シューマン「幻想曲Op.17:第1楽章」演奏を比較することで感情表現の違いを考えてみた:ポリーニ、アルゲリッチ
作曲者:シューマン
曲名 :幻想曲 ハ長調 Op.17 第1楽章
演奏者:マルタ・アルゲリッチ、マウリツィオ・ポリーニ
リズム:★★★★☆
旋律 :★★★★★
構造 :★★★★☆
満足感:★★★★★
シューマンの二面性のある感情を上手く使った曲だけども、
演奏の違いでどう感情が違ってくるのかを
中心に紹介してみようと思う。
ポリーニ: Fantasie in C, Op. 17: I
アルゲリッチ:Fantasia in Do Magg, Op. 17
演奏を2つ用意したのは、ポリーニとアルゲリッチの演奏を比較することで、どんな表現の違いがあって見えるものが違ってくるのかを知るために演奏比較を行っている。
この曲はシューマンがクララとの結婚を反対された初期に作られた曲ということになっている。この激しい感情はシューマンのクララへの熱い思いを込めているように思う。
ポリーニ : 安定した構造の上で爆発的な感情を表現する演奏。
アルゲリッチ : 優しさに包まれながら感情を爆発させる演奏。
シューマンは自分の中に2つの対立する人格が存在すると考えて表現として使っていたわけだけど、この曲でもその2つの人格が効果的に使われている。
フロレスタン:激しく、情熱的で、攻撃的・直感的な人格
エウゼビウス:思索的で、夢見がちで、静けさを愛する人格
この曲では特にこの2つの人格の使い分けが大事で、それが出来ていないとフロレスタンとエウゼビウスがどう対立しながら入れ替わるかの物語が生まれない。ポリーニもアルゲリッチもそこのところは両者ともに上手く表現できている。
ポリーニは旋律での感情の動きとは別に、伴奏による内声の細かい感情の動きのほうを制限することで、旋律による感情表現を強調している。
これは伴奏の細かい感情の揺れをなくしても、旋律に対してのエウゼビウスによる理性の影響を与えられると考えているからではないかと思う。
最初は、これではシューマンの持つ激しい感情を上手く表現できないのではないかと思ったけども、聴いてみると過剰な感情表現を使わないくてもシューマンの思いは伝わっている。つまり演奏として成立している。
特に常に対話しつつ入れ替わろうとするエウゼビウスとフロレスタンの緊張感のある表現がきちんとできており、前に出よう出よう出ようとするフロレスタンが上手く表現されているように思う。
だけど、これは旋律を前面に出すことで分かりやすくし、シューマンの持っていたベートーヴェン的な性格を強調した演奏ではないかと思う。
旋律が安定した構造の上で歌っているから聴きやすくなっているように感じる。それこそがポリーニの狙いではないかと思う。
旋律を強調するために伴奏や装飾を小さくシンプルな構造にして、内声のエウゼビウスによる理性が上手く伝わるような演奏にしているんだと思う。
だけどもポリーニの演奏だと暴走するフロレスタンの感情が強いから、
理性では止められないフロレスタンの激しい感情をポリーニは表現したのではないかと思う。
対してアルゲリッチの演奏は、旋律も伴奏も装飾も全てが感情とともに呼吸でもしているような一体感がある。
そして旋律を包み込むような優しさを常に感じる。
この優しさはエウゼビウスが曲全体を包み込むようにしているからだ。
アルゲリッチが特に上手いなと感じるのは、激しい感情であるフロレスタンが前面に出てきて暴れていても、その激しさすらもエウゼビウスが優しく包み込んでいる感じがすることで、エウゼビウスとフロレスタンとが常に対話しながら入れ替わろうとするのを、エウゼビウスがなんとか抑え込んでいる感じが良くわかる。
その包み込むようなエウゼビウスの優しさこそが、この曲に美しさを感じる部分じゃないかと思う。
そう考えるとこの曲はエウゼビウスの優しさをどう表現するかこそが重要で、そこの表現の仕方にこの曲の本質があるんじゃないかと思う。
良く考えてみると激しい感情のフロレスタンだけで曲を作ってしまうと曲そのものが破綻してしまう。この曲は構造そのものがエウゼビウスの優しさで出来ているんじゃないだろうか。
この演奏での聴きどころは、エウゼビウスとフロレスタンとの二つの感情が常にどう入れ替わるのかを演奏者がどう上手く表現しているかだと思う。
そしてエウゼビウスの優しさから生まれる曲の美しさも感じてみて欲しい。
この2つを感じるれるともっと良い曲に聴こえるんじゃないかと思う。
シューマンの曲は旋律はベートーヴェン的な激しさを持つけども、
曲の土台になっているのが何なのかが良く分からなかった。
だけども、バッハの平均律クラヴィーア曲集を聴くことで、
シューマンンに近いのはこれではないかと思うようになった。
つまりバッハの影響を受けながらもシューマンの独特な
フロレスタンとエウゼビウスとの対話という構造を持つのがシューマンの曲の特徴ではないかと思うのだ。
フロレスタンとエウゼビウスという設定も、シューマンの狂気というよりはバッハの対位法から派生した考え方ではないかと考えると良く出来ているなと思えてくる。
なぜなら旋律という表現方法において、これほど人の感情の二面性を表現するものも無いだろうと思うからだ。
フロレスタンとエウゼビウスは、シューマンの文学的な表現や病気のから生まれたものとして語られやすいけども、バッハの対位法を人間の内面の深くを表現するのに応用して改良したものだと考えると、シューマンが何をやりたかったのかが見えてくる。
そしてシューマンの曲には独特な揺れと言うか浮遊感があるけども、
これはシューマンの曲の持つ揺れが、旋律に対する内面の感情の揺れを装飾や伴奏で表すもので、感情に対応した変化を常に伴っている。
だから常に伴奏や装飾が感情に対応して予測できないような変化をしているように感じられるのではないだろうか。
今まではシューマンが好きでも、その曲の作りがどうかで聴いたりしてこなかった。どういう感情の動きがあるのか、それを中心に聴いて来たように思う。だけども構造を調べてみると、なかなか曲の作りが面白いことがわかる。バッハ的な声部の切り替えとしての対立する感情の二面性などは、特に素晴らしい発想だし作りではないかと思う。
