰にも見られないまま投稿を続けることもなく、その結果が出る前にやめてしまったんです。

派手な展開を期待していたわけではありません。
それでも心のどこかでは、何かしらの反応が起きるのを待っていた気がします。

実際には、何かが起きるところまで続けられないまま、アカウントだけが静かに残っていました。

もともとあったアカウントを、事業と結びつけて使い始めた

Xのアカウント自体は、もともと持っていました。
発信を意識して始める前から、なんとなく使っていたものです。

そのアカウントを、自分の事業や経験と結びつけて発信し始めたのは、最近のことです。

最初の投稿は、自己紹介でした。
元歯科技工士で、今はフリーランスとして働いていること。
これまでの経験と、これからやっていくことを発信していく、という内容です。

引き出しの奥にずっとしまっていた道具を、ある日ふと取り出して使い始めた。
そんな感覚に近かったです。

長いあいだ技工物を削っていた手が、今は文章を書いています。
自己紹介の一文には、その変化がそのまま乗っていました。

投稿ボタンを押す前、特別な緊張はありませんでした

投稿ボタンを押す前の気持ちは、正直あまり覚えていません。

特別な緊張や覚悟のようなものは、たぶん無かったと思います。

もともと使っていたアカウントだったので、「Xに投稿する」という行為自体には、それほど抵抗が無かったんです。

ただ、今振り返ると、あの投稿からXの使い方が変わりました。
なんとなく見るだけの場所から、自分の経験や仕事について発信する場所に変わったんです。

覚えていないくらい自然だった、というのがいちばん近い言い方だと思います。
特別な決意があったわけではなく、いつもの延長で押しただけでした。

フォロワーもいいねも、正直よく覚えていません

最初の1週間、フォロワーやいいねがどう動いたか、まったく記録していません。

今もそうなんですが、ぼくは数字をほとんど追っていなくて、当時どれくらい反応があったのか、正確には分からないんです。

記憶に残るような反応があったわけではないので、感覚としてはほとんど反応が無かったんじゃないかなと思います。
投稿したからといって、急にフォロワーが増えたり、いいねがたくさん付いたりした感じはありませんでした。

そもそも、最初から数字を伸ばすことを強く意識して始めたわけじゃないんです。
まずは自分の経験を発信してみよう、というところから始めています。

今、過去の投稿を見返してみても、目立って反応があった投稿はありません。
いいねやコメントが急に増えた投稿も無いですし、「この内容なら反応される」という手応えを、まだつかめていない段階です。

数字を見れば見るほど気になってしまう、という話もよく聞きます。
ぼくの場合は、見ないままでいることで、たまたまその重さを避けられているだけなのかもしれません。

それでも、3件のリプライがありました

数字を追っていないと書くと、反応が全く無いように聞こえるかもしれません。

でも、リプライは3件ありました。
内容は、投稿への共感のコメントです。

数としては、多くありません。
それでも、反応をもらえること自体はもちろんうれしいです。

自分が発信した内容を読んで、わざわざ言葉を返してもらえる。
それがどれだけありがたいことか、投稿を始めてから知りました。

発信を始める前は、反応というものを、ひとまとめの数字でしか想像していませんでした。
実際には、1件ずつ別の人の手から届くものだったんです。

数字で見れば、3件は誤差のような数かもしれません。
それでも、画面の向こうに実際に人がいたと分かる瞬間は、フォロワー数のグラフより、ずっと手触りがありました。

いいねの数字には、押した人の顔が見えません。
リプライには、短くてもその人の言葉が乗っています。

恥ずかしさも、気まずさも、今のところありません

発信を始めた人からよく聞くのは、恥ずかしさや気まずさの話です。

ぼくの場合、今のところ「恥ずかしかった」「気まずかった」と感じた瞬間は特にありません。

顔出しをしているわけでもないですし、自分の経験や考えを淡々と書いているので、そこまで抵抗が無かったんだと思います。

投稿したあとに、「これ書かなきゃよかったな」と思ったことも、無いですね。
反応自体がまだそれほど多くない、というのもあると思います。

誰かに見られている感覚より、自分の記録をつけている感覚のほうが強いのかもしれません。
だから今のところ、身構えずに書けています。

noteとXで、手応えの違いはまだ分かりません

noteとXで、発信していて感じる手応えに違いはあるか。
そう聞かれても、あまり感じていません。

どちらもまだ大きな反応があるわけではなくて、投稿しても反応はかなり少ないんです。

「noteのほうが届いている」とか、「Xのほうが反応がいい」という感覚は無いです。
どちらも、まだ手応えを感じる段階ではなくて、発信を積み上げている途中という感じです。

書く場所によって温度差があるはずだ、と勝手に思い込んでいたのかもしれません。
実際にやってみると、どちらも同じくらい静かでした。

積み上げている途中、という言い方は、聞こえのいい先延ばしにも見えるかもしれません。
でも、今のぼくにとっては、反応が薄いことに落ち込まずにいられるちょうどいい距離感です。

種をまいたばかりの畑を毎日のぞきに行っても、芽はそう簡単には出ません。
それでも、水をやる手を止める理由にはならないと思っています。

これからは、数字の分析をAIに任せたい

数字を追っていないという状態を、このままにしておくつもりはありません。

これからは、感覚だけで発信するんじゃなくて、XのアナリティクスをそのままAIに渡そうと思っています。
どんな投稿が見られているのか、どこを改善したらいいのか、分析してもらうんです。

自分一人だと、数字を細かく追ったり、傾向を分析したりするのは、なかなか続かないんです。
だから、そこはAIに任せたいと思っています。

その分析をもとに、投稿内容や見せ方を少しずつ改善していく。
感覚だけで続けるより、AIと二人三脚でアカウントを育てていくほうが、ぼくには合っている気がします。

数字を見ないことを選んだのではなくて、数字を見る役目をまだ自分の外に置いていないだけだったんだと思います。
これからは、そこをAIに任せる番です。

どんな投稿が伸びて、どんな投稿が伸びなかったのか。
そこを言葉にしてもらえるだけで、今よりは迷わず投稿できる気がしています。

反応が薄くても、続けている理由

発信を始めて、劇的に変わったことはまだ何もありません。

フォロワーが急に増えたわけでも、収入に直結したわけでもありません。
静かな数字のまま、ただ淡々と、少しずつ積み重なっているだけです。

それでも、続けていること自体が、記録として積み上がっています。
数字を追わなくても、続けた分だけ、あとから振り返れる材料は増えていくんだと思います。

反応が薄いことより、反応が薄いことを理由に手を止めてしまうことのほうが、怖いんだと思います。

反応が薄いから続けられないと思っている方は、数字を見ないところから始めてみるのもいいかもしれません。

同じように、発信を始めたけど反応が薄くて不安な方は、フォローして次回も読んでみてください。

では、また!


途中経過の記録は、ニュースレターにも残しています。よければどうぞ。

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