昔、女だった。でも今は、それを誰にも言っていない。
■ 昔、女だった。
でも今、それを誰にも言っていない。
というか、言う必要がない。
なぜなら、今の僕は「男」だからだ。
戸籍も、名前も、身体も、社会の中での立ち位置も、すべて「男」として生きている。
だからわざわざ「実は昔…」なんて説明する必要はないし、それを望まれる場面もほとんどない。
「今の自分」として生きている。
ただ、それだけの話。
■ 性別を変えたことは、人生の“目的”じゃない
性別を変えたことは、僕にとっては「人生のゴール」ではなかった。
むしろ「ようやくスタートラインに立てた」という感じだった。
身体の違和感を抱えたまま暮らすこと、
“女”として社会に扱われること、
どれも、僕にとってはすごく苦しかった。
だから、変えた。
それは自然な選択だった。
僕は“男として生きたかった”。
ただそれだけで、目立ちたいわけでも、何かを主張したいわけでもなかった。
■ 証明書類も、すべて作り直した
戸籍が変わったとき、保険証も、運転免許証も、住民票も、銀行口座も、全部更新した。
「性別が変わったことを証明する書類」は、いま手元には何も残っていない。
昔の名前が書かれたカードや診察券、卒業証書や履歴書も、ほとんど処分した。
“女だった痕跡”は、今の僕の生活にはもうない。
それが嬉しい反面、少しだけ切ない気持ちもある。
でも、たぶんこれが、僕なりのけじめだった。
■ 語る自由も、語らない自由もある
「昔、女だった」と語る自由があるように、語らない自由もある。
どちらが正しいわけでもないし、どちらにも意味がある。
僕は、語らない方を選んだ。
それが、自分にとって一番自然で、安心できる生き方だったから。
■ 生きづらさがないわけじゃない
今の僕を見て「何の問題もなさそう」と思う人もいるかもしれない。
でも、生きていれば、ふとしたときに、やっぱり感じる“ズレ”はある。
例えば、昔の写真を求められたとき。
健康診断の項目で悩んだとき。
恋愛や結婚について聞かれたとき。
どうしても、自分だけが少しだけ“浮いている”感覚になることがある。
そういうとき、心の奥でちょっと痛みが走る。
でも僕は、それも含めて「自分の人生」だと思っている。
■ 折り合いをつけて、生きている
過去を語る自由もある。
語らない自由もある。
そして、どこかで生きづらさを感じる瞬間もある。
でも僕は、それら全部と、自分なりに折り合いをつけて、生きている。
完璧じゃなくてもいい。
割り切れないことがあっても、ちゃんと毎日を過ごせているなら、それでいい。
昔の僕がずっと望んでいた「普通に生きること」が、
いま、ちゃんとここにある。
