8月11日(月) 映画「それでも私は Though I’m His Daughter」
フォーラム。ドキュメンタリーだったので身近に誘う人が思い浮かばず1人で観に行った。
オウム真理教の麻原彰晃の三女の今を映した映画。
社会は自分たちを守ってくれるもの。逆に言えば「国家」と「世間」を敵に回すと恐ろしい。どこまで行っても徹底的に排除されるんだなって気づいてぞっとした。
大学受験に合格しても、入学を拒否される。
銀行口座を作ろうとしても「総合的に判断した結果」承認されない。
就職しても、殺人犯の娘だと知られた時点で解雇される
海外に行こうとしても入国拒否される。
自分を育ててくれた父親がもし事件を起こしたら、と考える。いや、考えられない。
父と殺人犯が線で繋がらない。
知りたい。何があって、なぜそうなったのか。
もし父親が地下鉄サリン事件の被害者だったらと思う。
何の関係もない、何の罪もない家族を失って、憎む相手ではないと頭ではわかっていても犯人の家族の顔は見たくないかもしれない。
先日観た「米寿の伝言」では家族の絆を観たけれど、この映画では家族の鎖を観た。
死刑制度についても考えるきっかけになった。
私は、死刑制度にはどちらかと言えば賛成だった。
被害者家族のことを思えば、賛成だった。
でもそれは、死刑なんて自分には関係のないことだと思っているからでもあった。
もし犯人が黙秘したままで、精神の病で意思疎通ができないままで、何も真実がわからないまま刑が執行されたらどうだろうか。その視点が自分にはなかった。
麗華さんがこの教団とは本当に無関係なのかどうか、私はこの映画しか観ていないので判断できないけれど、もしこの映画の内容が全て真実なのだとしたら、国家って寒気がするほど怖いなと思った。
