不登校は社会の歪み
このテーマについては1回では書き切れる問題ではないので、シリーズでお伝えしていきます。
今回は批判覚悟で結論から言います。社会は一部の人たちが、自分たちの生活のためだけに、大衆をコントロールするために作られた仕組みにすぎないということです。歪んだ社会で生きるとさまざまな問題が起きるのは自然なこと。
私も含め大人は、生まれてから社会に出てさらに常識という毒で苦しめられていることさえ気づいていません。気づかないように上手く作られているからです。
そのおかしさに気付いた人はどうなるか?答えは明白。
頭がおかしい、そんなの陰謀論でしょ?そんなことあるわけない。普通じゃないよ。と言われ、孤独になってしまう。そして、自分がやっぱりおかしいのかと心に蓋をしてまうのです。私もその一人でした。
そんな大人が周りにいると子どもも自然と自分の心を信じれなくなり、本当の自分で、自分らしさで生きれなくなります。
そんな苦しめられている大人に気付いて欲しい、自分を信じて生きて欲しいという心の声が、子どもたちの不登校や若者の自殺の増加という形で大人たちに伝えているように思えてなりません
自分の心の声を消した幼少期
私は子どもの頃から、当たり前ということに嫌悪感や、人と同じことをしないといけないということに違和感を持っていました。保育園生の時から行き渋りが始まり、毎日泣きながら母に説得されながら登園していたのを今でも鮮明に覚えています。集団生活になると個性が消され、無意味なルールにも従わなければならなくなります。他の子達もやっているから、子どもだからという理由だけで大人は子どもの行動を縛ってきます。
例えば、保育園のお昼寝の時間です。子どもにとって睡眠が大事なのは重々承知していますが、保育園のお昼寝の時間は当時から納得できませんでした。眠くないのにお昼寝させられる、眠くなくても布団に入りなさい。「なんで眠くないのに眠らないといけないの?」寝ないと先生からイライラをぶつけられたこともありました。先生も途中から観念したのか、みんながお昼寝をしている時に私だけ外で一人で遊ぶことも。ただ、当時からなんでみんなと同じことができないのだろう?自分は変なのかな?と孤独感を感じていたわけです。もちろん自分がおかしいと思っていましたから、このことを誰にも言うことはありませんでした。どうせ大人に言っても理解できないと思ったからです。
この経験が大人になるまで自分を苦しめることになります。それぐらい幼少期の経験は影響力が凄まじいのです。
小学校からの不登校経験
常識や当たり前の理由がなく、矛盾したりすることにとても敏感だった私ですが、そんなこともあり小学校に入学してからまもなくして学校に行けなくなります。集団で何かをやらないと行けない、プログラム化した授業、時間で縛られる行動、どれも自分にとっては窮屈でなりませんでした。そして同じ年齢と横並びで過ごさないといけない。どれもこれも私には学校というシステムが合いませんでした。
当時は、学校に行けない理由はわかりませんでしたし、今みたいに言語化することはできなく親から学校に行けない理由を聞かれても答えることができませんでした。とにかく、孤独で、ほとんどの同級生ができている当たり前のことをできない自分を責めていました。自己肯定感は底をついて自分が大っ嫌いだった子ども時代でした。
次回は高校までの不登校経験で気付いたことや、なぜ不登校の原因が社会の歪みなのか詳しく書いていきます!
ここまで記事を読んでいただきありがとうございます!
次回の記事もお楽しみに!
不登校先生 上田晋也
