のせられるもの
それは、いつも、決まってすこし眠い時間帯。
朝、仕事に行くときか、はたまた疲れて帰路につくときか。
少なくとも、意気揚々と遊びに出かけるようなタイミングではない。
四角い窓の外側を流れる景色と、内側にうつる自分の姿とを、不規則に行ったりきたりする。
器はもうくったりと動けないのに、ふたつの目の玉だけが妙にいそがしい。
ただそこにある温もりで全身を包んでくれる毛布みたいに、そんな時間がいとおしく、手放したくないと思う。
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自動車
普段、わたしがよく運転する乗り物。
車の運転はきらいじゃない。むしろ好きな方だと思う。
MT免許を持っていて、これまでの人生で大小様々な車種を運転してきた。
ここ最近は、パートナーが自動車で職場まで送ってくれている。
二輪の調子がすこぶる悪いのと、ほかの交通手段ではとにかく寒いのとで、彼が今無職なのを良いことに、なんだかんだずっと甘えている。
終始無言、ということもよくある。
行きも、帰りも、いっそ
目的地(職場であり、家であり、スーパーなどである)につかないまま、ひたすら運ばれていたい気持ちになる。
人の運転する車の助手席は、なんだかとても安心できる。
そういえば、自動車を運転する夢はよく見るのだけれど
パーキングから発車するとき、いつもブレーキがうまく効かずにぶつけてしまう。
また、普通に走っているはずが
突然、制御不能になり、コースアウトして畑だかなんだかよくわからない道なき道を駆け抜けてしまうこともある。
何かの暗示だろうか。
閑話休題。
バス
自宅の最寄りの鉄道駅までは、歩けなくもないが、少し遠い。
幸い、市バスのバス停が徒歩3分ほどの場所にあるので、よく利用している。
行きの道は、必ず駅に着く。当たり前だが、駅で降りなければならない。
帰りの道は…
ちょうど日も暮れた頃に乗ることが多いが、いつものバス停を乗り過ごして、どこだかわからないバス停を降りて、ふらふらと彷徨い歩く
…なんてことは、したことがないのだけれど
微妙に足つきの悪いシートで、膝を鋭角に曲げて国道を走る箱に揺られていると、そのままいつまでも乗せられていたい気分になる。
駅から自宅最寄りのバス停までは、残念ながら10分もかからない。
降車ボタンを押さないのが、せめてもの抵抗だ。幸い、いつもひとがたくさん降りる停留所だから。
ぞろぞろと箱から吐き出される列の最後に倣い、しょうがなく降りて、帰路につく。
地下鉄
この文章を書き始めた時、ちょうど地下鉄に揺られていた。
ここのところ、週末は街へアルバイトに出かける。
最寄り駅は地上の路線だが、一部の列車は直接メトロに乗り入れている。
曜日や時間帯のせいか比較的空いていて、車内も静かだ。
高架の上の一本線を悠々と駆け抜けた列車は、やがて地下へと吸い込まれる。
水色から、漆黒へ。
漆黒から、赤橙色へ。
景色と自分の姿とが、見えたり見えなくなったりする。
まばたきの回数が減っている気がして、生理現象の涙も、いつのまにかその時間に溶けてゆく。
昨日や、日中の出来事なんてどこへやら。
この時間、わたしは、わたし自身を本来のありかへとリセットしているような気持ちになる。
運転するひとの顔が通常見えないからか、ほかの乗り物と比べると一層機械的だ。
そういえば地下鉄には環状線のようなものが無い気がするけれど、もしもこの世界のどこかに環状地下鉄があるのなら、いつかそれに乗ってループしてみたいなと思った。
もしも。どこかに。いつか。
そう、これくらいふわっとした考えごとをしていたいんだ。
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流れゆく空間に身を委ねるとき
自分という機械の電源を、そっとオフにする。
一度電源を落としたら、なかなか立ち上がらないこともあって、少しだけもどかしくもなるけれど
今日もわたしを安全に運んでくれるもの(ひと)に感謝しながら、いつまでも、どこまでも、こんなどうでもよい思索に耽っていたいと思う。
