男らしさって、なんだろう──性別移行と“FTMの人間関係”について思い出したこと
FTMとして性別移行をしてから、もう十数年が経った。
今では僕がFTMであることを知る人は、身近な数人だけになった。
日常生活でも、職場でも、周囲は僕を“ただの男”として扱ってくれている。
ありがたいことだと思う。
だけど、その過程にはたくさんの“葛藤”があった。
そして、その葛藤の多くは、“自分自身”との闘いではなく、
「同じFTM」であるはずの仲間との関係性の中で生まれていた。
みんな“同じ時期”に、男になった
僕が戸籍を変更し、性別適合手術を受けたのは、20代半ばだった。
まだ「GID(性同一性障害)」という呼び方が一般的だった頃。
SNSはあったけれど、今ほどオープンではなく、FTMの情報は限られていた。
だから、FTM当事者がリアルに集まるイベントや、ネット上の掲示板、mixiのようなコミュニティが、僕らにとっての“居場所”だった。
当時の僕は、そのコミュニティの中で、何人かのFTMと親しくなった。
共通点は、「同じ時期に性別を移行していたこと」。
手術や戸籍変更のタイミングも近くて、情報交換したり、悩みを話し合ったりすることができた。
でも、今振り返ってみると、あの頃の“つながり”はとても脆かったと思う。
なぜなら、僕たちは「FTM」というキーワードだけでつながっていて、人間としての相性を見て付き合っていたわけではなかったから。
「その声の出し方、男っぽくないね」
そんな中でも、特に記憶に残っているのが、Aさんの存在だ。
Aさんは、自分の中に「こうあるべき男像」をしっかり持っている人だった。
その信念が強すぎて、自分だけではなく、周囲の人間にもそれを押し付けてくるようなところがあった。
ある日、僕の話し方について、Aさんがこんなことを言った。
「喜一郎君、君のその声の出し方、男っぽくないね」
それだけじゃない。
「男だったら、そういう時は黙って我慢するもんだよ」
「男らしさっていうのは、行動で見せるもんだ」
僕は何度も、そんな言葉を浴びせられた。
最初は「そうか、自分にはまだ“足りない”のか」と思った。
けれど、次第に、息が詰まるような気持ちになっていった。
僕は、自分の声が好きじゃなかった。
ホルモン注射で少しは低くなったけど、自分の耳にはまだ“女性の声”に聞こえる。
でも、それを受け入れるしかなかった。
だって、手術をして、戸籍を変えて、生きる道は前に進むしかなかったのだから。
それでも、Aさんに何度も「そのままじゃ男らしくない」と言われると、
自分がまるで「ニセモノ」のような気がしてくる。
言葉の暴力だった。
でも、あの頃の僕は、それを“暴力”と認識する余裕もなかった。
彼が入院して、僕は自由になった
そんなAさんとの関係は、ある時を境に自然と途切れた。
彼が、下半身の手術のために長期入院することになったのだ。
僕は、そのタイミングで連絡を取るのをやめた。
戻ってきたあとにまた会おうとも思わなかった。
息ができるような感覚だった。
“FTMコミュニティ”の中にいると、どこかで「自分もこうならなきゃいけない」って思いが強くなってしまう。
でも、手術を終えたあとの自分の生き方は、“FTMとしての完成形”ではなく、“個人としてのスタート”だったはずだ。
「男になるために、立ちションが必要なんだ」
Bさんのことも思い出す。
Aさんとはまた違ったこだわりを持つ人だった。
Bさんは、「男の象徴=下半身」に強く執着していた。
よく、こんなことを言っていた。
「立ちションできなきゃ、男じゃない」
「俺は、下も“ちゃんとある”ようにしないと嫌なんだよ」
「ハゲてもいいからヒゲが欲しい。男らしくなりたい」
僕は、立ちションができなくても、特に気にならなかった。
むしろ、公衆トイレで並んでいる横で小便するという行為に、強い抵抗があった。
「見られるかもしれない」という不安のほうがずっと大きかったから。
でもBさんにとっては、それが「男である証明」だった。
僕には、Bさんが必死で“男”になろうとしているように見えた。
「自分が男である」という感覚を、自分の身体の部位で実感しようとしているようだった。
だけどそれは、あまりにもしんどい道だったと思う。
なぜなら、外見で証明できる“男”には、きっと終わりがないから。
僕は、「男らしさ」がわからないまま社会に出た
僕は、戸籍を変えたあと、会社を辞めて、まったく新しい職場に転職した。
そこでは、自分の過去を知っている人はいない。
「男性」として採用され、「男性社員」として働きはじめた。
最初の頃は、毎日が緊張の連続だった。
どんな振る舞いが「男らしい」んだろう?
声のトーンは?歩き方は?スーツの着方は?
正直、まったくわからなかった。
でも、周りはそんなことを気にしていなかった。
みんな「普通に接して」くれた。
そのとき気づいたんだ。
“男らしさ”って、演じるものじゃなくて、にじみ出るものなんじゃないかって。
そして僕は、自分のことを“男らしい人間”に見せることよりも、
“ちゃんとした大人の男”として信頼されることの方が、ずっと大事だと気づいた。
「男になる」ことより、「自分になる」こと
AさんやBさんとは、もう何年も会っていない。
連絡もとっていないし、どこでどうしているのかも知らない。
でもそれでいいと思っている。
あの頃の僕らは、それぞれに自分の“男らしさ”を模索していた。
形も、アプローチも違っていた。
ただ、不器用だっただけなんだと思う。
でも今の僕は、あの頃よりもずっと肩の力が抜けている。
FTMとして生きるっていうのは、男らしくなろうとすることじゃない。
自分の輪郭を、自分の言葉で描けるようになることなんだと思う。
性別違和という“違和感”からスタートして、
性別移行という“決断”をして、
その先にあったのは、「自分の人生を生きる」というシンプルで深いテーマだった。
最後に
あの頃の僕に、今の僕が言ってあげたいことがあるとすれば、こうだ。
「無理に“男”にならなくてもいいよ。
あなたが“あなたらしく”生きていければ、それが一番男らしいことだよ」
もし、今まさに性別移行の過程にいて、
誰かと比べてつらくなっている人がいたら、伝えたい。
あなたの“男らしさ”は、誰かに評価されるためにあるんじゃない。
あなたが“あなた自身”として生きるための、一部なんだよ。
💬読んでくださってありがとうございます。
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