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日本人夫vs中国人妻——息子の大学合格後に起きた、小さくて深い夫婦の亀裂

春。
桜はまだ満開ではないが、確実に季節が動き出している。そして我が家でも、ひとつの季節が終わろうとしていた。息子が、東京の大学に合格し、家を出る。
誇らしい別れのはずだった。
しかし現実は、カーテンと鍋をめぐる小さな戦争から始まった。

「なんでそんなものを買うの?」
ホームセンターから帰ってきた私に、夫はそう言った。
カーテン、スリッパ、鍋、包丁。どれも一人暮らしに必要なものばかりだ。しかも息子と一緒にリストを作って、息子が選んで、私はただそれを買いに行っただけだ。
それの何がいけないのか。

夫は言う。自分が大学に入った時、親は何も聞かずに家電を買ってきた。冷蔵庫も、扇風機も、自分の意見など関係なかった。それが嫌だった、と。
その気持ちはわかる。

でも、私は違う。
息子と一緒にリストを作った。電気屋に一緒に行って、彼が指差したものを私が買った。パソコンも、洗濯機も、冷蔵庫も、全部息子が選んだ。私は隣に立っていただけだ。何一つ、私が勝手に決めたものはない。
なのに夫は、自分が親にされて嫌だったことと、私がしていることを、同じだと思っている。
違う。全然違う。
彼は自分の過去のフィルターを通して、私を見ている。

もう少し、聞いてほしい。
受験の日、私は東京に付き添わなかった。多くの親が新幹線に乗って子どもと一緒に上京した。私は行かなかった。息子を信じていたから。新幹線のチケットは彼が自分で買った。試験会場への道も自分で調べた。私がしたのは、前日に泊まるホテルを一軒予約しただけだ。
東京の大学を目指すと決めたのも、息子自身だ。私は何も言っていない。
それが過干渉なのか。
どこに、口を出した場面があるのか。

これは時代の問題だと、私は思う。
夫が育った頃、親は子どもに手をかけなかった。子どもは放り出されて、自分でやるしかなかった。苦労することが美徳で、親が手を貸すことは甘やかしだとされた。

今は違う。
一緒に考える。一緒にリストを作る。でも最後は子どもが決める。それが今の「支え方」だ。干渉ではなく、伴走だ。
夫はまだ、古い目盛りの上に立っている。そしてその目盛りで、私を測ろうとしている。

それに——と私はどうしても思ってしまう。
夫の親だって、悪気はなかったはずだ。何も聞かずに家電を買ったのは、不器用な愛情だったかもしれない。完璧ではなかったかもしれないけれど、息子のことを思っていたはずだ。
その気持ちを、もう少し受け取ってあげてもよかったんじゃないか。
そして——何もしなかった夫に、私を責める資格があるのか、とも思う。腹立つなあ。

私は台所に鍋をしまった。
息子が東京で最初の夜を過ごす時、この鍋でお湯を沸かすかもしれない。カーテンを開けて、知らない街の空を見るかもしれない。
彼は自分の足で、そこへ行く。
私はただ、鍋を持たせたかっただけだ。

「母親が甘やかしすぎだ」と思いましたか。それとも「夫が理不尽だ」と感じましたか。
あるいは——どちらの気持ちも、少しわかる、と思いましたか。
子どもへの関わり方に、正解はありません。ただ、時代が変われば、愛情の形も変わる。「手を出さないこと」が美徳だった時代もあれば、「一緒に考えること」が尊重になる時代もある。
あなたの家庭では、どうですか。
子どもの自立と、親の関わり。その境界線を、あなたはどこに引きますか。

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