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#039 割合とバランスと~有言実行の尊さ~

 生徒には「やりたくないこと」が多い。それは勉強、運動、芸術、生活などジャンルを問わず多岐に渡る。思春期真っ盛りなこともあり、それらに前向きに取り組ませることはかなり困難で、あまり大きな声では言えないけど、そんな生徒の様子が我々教員の神経を逆撫でることも珍しくはない。
 中でも「ベスト・オブ・やりたくないこと」に長年君臨し続けるのが「掃除」である。自分から進んで取り組む子は少なく、「自分の教室」「自分の学校」という当事者意識にも欠けるため、やる意味を見出させるのにも一苦労。僕は学校の掃除がもはや好きなくらい素晴らしい教育を受けさせていただいたので、取り組めない子たちの気持ちがなかなか理解できない。
 そこで私は、「僕が誰よりも掃除をする」ということを意識している。ブーブー言っている子や、何とかしてサボろうとしている子には目もくれず、とにかく自分の役割をこなしていく。すると、初めはそれを傍観している子の方が多かったのが、次第に渋々取り組み始め、最後にはパパっとスッキリ終わらせられることに一抹の爽快感を覚えているように感じられるようにまでなってくる。
 おそらくもっと効果的なアプローチも存在するするのだろうが、とにかく「やることが当たり前の環境」を用意することが僕のやり方。「善いこと」に限って、やらない人がやる人より格好良いなんてことはないのだから。

 今日は「名言コーナー」。紹介するのは「聴くことを多くし、語ることを少なくし、行うところに力を注ぐべし。」という成瀬仁蔵さんの言葉だ。この方は宗教家・教育者・社会活動家であり、日本女子大学の創立者だ。
 この言葉を知った時に、普段の自分を顧みてみると、元来の性格と教員であるということが高じて、明らかに「語ること」が多いように感じた。正直、日常的に自分の思いや考えを言葉にして語るということを大切にしているため、成瀬さんの言葉に全身全霊で賛成することはできない。でも、言わんとすることは分かるし、取り入れなければならない考えだと思う。ということで、私なりに考えてみたい。
 まず、「聴く」というのはいわゆる「インプット」の象徴であると思う。つまり、「観る」でも「読む」でもインプットができればいいのだ。それを「多くし」ということなので、インプットが「語る」ことと「行う」ことの礎になるということだろう。自分で生きて自分で知り得ることには限界があり、せっかく何十億人もが存在するこの地球に生きているのだから、自分以外の方々の知見をいただかない手は無い。さらに、現代では多くのツールからインプットができるため、たとえ本を読むのが苦手でも、諦めなくて済む。本当に、恵まれていると思う。
 次に、「語る」。「少なく」ということは「不言実行」のようなニュアンスで、「つべこべ言わずにやる」ことを美徳としているのだと思う。とすると、前述の私の「語る」に対する認識は間違っていることになる。この場合の「語る」であれば、全身全霊で賛成したい。「やる」か「やらないか」の二択でしかないのに対し、結局やるのにやりたくない理由をあーだこーだ並べてみたり、結局やらないのにやった自分を思い描いて空想してみたり。そんな時間を過ごすよりも、どちらか決断をして次に進み、結果的にその選択が正しかったのかどうかを自分で判断することのほうが大切だ。
 最後に、「行う」。とにかくやってみなければ始まらないし、せっかく聴いたことも活かしきれない。また、「力を注ぐべし」とあるため、行うことが最も重視されているのだと思う。ただ行うだけではなく、自分らしく工夫を凝らし、最大限の効果を発揮できるよう行う必要があると理解することができる。つまり、「力を注ぐ」にはその為のインプットが求められるため、「聴く」ことを多くする必要があるのだという一貫性が感じられるのだ。
 このように考えてみると、それぞれのバランスは人それぞれの好みにもよる気がする。聴く前にまずはやってみたい人、できる限り聴いて考えられるだけの可能性を考慮したい人、有言実行派の人、不言実行派の人、やってすぐに見切りをつけて新しいことをやる人、とにかくやり続けてみる人。いずれにしろ、自分のバランスを確立することと、そのバランスを更新することを恐れないことが大切だと思う。一見矛盾の関係にも思えてしまうが、自分が定まらないのも不安だし、自分しか信じられないのも不安なのだ。自分なりのバランスを模索し続けよう。

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