52-第1回『クリントンの言う通りにやっただけだ』エリツィン政権の悲劇と現代の日本が抱える“元凶”
こんにちは、
最近、ロシアの日本に対する強硬な発言が物議を醸しています。
すっかり敵国になってしまった日本。なぜ両国の関係はここまで冷え込み、ロシアはこれほどまでに攻撃的な姿勢を強めているのでしょうか。
その答えを探るには、今から約30年前まで、時計の針を戻す必要があります。
ソ連崩壊後、初代ロシア大統領となったボリス・エリツィン。彼はロシアに民主主義をもたらした英雄とされますが、その治世は「暗黒の90年代」と呼ばれる大混乱の時代でした。
のちにエリツィンは、国を破滅寸前まで追い込んだ自らの政治について、ある決定的な言葉を残しています。
「クリントン(米大統領)が言ったようにやっただけだ」
大国の都合や外圧によって一国の政治が歪められ、国民がそのツケを払わされるという、現代のあらゆる国が抱える「問題の元凶」、そして現在のロシアの対日・対西側への激しい憎悪の根源を物語っています。
今のプーチン体制がなぜ生まれたのか?その原因はすべてエリツィン時代にあります。今回は、ロシアを震撼させたエリツィン政治の裏側をわかりやすく解説します。
ボリス・エリツィン政権(1991年〜1999年)の政治は、一言で言えば「社会主義から資本主義への急進的な移行と、それに伴う大混乱の時代」でした。
ソ連崩壊後のロシアを民主化・市場経済化しようと試みましたが、性急な改革は国内を極度に疲弊させ、今日のプーチン政権の「安定」を重視する政治を生む直接の引き金となりました。
▶エリツィン政権下のロシアで起きたこと
エリツィン政権の約8年間で、ロシアの政治・経済・社会は以下のように激変しました。
1. 経済の崩壊:「ショック療法」と超ハイパーインフレ
エリツィンは、国家が管理する計画経済から市場経済へ一気に移行するため、価格の自由化や国営企業の民営化を一挙に進める「ショック療法」を強行しました。
物価の高騰: 1992年だけで物価が2600%(26倍)も上昇する壊滅的なインフレが発生し、国民の貯蓄は一瞬で紙クズになりました。
経済の縮小: GDP(国内総生産)はソ連崩壊前と比べて約半分にまで激減しました。
2. オリガルヒ(新興財閥)の台頭
国営企業の民営化の過程で、国の富(石油、天然ガス、メディアなど)が、政権と癒着したごく一部の抜け目のない人物たちに格安で払い下げられました。 『オリガルヒ』と呼ばれる特権階級が誕生。彼らは富を独占し、政治まで裏から支配しました。そしてオルガルヒとはユダヤ人です。
① ボリス・ベレゾフスキー(ユダヤ系ロシア人)
「政界の黒幕」と呼ばれたメディア王
② ミハイル・ホドルコフスキー(ユダヤ系ロシア人)
「ロシア一の大富豪」だった石油王
3. 政治の混乱と強権化(1993年モスクワ騒乱)
急速な資本主義化に反対する議会(最高会議)と、エリツィン大統領の対立が極限に達しました。
エリツィンは自ら法律を破って議会を強制解散し、立てこもった議会派を軍の戦車で砲撃して武力鎮圧しました(モスクワ騒乱事件)。
その後、大統領に絶対的な権限を集中させる新憲法を採択し、名目上は民主主義でありながら、実質的には大統領が独裁的な権力を行使できる仕組み(超大統領制)を作ってしまいました。
4. 地方の反乱(チェチェン紛争)
ソ連崩壊による中央政府の弱体化に乗じ、ロシア連邦内のチェチェン共和国が独立を宣言しました。エリツィンは軍を派遣して武力弾圧を試みましたが(第一次チェチェン紛争、1994〜1996年)、泥沼化して多くの犠牲者を出し、ロシア軍の弱体化を露呈しました。
5. 社会の荒廃と財政破綻(1998年)
国民生活の困窮: 給与や年金の支払いが何ヶ月も遅れ、街には失業者やマフィアが溢れ、治安が最悪にまで悪化しました。医療崩壊やストレスからロシア人男性の平均寿命は50代半ばまで急落しました。
国家破綻: 1998年にはついに経済が完全にショートし、ロシア政府は事実上の財政破綻(デフォルト)を起こしました
6. 結果:ロシアはどうなった?
国民の「民主主義」への絶望
国民の生活を地獄に突き落としたエリツィン政権の失政により、多くのロシア人にとって「民主主義」や「資本主義(市場経済)」という言葉は、「混乱、貧困、犯罪、西側(欧米)による搾取」と同義語になってしまいました。
エリツィン本人は重度のアルコール依存症や心臓病を抱え、公の場でまともに執務ができない状態が続きました。支持率は1桁台にまで落ち込み、国民から完全に愛想を尽かされました。
身の危険(退任後の汚職追及など)を感じたエリツィンは、1999年の大晦日(12月31日)に突如として大統領を辞任しました。そして、後継者として実権を託したのが、当時首相だったウラジーミル・プーチンです。
【あとがき】
ソ連(ソビエト社会主義共和国連邦)は、共産主義と言う理想を掲げた社会主義国家だった。
そもそも、人間がやる以上、完璧な共産主義など実現しません。『すべてが平等』という世界は、裏を返せば『努力した人が報われない』という努力家への差別にほかならないからです。ソ連は全員を平等にしようとして、結果的に最悪の特権階級と格差を生み出しました。そして皮肉なことに、90年代に新生ロシアに乗り込んできたアメリカもまた、市場原理という『別の完璧な理想』を現実に押し付け、ロシア国民を地獄に突き落としました。
アメリカが90年代のロシアに強行した市場経済(ショック療法)も、「市場原理という完璧なルールに人間を当てはめる」という、人間の現実を無視した傲慢な社会実験でした。
米国の資本主義の押し付けもまた、別の形の「差別」でした。その理想を押し付けたのがクリントン政権です。
アメリカはロシアを『共産主義の脅威』から救い、資本主義化させたと主張しました。しかしその実態は、現地の暮らしを無視して上から過激な制度を強制する、かつての共産主義者と全く同じ『独裁的な実験』だったのです。自由を掲げる国が、最も不自由な方法で国を壊した。これこそが90年代の最大の皮肉であり、現代の混迷を生んだ元凶です。
ここまで読んで、ある既視感を覚えた方もいるのではないでしょうか。そうです。1990年代以降、自公政権下の日本で『改革』の名のもとに行われてきた政治は、かつてロシアを地獄に突き落とした手法そのものなのです。
「構造改革」や「規制緩和」という名目で、外圧(アメリカからの要求)に従って労働環境を流動化させ、一部の利権企業や外資が富を独占する仕組みを作る。その結果、中間層が崩壊し、国民が貧困化した。呼び名が「オリガルヒ」か「一部の利権企業」かという違いだけで、私たちが日本で目撃してきたものは、ロシアの悲劇の完全な追体験にほかなりません。
大国の都合による押し付けが、めぐりめぐって世界に深い分断を生んでいく。私たちが今目撃している国際社会の混迷、そして日本の危機の「元凶」は、あの90年代のモスクワですでに証明されていたのです。
そして1999年の大晦日。この地獄の淵に立たされたロシアで、エリツィンから全権を引き継いだ一人の男が動き出します。彼が最初に行ったのは、西側への「冷徹な逆襲」でした。
社会主義国家を「反共産主義」の名目を変え、米国はこれまで世界中の様々な国を破壊してきました。自由や民主主義という甘い言葉の裏で、一部の国際エリートの利益のために他国の形を無理やり変え、その土地に生きる人々の生活を犠牲にする。
実は日本と言う国は、資本主義を取り入れた社会主義国だと言う事に気付いていますか?
かつてアメリカや国際エリートから「お前たちの国(日本)は、資本主義のフリをした社会主義だ。もっと市場を自由化して外資に開放しろ」と迫られた自民党は、日本独自の「国民全員を守る世界最強のシステム」を、自らの手で解体(構造改革・民営化)してしまいました。
その結果が、現在の「格差社会」であり、実質賃金の低下であり、少子化という国力低下の事実へと繋がっています。
私たちが「ニュースの表面」だけを見ていては気付けない国際政治の残酷な本質が、ここにあります。
「資本主義(経済の仕組み)」を「民主主義(政治の仕組み)」と語るレトリックです。だから、日本政府は国民の声は聴きません。
……もしかすると数年後、あるいは数十年後の日本で、ボロボロになったこの国を見つめながら、自民党の歴代首相が「米国の言う通りにやっただけだ」と言い訳する日が来るかもしれませんね(苦笑)
次回:エリツィン政権から見る日本へ続く
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※ご注意:本ブログでは解説の便宜上、Wikipediaのリンクを貼っていますが、そこに書かれている内容が必ずしも正確(真実)というわけではありません。Wikipediaを盲信せず、情報操作の裏にある真実を見極める目を持って読み進めていただければ幸いです。あくまで、自ら探求する上での「入口」としてご活用ください。
