わかっているのに、できない理由を研究中です。
前回、当たり前の嬉しさについて書きました。健康も、日々のちょっとしたことも、当たり前だと思っているうちは気づけないけれど、失って初めてそのありがたさに気づく。だから歯医者さんにしても、体調にしても、メンテナンスが大事なんだよねという話をしてきました。それがそのまま、夫婦関係にもメンテナンスを、という話につながっています。当たり前のことを維持し続けるためには、実は何らかの手入れが必要なのだと、改めて思います。
ただ、そう言っている僕自身が、実は片付けが苦手です。
これを書くこと自体、少し恥ずかしい気持ちもあります。夫婦関係のメンテナンスを勧めている人間が、自分の身の回りのメンテナンスすらできていないのですから。でも、だからこそ見えてくるものがあると思うので、正直に書いてみようと思います。人に何かを伝える立場だからこそ、自分の苦手な部分を隠さずに見つめることが、結局は一番の近道なんじゃないかと思っています。
正確に言うと、片付けそのものが苦手というわけではありません。自分だけのスペース、自分だけの持ち物であれば、それなりに片付けられます。苦手なのは、自分以外の人と共用する場所です。例えば、会社のファイルをしまうこと、みんなで一緒に掃除をすること。こういう「共用」が絡んだ途端に、途端に手が止まってしまうのです。誰かと一緒にやる、誰かのルールに合わせる、そういう場面になると、なぜか腰が重くなる。自分一人の空間なら、自分のペースで、自分の基準で片付けられるのですが、共用になった瞬間、正解がわからなくなるような感覚があります。
これは自分でも不思議で、なぜだろうと考えていました。一人でやることと、誰かと共有しながらやることの間には、僕の中で何か大きな壁があるようです。そして今、改めて、なぜ自分自身がメンテナンスできないのか、あるいは、自分自身にとってメンテナンスできることは何なのかを研究しています。
得意なメンテナンスと、苦手なメンテナンス。この二つを分けているものは何なのか。もしかしたら、「誰かと一緒に」という要素そのものが鍵になっているのかもしれませんし、あるいは「正解が決まっていない」という曖昧さが鍵になっているのかもしれません。今のところ、はっきりした答えは出ていませんが、この違いに向き合うこと自体が、大事な作業だと感じています。
もし、その理由やパターンが見つかれば、僕自身にとってのいろんなメンテナンス方法が見えてくるんじゃないかと思っています。
今回も、また風邪をひいて寝込みました。つまり、体のメンテナンスの問題です。
定期健康診断には行っています。年に一度、体の状態をチェックしてもらっています。でも、果たしてそれだけで良いのでしょうか。
年に一度のチェックは、いわば「大きなメンテナンス」です。でも体調というのは、その一日だけで決まるものではなく、日々の積み重ねの結果として表れるものです。健康診断で問題がなかったからといって、その後の生活が何をしても大丈夫というわけではありません。
もっと細かいことを言うと、うがいや手洗いといったことまで、体のメンテナンスに入るのではないでしょうか。健康診断という大きなメンテナンスと、うがい手洗いという日々の小さなメンテナンス。この両方があって初めて、体調は保たれるものなのかもしれません。僕は大きい方はやっていても、小さい方が抜けてしまっていた、ということなのかもしれないと思っています。振り返ってみれば、忙しい時ほど、うがいも手洗いも後回しにしていた気がします。分かっていたはずなのに、日々の忙しさの中で優先順位が下がっていたのだと思います。
そう思ったときに、夫婦関係においてのメンテナンスがなかなか進まないのも、これと同じ構造なんじゃないかと考えました。
つまり、「メンテナンスをした方がいい」という頭でのわかり方と、実際に「メンテナンスができる、続けられる」という行動との間には、大きな溝があるということです。片付けが苦手な理由を研究することで、この溝を埋めるヒントが見えてくるんじゃないかと思っています。共用の場所だと手が止まる僕自身の癖も、夫婦という「共用の関係」をメンテナンスすることの難しさと、どこかで繋がっている気がしています。
今はまだ研究の途中です。でも、僕は夫婦関係においても、メンテナンスをする方がいいと思っています。この考え自体は、揺らいでいません。揺らいでいるのは、それをどうやって日常の行動にまで落とし込むか、という部分です。
メンテナンスする方がいいとわかっているけれど、なぜ行動に移せないのか。ここをじっくり研究していきたいと思っています。片付けの研究が進んだ時、それがそのまま、夫婦関係のメンテナンスを続けるためのヒントになる。そんな予感を、今持っています。
#絆深 #夫婦関係 #メンテナンス
