見出し画像

人がつながる復興の拠点はどう生まれたか——のと復耕ラボ × FUKKO GOALS基金の舞台裏

READYFOR財団FUKKO DESIGNは、FUKKO GOALS基金を通じて、能登半島地震の復興を担う活動への助成を実施しました。

今回の助成先の一つは、輪島市三井町を拠点に活動をしている一般社団法人のと復耕ラボ(代表理事:山本 亮)。震災直後から拠点を整え、外部から訪れる多様なボランティアと地域をつなぐ「受け入れの要」をつくってきた団体です。

一般財団法人 READYFOR財団:「想いの乗ったお金の流れ」を増やすことを目指し、ご寄付者の想いを社会貢献活動につなぐ事業を行う財団
一般社団法人 FUKKO DESIGN:組織や立場を超えて集まった有志のネットワークとして、被災地に寄り添ったアイデアと行動で新しい復興支援の形を生み出すことをミッションとする団体
FUKKO GOALS 基金:災害時に見過ごされがちな問題を支援する活動を行う団体を支援することを目的として一般財団法人 READYFOR財団と一般社団法人 FUKKO DESIGNが立ち上げた基金

本助成では、現場の運営を支える人件費にも使えるようにすることにしました。復旧・復興は長期戦であり、道具や物資だけでなく、日々の調整や安全管理、来訪者対応を担う人の仕事が途切れないことが、活動の質と持続可能性を左右するからです。

のと復興ラボの拠点にはこの一年半で延べ4,500名が訪れ、移住者5名や二拠点生活を志向する世帯が生まれるなど、地域に「人の流れ」と関係人口の芽が育っています。放課後の子どもの見守りや、大工・美術・教育など多様なスキルの交わりも進み、“分かち合いの文化”を核にした復興の基盤が着実に厚みを増しています。

一方で、発災後1か月を過ぎると寄付は急減し、3か月目以降は中長期の資金が不足しがちです。発災直後は機材・物品、3か月目以降は人件費を含む運営資金──と、フェーズに合った助成設計が、二年目、三年目の活動の“息切れ”を防ぎます。私たちは、今回の学びを次回の募集・設計に反映し、支援の持続性をさらに高めていきます。

この後の本文では、のと復耕ラボ・山本 亮さんに、能登に「残る」決断、拠点が生んだ具体的な変化、そして資金のリアルについてうかがいました。現場の声から立ち上がる復興の現在地を、ぜひご覧ください。


「笑顔がめぐる里山を、これからも。」

— のと復耕ラボ・山本 亮さんに聞く、能登で人がつながる場所づくり —


FUKKO DESIGN:

まずは、山本さんご自身のことをご紹介させてください。能登で活動されるようになったきっかけ、そしてこの地域に惹かれた理由を教えていただけますか。

山本 亮:

もともと東京出身で、自然が好きな両親の影響もあり、大学では東京農業大学の造園科学科に進みました。そこで出会ったのが能登の里山です。教授が「日本の原風景が残っている」と紹介してくれて、2007年に初めて能登を訪れました。茅葺き屋根の家々や田んぼ、山と海のある風景が本当に美しくて。

でも、その美しさは“人の営み”があるからこそ成り立っていると気づいたんです。田んぼを耕す人、山を手入れする人、家を守る人がいるから景色が保たれている。その姿に感動しました。

大学を卒業して東京で5年働いたあと、2014年に地域おこし協力隊として移住しました。そして2018年には、地域を丸ごとホテルに見立てた「里山まるごとホテル」を始め、飲食・宿泊・体験を通じて能登の暮らしの魅力を伝える活動をしています。

FUKKO DESIGN:

日本各地にも田園や里山の風景は残っていますが、その中で「なぜ能登を選んだのか」とよく聞かれるのではないでしょうか。

山本 亮:

そうですね。たしかに海がきれいで、食べ物がおいしくて、人が優しい地域は日本中にあります。でも僕が能登を選んだのは、そこに人とのつながりがあったからです。

ある日、能登に暮らすおじいちゃんが僕にこう言いました。「都会ではお金がなければ暮らせないけれど、うちらには里山がある。自然があるから、少しの不自由があっても、人に優しくできるんだ」。この言葉が本当にかっこよくて。

そのおじいちゃんは朝5時から山に入り、野菜やキノコを採って「お前ら食え」と分けてくれる。自分のためではなく、誰かにあげることを喜びとしている。“分かち合うこと”が当たり前にある文化なんです。僕はその豊かさに惹かれて、「いつか自分も“おかえり”と言えるおじいちゃんになりたい」と思いました。それが能登に生きる決心の原点です。

FUKKO DESIGN:

2024年の地震では、能登の暮らしが大きく揺らぎました。震災直後、どんなお気持ちで過ごされていたのでしょうか。

山本 亮:

正直、最初は離れようと思っていました。家は壊れ、余震も続き、子どもを連れて戻れるような環境ではありませんでした。観光やツーリズムの仕事も止まり、未来が見えなかったんです。

地震直後の1月10日に東日本大震災でのボランティア経験のあるふくい美山きときとき隊が来てくださり、これから多くの人が復旧や復興で訪れるという中で「ボランティアを迎え入れる拠点をつくろう」と声をかけてくれました。その言葉が、今のプロジェクトにつながっていきました。

倒壊してしまった醤油蔵からボランティアの方とボトリング済みの醤油をレスキュー

山本 亮:

拠点がまだ完璧には整っていない段階から、ボランティアの人たちが集まり始めました。囲炉裏を囲んで話す時間が希望をくれ、中には、東北での支援を経験した方々もいて、「またできることがあるよ」と背中を押してくれたんです。

そして春先、地域のおばあちゃんが「じゃがいも植えたくなってきたねえ」と笑って言ってくれたんです。その言葉を聞いたとき、ああ、この土地の暮らしはちゃんと息づいてるなと思いました。

人の営みがあるからこそ生まれる能登の風景

FUKKO DESIGN:

そこから始まったのが、今回助成の対象となった活動ですね。どのようにプロジェクトが形になっていったのでしょうか。

山本 亮:

拠点を整えて、ボランティアの受け入れと地域の人をつなぐ場所をつくりました。夜は囲炉裏を囲んでごはんを食べ、昼は現場で一緒に汗をかく。いろんな人が出入りしながら、自然にコミュニティができていきました。子どもたちの居場所づくりも始めました。東京のNPOや金沢美術工芸大学の卒業生が来て、絵を描いたり、バーベキューをしたり。

解体された家の古材を再利用する「古材レスキュープロジェクト」や、森の再生を目指す「森づくりプロジェクト」なども進めています。被災地支援にとどまらず、能登の自然や営みを次の世代につなぐための活動です。

地元の子どもたちと一緒に木を切ったり、森に触れてもらう子ども林業体験

山本 亮:

昨年、子どもたちは「今までのゴールデンウィークよりずっと楽しかった」と言ってくれました。現在では、ボランティアで来た大工さんが移住し、小学校低学年中心の子どもたちが電動ドライバーを使ってツリーハウスをつくっています。

こうした人の流れが生まれたのは、拠点があったからこそだと感じています。この一年半で延べ4,500人が訪れ、5人の移住者が誕生しました。今も通い続ける人や二拠点生活を始めた家族もいて、“また来たい”と思える場になっています。


FUKKO DESIGN:

一方で、発信の仕方に悩むことも多かったと伺いました。「困っている」と言わないと支援が集まらない現実もありますよね。

山本 亮:

本当に難しいところです。楽しい写真を載せると「もう大丈夫なんですね」と言われてしまう。でも、僕は“楽しい時間”をもっと大事にしたいんです。本当はここから。「助けて」だけではなく、「この笑顔を未来まで守っていきたい」と伝えたい。子どもたちの笑顔や、地域の人の「ありがとう」が続く限り、僕らは前に進めると思っています。

FUKKO DESIGN:

今回の助成は、人件費にも充てられる支援でした。実際に活用してみて感じたことを教えてください。

山本 亮:

とても助かりました。運営マネージャー1人分の人件費に使わせてもらいましたが、この“人”の部分を支援してもらえることが本当にありがたかったです。拠点を動かすにも、人を受け入れるにも、人手が必要ですから。

FUKKO DESIGN:

そう言っていただき、とてもよかったです。言いにくいとは思いますが、今回の助成において課題はありましたか。

山本 亮:

金額については正直に言うと、300万円は微妙なラインかもしれません。動かしている団体の多くが300万円単位の助成をつぎはぎで得ていますが、事務処理の負担も大きい。500万円あれば一つのプロジェクトとして自走でき、新しい活動を始めるには1,000万円が現実的です。

そして資金のタイミングも重要だと思います。発災直後の3か月は物資・道具の調達が中心。でもその後、寄付は急に減り、3か月目以降からが人件費を含む運営資金の勝負になります。多くの団体が2年目・3年目で資金ショートするのもこのフェーズです。なので、そうした時期を支援できるモデルを整えていくことも大切だと思います。


FUKKO DESIGN:

今後はどんな未来を描いていますか?

山本 亮:

拠点の隣にある茅葺きの古民家を再生して、泊まれる・学べる・交流できる場所をつくっています。いろんな人が行き来して、「おかえり」と言い合える関係を増やしたい。能登の暮らしを未来につなぐための仕組みを、小さく試しながら育てていくつもりです。

能登に来てくださる皆さんが「ここに来てよかった」と言ってくれることが励みです。寄付で支えてくださる方も、現地で汗をかいてくださる方も、どちらも僕らにとっての“仲間”です。本当にありがとうございます。


編集後記

山本さんの言葉には、能登という土地が持つ“分かち合いの文化”がそのまま息づいていました。困難を前にしても、「おかえり」と言い合える関係がある。その文化が未来へと続いていくよう、私たちはこれからもFUKKO GOALS基金を通じて、人の営みを支える活動を続けていきます。