その正論、相手を傷つけています ──五常でひも解く「正しさ」の裏側
正論に一家言あり!
その「正義」、誰のため?
「一億総批評家」 何処かの記事で読みました。
みんな誰かを叩きたがっていると、根底に自分が正しいという思い込みがあるとーーー
けっこう長い記事でしたが正鵠を得ていると思いました。
今回は、「五常」という心のあり方に絡めて話したいと思います。
🔶自己満足という「正論」
滅多にみないテレビをつければ、芸能人の不倫、言葉の揚げ足取り、誰かの転落劇――
悪口、陰口の押し売りばかりで、
お決まりの御用評論家が有り難くもない御高説を垂れる。もはや末期状態のマスコミに世論を騙せる力は残ってはいない。
今日もマスコミは正論という名の石を投げ、
今度はネットやSNSがそれを拾っては、面白がって投げ返す。
上から目線で叩いているその正論が、
いったい誰を救っているというのやら、
🔶正論は痛みを知らない
「正しさ」だけで、人を追い詰めることがあります。
「正しさ」とは何でしょう?
人を説教できる程、高尚な人がいるのでしょうか?
人生はいつだって予定通りにはいかないのです。
脱線し、迷い、選べなかった道の上で、
どうにか生き延びている人がいます。
後ろ指をさされても、見栄なんか捨てても、
それでも生きなきゃいけない人だっています。
悪人だと叩いていた人が実は正義の人であったなど歴史を振り返れば枚挙にいとまがありません。
誰かを叩く事で、鬱憤を晴らすなんて落ちぶれた品性です。
🔶強さも弱さも必要です、五常という愛
卍易の基本哲学に「五常(ごじょう)」という教えがあります。
仁(思いやり)・義(正しさ)・礼(たしなみ)・智(知恵)・信(誠実)。
• 仁(じん):思いやり、慈しみ
• 義(ぎ):正しさ、公正
• 礼(れい):礼節、秩序
• 智(ち):知恵、洞察
• 信(しん):誠実、約束を守る心
これらがすべて揃ってこそ、人は“徳”を持つとされます。
いまの社会は「義」ばかりを肥大化させ、他の四つを置き去りにしている状態です。
🔶「義」が肥大化するとどうなる?
義が過剰になると、以下のような状態になります。
✔️「正しさ」を振りかざし、他者を裁く
✔️筋が通っていれば何を言ってもいい
✔️共感や情がない「冷たい正論」に堕ちる
✔️自分の正義を疑わず、異なる価値観を排除する
つまり、「義」が独り歩きし、「仁」が抜け落ちると
“正義ズラした攻撃”や“マウント”が正当化される土壌が生まれるのです。
人を責めるための正しさ。
マウントを取るための知識。
共感なき誠実という偽りの「義」。
そして、見失われた「仁」。
「仁義」なき世界の誕生です。
SNS時代の蔓延もこの「仁義」なき世界に拍車をかけているのでしょう。
へりくつ捏ねて、「はい、論破」なんて言われて誰が納得するのでしょうか?
誰もが、自称「世直し人」になれる時代の宿痾のようです。
🔶我が身を振り返る
私自身、noteの投稿をはじめて2ヶ月ほどになります。
過去の記事を読み返していると、知らず知らずに他人を斬っているかもしれないと、
SNS時代の「正義ズラ」、その裏にある心の傲りがなかっただろうかーーーー
五常の教えを手がかりに、いま一度「義」と「仁」の関係を見つめ直したいと思ったのです。
自らの戒めの意味も込めて、この記事を書きました。
☘️サムネイルの写真は寅さんです。
私は“男はつらいよ”が大好きです。
劇中では落伍者呼ばわりの寅さんですが、
寅さんがもつ人間力。
今の時代に求められてるように思います。
「義理と人情」、決して死語にしたくない言葉です。
最後までお読みいただきありがとうございます😊
