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ロマンス:檸檬酎ハイ

時間は瞬間の集積による物だ。 
太陽が昇る瞬間。桜が咲く瞬間。
誰かを特別に想う瞬間。
寸断される事のない瞬間の集積。
その中で僕は自分の目に映る瞬間の静止画を
滑らかに綴じる針と糸だ。
静止画には僕と人々と世界が映っている。

そんな静止画の欠片を僕は集めている。
それは朝起きて
吸いつけた煙草の
最初の煙であったり
休日の雨であったり
Last Christmasのラであったりするが
まるで地雷だ。
触れてしまうと僕の思考ごと破裂し
静止画は束の間
いきいきとした生を取り戻す。


多くの煙草はまるで
盆の迎え火のように彼女を引き寄せる。
とくに起き抜け何時間かの禁煙で清浄な肺は
紫の香りを敏感に知る。
キャメルを吸うと「キャメルの彼女」を思い出すように。

自動販売機の前で彼女は聞いた。
「何にする?」
「何でもいいよ」
「駱駝がいいな。」
とボタンを押した。
僕が「キャメル」を一口吸って
彼女の口に舌を入れたら
「なんかラクダの味がする」
そう言った「キャメルの彼女」


もし彼女とどこかですれ違ったとしても
そこで会話を交わしたとしても
それで彼女にまた恋をしたとしても
それは「キャメルの彼女」とではなく
現実を生きている「No Brandの彼女」との関係だ。
過去を愛する人間に現実を愛する資格などはない。
「No Brand」の彼女は僕をもう覚えてなどいないだろう。
「キャメルの彼女」は僕を憎んでいた。
罪悪感を正当化したいわけではないが
彼女は僕の罪悪感によって存在する。


先程からじりじりと照る日差しに
体の一部が溶けている。
流れてうなじを滴る汗の軌跡に
また別の女性の舌先を思う。
口付けは僕と彼女を唇で隔たる。
もっと奥に。
彼女の中へと入りたいから舌を伸ばして
歯の裏側を舐めたりもする。
それでも足りない思いのために。
僕は彼女を抱きしめる。
唇から唇を離して顎で首筋を擦る。
顎鬚が恐らくくすぐったいに違いない。
くくくくく。
くすぐったいに違いない。
僕は鼻先に髪の香りと彼女の産毛がくすぐったい。
諸手を挙げてシャツを脱ぐ。
僕は背中に回りこんで抱擁よりも先にある
彼女の背中に頬を寄せる。
うっすらとまだらに毛が生えている。
ざらりと顎鬚と絡まりもする。

4月1日の夜に
「好きよ」と。
彼女は言った。
「愛しているわ」

とても楽しい夜だった。
とても幸せな夜だった。
真暗な個室の広いベッドで隣には
愛する人が眠っていた。
僕の肩辺りの丸い筋肉が
彼女の枕になっている。
まどろみから醒めた彼女は
僕の視線に気づいて歯を見せずに
頬肉だけで微笑んで言った。

「全部。嘘」

目が覚めて4月2日の明けもしない朝。

毛の生えた背中の入念な冗句。
ルームサービスに電話をかけて
僕は檸檬酎ハイを注文した。
数分後に扉を叩く音が聞こえて。
僕は炭酸で喉の渇きを。
アルコールで苛立った動悸を鎮めた。

「全部嘘なんだね」

微笑を作った頬肉が弛んで。彼女は視線を強くした。
「当たり前じゃない。全部。嘘。よ」

それから何度か彼女と会って。
それからも彼女は僕と重なり合ったが。
彼女が僕を好きだった時は一度もしらない。
もしかしたら。束の間くらいは。
そんな時もあったのかもしれない。
たとえそうであったとしても4月2日からは。
彼女の口から甘い囁きを聞けはしない。
そしてその頃には彼女は
アメリカに旅立ってしまっていた。


立ち上がって冷蔵庫から水を汲む。
ユニット形式の風呂場。
八畳の寝室に二畳の台所。
それが僕の住処。
東窓からの眩しい朝に眼を覚ます。
カーテンは無い。
ひやり飲み下す電気の冷たい落ち着きにより渇する。
缶入りの檸檬酎ハイのプルタブを引く。

「全部。嘘」

ふむ。頷いて脳味噌に泡立った気泡が。
弾けて消える爽やかな朝を迎える。
彼女はアメリカへ。僕はこの街に残った。
この街にこそ僕が愛する女性がいるからだ。


再生スウィッチを押すとB.B.Kingの
うがいを絞ったような声が
ステレオから聞こえる。
昨夜聞いていたブルース。
昨夜。
彼女を抱きながら。
壁の薄いアパートで誰に聞かせるのか。
大音量で流れていたブルースだ。

「Every day, every day I have the blues」

そうでなかった日々もあった。
そうでなかったから僕はこの街に止まった。
そして静止画は捲られなくなり。
愛する彼女を愛しながら
僕は憂鬱な日々を過ごしている。

「Every day, every day I have the blues」

大学のゼミの帰り。
暗くなり始めた七夕の夜六時。
浴衣に着替えて巨大なオムライスを食べに行く。
小さな軽自動車の中で流れていたブルース。
「No body loves me. No body seems to care」
彼女のせいではないのだから。
僕は彼女に憂鬱を告げない。
彼女は
「渡り蟹のあんかけオムライスよ」
と言った。
僕はたことカボチャのはんなりオムライスが
食べたい。
けれど巨大オムライスを二種類入れる胃袋は無い。
僕のお腹はドラえもんのポケットじゃない。
「生春巻きも頼んでいい?」
どうぞ。
そして彼女はチリソースだけを僕に差し出す。
「好きなのよね」
ああ。好きさ。
辛いものも君のことも。
好きだから
スプーン一杯のチリソースも
頬張れるのさ。
巨大なオムライスの大半も詰め込めるのさ。
そう。
僕は生春巻きが嫌いで
チリソースだけが好きなんだ。
渡り蟹も卵も嫌いで
中のケチャップライスだけが好きなんだ。
「そうなのよね」

ああ。憂鬱な日々よ。
僕は何故この街に止まったのか。
あの頃の君は美しかった。
今夜の君に憂鬱になる僕は。
あの頃の君の美しさを。
それはたった二ヶ月前の君だったのに。
ブルースに悪酔いする夜。
もうこの街にはいたくない。


時間は瞬間の集積によるものだ。
だからといって瞬間だけが
時間を作っているのではない。
僕がいなければ。
そして彼女たちがいなかったら。
どのような時間も作られなかった。
これからもまた。
いろいろな時間が紡がれる。
そして僕は次々と地雷を埋め続けて。
自ら爆発させるのだろう。

誰を憎むわけでもなく。
幾つもの檸檬が破裂するのだろう。




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