「独りよがり」と「自己愛」の違い
「自己愛」という言葉も
随分と一般的になってきた
気がしますが、
実のところ「独りよがり」に
なっていることの方が
多いのかな?という感じがします。
というわけで
2つの違いを
今日は書いてみる。
独りよがりとは?
まずは毎度恒例の
言葉の意味から。
他人の意見を顧みず、自分一人だけで「良い」と思い込む、自己中心的で独善的な態度や考え方のこと。
だそうです。
「他人の意見を顧みない」
「自分一人だけ」
「思い込む」
「自己中心的」
このあたりからも
「独り」
という感じがしますね。
ちなみに類義語には
独善的、自分勝手、自己完結
などがあるそう。
では、独りよがりの
対義語はなんでしょうか?
協調的・客観的・柔軟
だそうです。
ちなみに「よがる」の意味は
主に自分一人だけで満足する、得意になる、あるいは性的な快感を表すことを意味します。
です。
「自己愛」という
テーマで独りよがりを
考えてみた時に、
「自分一人で
やってるつもりになり
満足している状態」
と言えるでしょうか。
敢えて「つもり」という
言葉を使ったのは、
「自己愛は一人で味わえるものではない」
からです。
自己愛とは?
こちらも意味を調べると
自分自身を愛し、大切にする心のこと。
とありましたが、
ちょっと曖昧ですね。
こんな説明もありました。
<自己愛の主な意味・側面>
心理的な意味: 自己受容、自尊心、ありのままの自分を愛する感覚(セルフラブ)。
病的な意味(ナルシシズム): 自分を過大評価し、他者からの賞賛を過剰に求める、自己陶酔。
自己愛性パーソナリティ障害: 誇大感、特権意識、共感の欠如が慢性化し、対人関係に支障をきたす状態。
残念ながら
ここに書かれている「自己愛」は
どれもが「独りよがり」です。
まだまだ、自己愛に対する
「正しい理解」は
世の中には浸透していない、
ということですね。
ここからは私の解釈に
なりますが、
まず大前提として
①「愛」とは行為であること
②「愛」には2者が必要である
この2つがあります。
「自己愛」の場合は
対象が「自分」に限定されて
いるというだけで、
①は他の愛と変わりません。
②が、ポイントになります。
・2者が必要である
・対象は「自分」である
さて、これは
矛盾でしょうか?
いいえ、違います。
その前になぜまず
2者が必要なのか?
それは
「愛する側」と「愛される側」
がいてこそ、
「愛する」行為と
「愛される」体験が
同時に生まれ、
二人の間に「愛」が
観測されるからです。
どちらか片方では
成り立たないですよね?
愛する対象がいなければ
愛するという行為は表現できず、
愛するという行為があるから
愛される存在もまた生まれます。
「愛」で考えると
わかりにくいので、
「憎む」に置き換えて
同じように考えてみましょう。
憎む対象がいなければ
憎むという行為は表現できず、
憎むという行為があるから
憎まれる存在もまた生まれます。
「憎む」と「憎まれる」が
どちらか片方だけって
ありえないですよね?
「愛する」と「愛される」も
これと同じ構造です。

独りよがりは、「1者」でやっている
「独りよがり」とは
「自分一人で
やってるつもりになり
満足している状態」
と書きました。
それは、そもそも「愛」が
「一人」の世界では
生まれないからです。
だから「つもり」。
「自分」という存在が一人いて
その一人が自分自身を愛する
これが「自己愛」だと
思われている気がします。
でも、違います。
・2者が必要である
・対象は「自分」である
これは矛盾ではない
と書きました。
でも、「自分」以外に
一体誰が?と
思うかもしれません。
答えは、「体」です。
「あなた」と「あなたの体」
これで2者になります。
「なんだ、そういうことね」
って、思いましたか?
ここで質問ですが
あなたはあなたの体を
「もう一人の自分」
として捉えたことはありますか?
それはつまり
体をあなたの所有物ではなく
「一人の存在」として
扱っているか、
ということです。
もしもあなたが
体を自分の所有物として
認識しているなら、
あなたは「一人」のはすです。
ここにはあなたと
あなたの所有物である「体」が
あるだけだから。
他には誰もいません。
ですがもしも
あなたが「体」を
「もう一人の存在」
として扱ったなら、
ここには2人がいる
ことになります。
「独りよがり」とは
「もう一人の存在」が
目と鼻の先にいるのに
そういう風に認識していない
そういう風に扱っていない
状態だと言えます。
「独りよがり」に
起こりがちなのは、
「一人」を「二人の人格」に
分けて、その間に「愛」を
置いている状態ですが、
これは単にイメージの中で
2者にしているだけ、
登場人物を増やしただけで
実はどちらも思考です。
「一人二役」をやっている感じ。
どうして「体」が「もう一人の存在」なの?
ここを疑問に思う人も
多いと思います。
「そんな、いきなり言われても」
って思うのも
無理はありません。
体と共にこれまで
ずっと生きて来て
「体は、あなたではありません」
って言われるような
ものですから。
ですが、逆に聞いてみたい。
「体は、あなたです」
とも、私たちは誰にも
言われていないはずです。
いつの間にか
自分の体を自分だと思い込み、
「別の存在」だと知る機会が
ずっとなかっただけでは?
このあたりは
ヒューマンデザインを知ると
簡単に説明できる部分ですが、
今日はあえて
別の説明をしてみます。
「体は、あなたではありません」
と書きましたが、
実は思考や感情も同じです。
あなたの所有物ではありません。
もしもあなたが
「自分のもの」
だと思っているのなら、
それは単に「同一化」という
現象が起こっているだけ。
その証拠に
あなたは思考を思い通りに
動かせませんし、
感情や体についても同様です。
もしもあなたに
属しているものであれば
あなたの思い通りに
できるはずでは?
思い通りにはできなくても
少なくともあなたの意図や意志が
反映されて動かせてこそ、
「所有している」
と言えると思うのです。
体について言うなら
全ての生命維持活動は
あなたの意志とは関係なく
日夜起こっていますよね。
呼吸を止めることも
心臓を止めることも
あなたにはできないはずです。
食べたものから
何を吸収して何を排泄するか
決めているのはあなたではない。
いつ生まれ、いつ死ぬか、
それすら手中にはありません。
まるで生命の中に
自分とは別の意志があって
それによって日々の生命活動が
起こっているとは思いませんか?
あなたが体の「所有者」で
あろうとするなんて、
おこがましいとは思いませんか?
むしろ体の活動によって
日々生かされているからこそ、
「自分」は存在できている。
普段「自分」だと
認識しているのは
「脳(大脳新皮質)による認識」
の集合体のようなもので、
認識はあくまでも「言葉」。
対してこの体は
まさに今ここに生きている
実存です。
生きているから感じられる
生きているから考えられる
生きているからイメージできる
「自分」という認識と
この体のどちらが
「先」にあったかは
落ち着いて考えればわかるはず。

ノットセルフの自分を愛する
個性は、体にあります。
あなたがなぜそう感じるのか?
なぜそうふるまってしまうのか?
そこに個性があります。
個性の表現はいつでも
体、心、頭を通して
表れており、
少しも隠されてはいませんが
「認識できる自分」
がいなければ、
気づくにくかったり
誤解されていたりします。
さらにはその体の上で
「独りよがり」な生き方を
乗せてしまっていたりすると、
さらに気づきにくくなる。
でもそれは本当の
「自己愛」でしょうか?
「体」が不在な世界の中で
「自分」という狭い認識の中で
「一人」になっていませんか?
個性を知っていくことも
自分との向き合いも
簡単ではありませんが
そのプロセスの全てが
「自己愛」と言えます。
「愛する」という言葉からは
ロマンチックなイメージが
広がるかもしれませんが、
個性を知っていくことは
おそらく少しもロマンチックでは
ないと思います。
むしろ、現実を突きつけられる。
でも、ありのままの
「今の自分」が
むき出しになるからこそ、
ようやくその自分を
愛することができるんです。
個性を知っていくほど
「ノットセルフの自分」
に出会います。
そしてその自分を
愛していくんです。
変えようとするのじゃなく
排除するのじゃなく
分離させるのではなく
統合していく。
まだまだ、自己愛に対する
「正しい理解」は
世の中には浸透していない
と上でも書きましたが、
それは単に「これから」人類が
やっていくことかもしれません。
そもそも「愛し方」から
体験を通じて練習していく。
あなたが愛すべき自分は
ノットセルフの自分です。
なぜならノットセルフとは
「体」と「認識(頭)」の
2者によって生まれたものであり、
あなたに愛されることで
ようやくその表現が終わり、
「本来の自分」
の姿を見せてくれるから。
それは「愛」によってしか
起こらないのです。
ふっこ☻
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