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名前を呼ぶ。壊れやすい世界で"間"を聴く。ジェノサイドが起きる時代で生きること。

20250918追記:ガザ地区がジェノサイドと認められる報告書。

小学生の頃からずっとガザ地区は記事をスクラップしたりして観測してたけど、それなのに今何も出来ていない。遣る瀬無さと共に今やれることは全部やる。

自分が死ぬ覚悟は出来ても、相手を殺す覚悟は出来ないという兵士の言葉を反芻させる。反芻する。これはずっと。


MIYAVIさんの誕生日に寄せて。彼ほど最高のライブが出来る人間をそう知らず、彼ほど生き様が格好良い人間もそう知らない中でルワンダジェノサイドを思い出していた。

誰にも伝わらない、もしかしたら来年の自分にすら伝わらないかもしれない文章をつらつらと。最近大切な人に手紙を書くことが増えた。人は対話する時も常に別のことを考えている。唯、手紙を書く瞬間だけは無条件に相手のことだけを考えていることに気付き、その時間が尊いと感じてからは手紙という手段を大切にするようになった。ここ最近気づいたこと。

同時に、手紙は考えながらも推敲せずに一気に書く。デジタルタトゥーとも呼べるnoteもそんな一気に書く試みをしてみたく、ただ頭に浮かんだことをつらつらと。8月も終わり、あれから2年以上経ち、自分の現在地を確認しておきたい。


<初めてのデジタル文章一筆書きとしての試み>

 8月の正午、サイレンが街に水平線を引く。私はその細い音の上に立ち、息を置く場所を探す。黒い雨という言葉には、私の体温を一度下げる力がある。広島の記憶は、ニュースの棚にしまわれた過去ではない。溶けて歪んだ瓶の口、展示室の乾いた空気、白すぎる光、蝉の声の重なり方、折り鶴の端に残る指の湿り気。子どもの背丈で見上げたガラスの向こう側は、私にとって「考える」という行為の出発点になった。何かを語るまえに、まず立ち止まる。固有名をそのままの音で呼ぶ。数字より先に顔を見る。速さを少し遅らせ、沈黙の重みを確かめる。そういう姿勢が、私の文字を形づくってきた。

その文字で世界に触れ直すようになったころ、私はルワンダの本を図書館で手に取った。表紙の地図に走る細い線、聞き慣れない地名、頁をめくる指の先で増えていく人名。94年の「百日」という短さは、むしろ時間の厚みを無慈悲に可視化する。人はカテゴリーの言葉で互いを呼び合い、ラジオの声は顔を剝ぎ取る技術に変わり、名簿や検問や道具は隣人の手から血の温度を奪った。暴力は衝動ではなく、手続きなのだという冷たい驚き。私はそこでもう一度、言葉の選び方を学び直した。誰を、何と呼ぶのか。誰のために語るのか。どの距離で聴くのか。私の問いはいつも、呼吸の速さを計り直すところから始まる。

私が10歳にも満たないから尊敬してきたアーティストが、遠い場所でギターを抱えて立つ映像を初めて見たのは真夜中の小さな画面の中だった。MIYAVI。指と掌で弦を叩く音は、言葉になる前の拍動に近い。人を鼓舞するための号令ではなく、場をひらくための合図。彼が三味線を"間"と呼び、ギターだけが"旅できる楽器"と呼ぶ理由が今はよく分かる。演者だけが光るのではなく、その場にいる人の輪郭が順番に浮かび上がる。笑い声が起きてもいいし、沈黙が流れてもいい。音の余韻に合わせて、身体が「ここにいる」という事実を取り戻していく。私は、その姿勢に救われた。

慰問でも、代理でもない。音が通路のように敷かれ、そこを通って、一人ひとりの声が自分の重みで立ち上がる。画面越しでも、空気の温度は少し伝わる。私は背筋を伸ばし、構えを整える。広島で学んだ立ち止まり方が、別の大陸での動作に連結されていく瞬間だった。UNHCRで彼が活動し始めた時、なるほど10歳にも満たない自分が惚れ込んだ彼の音楽はここにも繋がるのかと感動したものだ。

仕事の仕方も無意識にその構えに引っ張られてきたのかもしれない。歌詞も音楽も人の言葉を借りることはないけれど、ふとした瞬間に突きつけられると自分の言葉はここで聞いていたのかと思うこともある。研究所とPixie Dust Technologiesでの時間は、世界の微細な揺れに耳を当てる練習の連続だ。材料が見せる癖、空間の角で生まれる渦、ユーザーが発するため息のようなサイン。理論と実装の往復は、数式の上を走るだけでは完結しない。実験台の前に立ち、論理と実践を往復し、失敗と成功の間を揺れている。測定値が安定したときは体に浸透している感覚がある。私は技術を、人の心を聴くための言語として扱いたいと思っている。音が場をひらくように、技術もまた、誰かの生活に安全な通路を引くことができるはずだ。

夜になると別の机で数字の海と向き合う。R&DだけでなくDirecotrやCFO代行として過ごす時間には、別種の集中が要る。資金は理念ではなく、秒針の速度で人の暮らしを支える。どこで攻め、どこで守り、どこで待つのか。資金繰り表の列はただの記号ではない。そこには通学の改札、病室の灯り、食卓の皿、誰かの睡眠時間が並んでいる。数字は冷たい、とよく言われる。けれど私は、冷たさというよりも透明さに近いものを感じている。嘘をつかないという意味での透明さ。だから、数字に対しては誠実でいたい。楽観も悲観も、計算の上に置く。それが人の余白を守ることにつながると信じている。

別の午後にはアトリエの匂いを胸いっぱいに吸い込む。HERALBONYと作家さんと共に、レッテルが先に来る世界でも作品という固有名が人へと戻っていく瞬間に立ち会うことがある。キャンバスに触れる手は、その人の時間の重さを持っている。線が増えるほどに、カテゴリーの言葉は後ろに退き、顔がゆっくりと前へ出てくる。作品の前で笑う人、言葉を失う人、立ち尽くす人。私は、どの反応も好きだ。反応の仕方が多様であることそれ自体が、世界に余白が戻ってきている証拠だからだ。そこでは「説明」よりも「滞在」が大切になる。長く同じ絵の前にいるだけで、見えるものが日向と日陰のように入れ替わる。その入れ替わり方の美しさを、私は何度も見た。

そして、yohakuという場所と概念で文字通り余白を事業にしようとし続けている。対話の時間、休息の設計、学びの場、習慣の組み替え。社会の中で最初に削られがちな部分を、もう一度中央に持ってくる試みだ。余白は空白ではない。誰かが安心して語りはじめられるための、目に見えない設計の束に近い。照明の明るさ、椅子の高さ、沈黙の長さ、話し手と聴き手の視線の高さ。物理的なそういったものを資本主義の中でどう据えていくのか。広島で覚えた「立ち止まる」という動作が、ここでも基礎体力になっている。それは難民という存在にも通じる。居場所が削られてしまった人が、もう一度「ここにいる」と言えるために必要なのは制度だけでは足りない。制度に先行して、気配を受け止める場がいる。私はその場を丁寧に敷き直したいと思っている。

祝祭と追悼は、私の身体の中で矛盾しない。ライブハウスで音の奔流に身を任せる夜がある。帰り道、耳鳴りの余韻に笑ってしまうほど、私は生きていると実感する。別の日には献花台の前に立ち、どうしても言葉が出てこなくて、喉の奥に小さな石を抱えたまま黙る。私はどちらの時間も好きだ。喜びだけでも、悲しみだけでも、世界は平坦になる。両方を往復することで、私はやっと現実の厚みに触れ直すことができる。

難民という言葉に、私は何度もつまずいてきた。条約や定義の正確さは、その人を守るための最低限の線引きだ。でも、その線をなぞるだけでは届かない層がある。顔の前に垂れた幕を、どうやってそっと上げるか。私がMIYAVIの活動に惹かれ続けるのは、その上げ方が暴力的でないからだ。彼はスポットライトを一点に絞らない。むしろ光の粒をその場全体に散らし、その散乱光の中で人が自分の輪郭を取り戻すのを待つ。彼が弾くのはギターだが、私には「間」を演奏しているように見える。間は、日本語の最も美しい単語の一つだと思う。言葉の前に立つ余地、笑いの後に残る呼吸の広がり、手渡しの瞬間に生まれる微かな揺れ。間があると、人は自分の声で話しはじめる。その声を遮らないこと。私はそれを自分の仕事の中心に据えたい。

夜更け、デスクライトの円の内側で、私はしばしばスクロールの親指を止める。速度は快楽であり、忘却でもある。情報の海で泳ぎながら、私は時々、水面に顔を出す。誰かの名前を一音ずつ発音する。地名のアクセントを調べ直す。数字の桁を指で数える。ひとつの写真の前で五分だけ止まる。これらはどれも、ささやかな儀式かもしれない。儀式は倫理を身体に戻す。考えることを頭の中の出来事にしておかないための、小さな習慣のようなものだ。

私は誰の救済者にもなれないし、その役割自体を望んでもいない。それは時に軽やかに歩くための足取りを奪ってしまう。けれど、何もしない者でいるくらいなら錆びて忘れ去られてしまえば良いとも思う。広島のガラスの向こう側で覚えたのは勇ましさではなく、丁寧さと誠実さだ。丁寧であることは、遅いことではない。正確であることと、やわらかいことを同時に守る手つき。研究でも、財務でも、福祉でも、対話でも、同じ手つきは通用する。私はそれを自分の生き方の中心に置く。誠実であることと狂愚を誠に愛すこと。スティグマを超えていくための手つきを探し続けている。救うのでもなく救われるのでもなく、共に生きていくために。

 ときどき私の根っこはどこにあるのか、と問われる。私は答えに迷わない。8月の正午だ。サイレンの線の上に立つと、遠く離れた大陸の乾いた風も、海を越える小さな船の揺れも、キャンプの笑い声も、研究所のファンの音も、同じ光の下に並ぶ。私の仕事は、ばらばらのものをつなげることではない。もともとつながっているものの連続性を、見える形で確かめることだ。音と沈黙、数字と生活、技術と感情、制度と気配。境界線はあるけれど、断絶はない。断絶を生まないように、言葉を選び、速度を調整し、余白を配る。その配り方がうまくいった日だけは帰り道の空気が少し軽い。

ここまで書いて、私はもう一度、ルワンダの頁を開く。そこに並ぶ名前のひとつひとつが、私の舌の上で重みを取り戻す。発音の曖昧さが、少しずつ晴れていく。顔が戻ってくる。顔が戻ると、数字は違う光を帯びる。八十万という推計の冷たさの中に、指先の体温がじわりと混ざる。その温度を忘れないでいたい。忘れないために、私は書き、働き、立ち止まり、また生きる。

8月の正午、サイレンが終わる直前の、あの一拍だけ長い静けさがずっと続いている。終わることと続くことの境目に、薄い膜のような時間が張られる。そこで私はいつも、誰かの顔を思い浮かべる。広島の廊下ですれ違った小さな背中。難民キャンプでカメラに向かってはにかむ横顔。ライブのアンコールで涙を笑いに変える瞬間の横顔。研究棟のガラスに映る自分の顔。いくつもの顔が同時に近づき、少し離れ、また近づく。その往復運動の中で、私は今日も生き方の角度を微調整する。音が導くほうへ、余白が広がるほうへ、断絶の溝に板を渡すほうへ。

世界は壊れやすい。だからこそ、私たちの手つきは丁寧でありたい。
私はその手つきで今日も明日も社会実装に命をかけたい。

孤独なまま走り続けるのがどこまでもつのか。そんなことを考えながらも、大切な人を大切にできる時に大切にすることは何よりも優先している。

私に、私たちに必要な経験は、一体あとどれくらい残っているのだろうか。

彼が雅さんからMIYAVIさんへと変化していきながらも芯をブラさずに生きてきたように、彼の跡を、全く違う道順で追いかけながら、ルワンダを想う。

当たり前の生を否定せず、肯定もせず、ただ受容し続けるために。孤独に砂の城を築く感覚の中で、いつか誰かとともに山をつくる日がくれば良いなと思う。

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