「知ってほしい」と「知りたい」のマッチング、それが本なのだと思う
誰でもひとつやふたつはハマっていること、夢中になっているもの、つまり本気で面白いと思うものってありますよね。自分だったらこれかなと思い浮かべながら、読んでください。
さて、ハマっているものの面白さを他人に伝えるとなった時、案外苦戦するというか、「なんか、自分が思ってる面白さの半分も伝わってないな」とモヤモヤした経験がありませんか。
私が考えるに、うまく伝わらない最大の理由は、前提知識が共有できていないことにあります。
これは知識マウントとかそういう話ではなくて、趣味、学問、スポーツ、ゲームどんなものでも予備知識ゼロで面白さが一発で理解できることなんてほとんどないのです。
基礎知識や文脈の共有抜きにして、いきなり「ここが面白いんだよ!」と核心を伝えても、「ふーん」で終わってしまうことがほとんどです。単なる情報として上滑りしてしまうといいますか。
だからといって、「それって何が面白いの?」と聞かれた時に、くどくどと前提知識の説明から始めようなものなら、相手から「いや、そこまでして知りたくないよ。もっと端的に教えて」という顔をされるはずです。
「それって何が面白いの?」と聞いてくれたとしても、それは基本的に軽い気持ちでなんとなく聞いただけで、じっくり膝をつき合わせて掘り下げた話を聞きたい人なんて半分もいないのです。
もちろん中には本気で話を聞きたい人もいます。ただしその見分けはなかなかつかないので、結局処世術としては当たり障りのない、何となく理解してもらえそうなライトな説明にとどめるのが最適解となってしまうのです。
で、言いたいのは「やっぱ本だよな」ってこと。自分が面白いと思うものを人に伝える手段として本に勝るものはありません。
会話で語るには、現実的ではない長々とした説明も、本なら順序立てて文章にすることができます。そして「別にそこまでして知りたくないよ」という人はそもそもその本を読みません。じっくり長い長い文章を読んででもその面白さの本質を知りたい、と思う人だけが本を買ってくれるのです。
ここで不幸なミスマッチは起こりえず、こちらの「知ってほしい」とあちらの「知りたい」がマッチングする。それが本が果たす機能なのだと思います。
特に今回の新刊『元学芸員の美大教員が教える美術鑑賞の楽しみ方』(長い!)を書いていてつくづくそう感じました。
「美術鑑賞ってどうやったら楽しめるの?」「美術って何が面白いの?」と聞かれたとして、まぁちょっとしたハウツーというかティップスを伝えればそれで満足する人も多いでしょう。
でも本気でその質問に答えようと思ったら、この本の通り、1章、2章、3章、4章、5章とそれぐらいのボリュームをかけて、じっくりじっくり伝える必要があったのです。そしてそれを知りたい人だけが、今その本を読んでくれている。なんて幸せなことでしょう。
たとえばこのnoteでも有料記事にするとか、情報を手に入れるまでのハードルを何か一つ作ることで、似たような機能は果たせるでしょう。ただ全国津々浦々の書店に並ぶ本とはやはり違います。
じゃあ、noteでできることはなんだろうな、てなことも時々考えたり。
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そんなわけで『元学芸員の美大教員が教える美術鑑賞の楽しみ方』もよろしくお願いします。読んでもらうと「たしかにこれは本にしなきゃ伝わらないわ」ということがわかってもらえるはず。
