俳句会の間違い電話と母の思い出
私はまだ「宅電」を維持している。今時は携帯オンリーで十分なのだろうが、自宅には留守番電話機能付きの固定電話が今も動いている。昔だったら茶の間の一番良い場所に置いてあっただろうが、今やめったに使わないので、設置場所はゴミ箱ペールの並ぶスペースに壁掛けで設置されている。そんな、殆ど使われない固定電話なのだが、このところ、何度か同じ方からの留守電が入る。内容はいつも同じだ。
「○○○さん(聞き取れない)、お元気ですかぁー? ああのー、俳句の会ですがねー、まだやっとりますかぁ?気になってぇ電話してぇみましたぁ。お電話おまちしていますー」(訛りのある声で)
酷く嗄れた声で、おそらくかなり年配の方だろう。きっと折り返しの電話を待っている。が、しかし、何度聞き返しても○○○さんの部分は聞き取れない。ただ、明らかに私ではない。私は俳句はやらないし、俳句の会にはいったことも、作ったこともない。疑いようなく間違い電話だ。しかも、なぜか家族が誰もいない時間にしかかかってこない。なので、たぶん、きっと、今も返事を待ち続けている。ごめん。返事できないよ。番号もわからないし、といって削除する。
どうしようもないのよね。打つ手がない。家族がいる時にかかってくれば、なんとかなるかもだけど。今のところ、なぜか、いつもタイミング悪く、誰もいない時にかけてきて、留守電にメッセージが残る。
該当の他にも、固定電話には様々な電話がかかってきて留守電に残っている。機械音声だったり、留守電と分かると「ちっ」と言って切られたり。殆どが詐欺電話だろう。それらを消すとき、ちょっとだけ緊張する。なぜなら、その留守番電話には、生前の母の声が残っているからだ。
母もいつも同じメッセージだった。
「○○○、元気にしていますか?これを聞いたら電話下さいね。暑くなってきたから(もしくは寒くなってきたから、など)体を大事にね。お電話待っています」
という感じだった。ちょっとトーンが高くて、訛りを完全に消して、丁寧に、ゆっくりとまるでアナウンサーが喋るかのようにメッセージが残されている。前回の引っ越しの時、もう固定電話をなくそうかと妻と相談したのだが、母の声が残っていることに気づいて、ならば宅電も維持して、これが壊れるまで使おうよ、と妻からの進言があり、使い続けることになった。
母は携帯にはかけてこなかった。必ず、宅電だった。とはいえ、母が生きていた頃、まだ私の体力もあって実験をばりばりと深夜まで自らやっていたので、私が帰宅するのは大抵は夜中で(今もそうだけど実験じゃない)、次の日の朝に折り返し電話することが殆どだった。
時々、再生ボタンを間違えて押してしまい、全ての留守電が再生されてしまって、母の声が出てくる(おかげで母の声質だけははっきりと思い出すことが出来る)。慌てて削除のためのボタンから手を離す。母のメッセージも短い。消さないように気をつけている。
今の若い人はほとんど宅電をもっていない。学生に尋ねても宅電を持っている学生に出会うことは困難だ。今の時代、携帯があれば、そもそも不要だ。FAXも必要ないだろうし、煩わしい手続きも一つ減る。実際、調べてみたのだが、総務省の調査によると、20代の世帯では僅か4.1%しか宅電をもっていないようだ。
たぶん、自分の子供も「いらない」というだろう。だから私の声は子供の留守電には残らないだろう。そう思うと、このノスタルジーを味わうのも我々が最後の世代になるのだろう。
そういえば、先日、職場でレコードの話題になった。初めて購入したレコードの話題だ。私はレコードを買ったことはない。家にレコードプレーヤーはあったが、動いているのをみたことがない。確かクラシック音楽のレコードがあったように記憶しているが、それが使用されているのを見たことはなかった。TV番組で流れる流行の曲をカセットに録画できるようになった時が、自分の音楽との出会いのスタートだったと思う。
初めて買ったCDのことは良く覚えている。駅の建物の中、改札口を出たすぐの所にCDショップが入っていた。今なら、ドトールとかが入っているような場所に、CDショップがあったのだ。このCDショップの店員(おじさん)は、とにかくデカかった。横にも縦にもでかくて、プロレスラーなのかな、と思う程で、CDなんて軽く握りつぶせそうな雰囲気だった。でも私は、このおじさんが大好きで、通学では使わない路線の駅なのに、わざわざ自転車にのって、このCDショップまでいって、この店員さんと少し話して帰るのが好きだった。
この駅の目の前には、小さな焼き鳥屋があった。母がそこの焼き鳥が大好きで、私が今日は帰りに自転車でCDショップに寄ってくると伝えると、よくお使いを頼まれた。CDショップをみた後に、焼き鳥を買って帰った。懐かしい思い出だ。父が「お、焼き鳥か」と言いながら嬉しそうにビールを飲んでいたのを覚えている。今は、もう、その焼き鳥屋は建物すらもなくなっていて、跡地は葬儀場になっている。
母が亡くなった時、その葬儀場で全てを執り行った。
その時は、とても火葬場が混んでいて(コロナ禍だった)、姉弟から「来るのは葬儀の日取りが全て決まってからでいい」と言われ、講義の手続き(オンライン講義に振替えた)、会議の延期や欠席の連絡などを全て済ませて、〆切書類を徹夜で終わらせて、1週間ほどいなくなっても大丈夫なように準備を整えてから実家にむかった。母が葬儀場に運ばれたとき、私は「母さん、覚えてる?ここ(ご葬儀場)は、昔に良く焼き鳥を買った場所だよ」と伝えたのを覚えている。
母とは折り合いが悪く、特に高校を卒業する頃からは関係が良くなく、生前は結局のところ母を理解することは叶わなかった。でも、留守番電話に入っている、ちょっとトーンが上がった、丁寧なしゃべり方の母の声を聞くと、懐かしいと思うと共に、基本は優しい人だったよなと思うようになった。生前は衝突したことばかりが頭にこびりついていたが、母が亡くなり年月がたつにつれて、不思議なことに衝突した思い出よりも、優しく声をかけてくれたことを思い出すようになった。たまに再生される、留守番電話のメッセージのおかげかもしれない。
私も同じように息子に出来るだろうか。母の優しい声をきいて、同じように優しく声をかけているだろうか、と自問する。固定電話を残そうよ、と進言してくれた妻に感謝である。壊れるまで使おうと思う。
