ラヴェル「亡き王女のためのパヴァーヌ」この曲が舞曲であるということをもう一度考えてみた:ジャン=フィリップ・コラール
作曲者:ラヴェル
曲名 :亡き王女のためのパヴァーヌ
演奏者:ジャン=フィリップ・コラール
リズム:★★★★★
旋律 :★★★★☆
構造 :★★★★☆
満足感:★★★★★
以前にも記事にしたことのある曲だけど、
もう一度考え直しながら、
何故そうなったのかを紹介してみようと思う。
Pavane pour une infante défunte, M. 19
亡き王女のためのパヴァーヌといえばラヴェルの初期の名作で
この曲をきっかけにしてラヴェルを知った人も多いのではないかと思う。
以前にもこの曲を取り上げたことがあったのだけども、
私のこの曲に対する理解度が足りないように感じたので、
もう一度調べたうえで考えてみようと思った。
まず問題点としてこの曲で思っていたのがパヴァーヌという歩行する舞曲に何度聴いても聴こえないことで、この問題をどうするかと言うのが課題になった。
よくよく演奏を聴きながら考えてみると、
普通に聴いていると歩行するための舞曲には聴こえないが、
曲に合わせて歩いている人を想像することはできることに気づいた。
つまり亡き王女がこの曲に合わせて歩いているというイメージだ。
これなら何とか理解できると思った。
そしてこの想像で歩くイメージにどの演奏が合っているかを聴いていけば良い演奏を選べるのではないかと考えた。
感傷的な演奏でテンポが遅くなったり、逆にせっかちになったりする演奏は王女の歩調が乱れることになるので、王女が歩調を乱さずに歩ける演奏はどれかというイメージで、このジャン=フィリップ・コラールの演奏を選んだ。危ないのはこの曲の演奏に感情を込め過ぎて王女の歩行の邪魔になる演奏じゃないかと思う。この曲をどう聴くかにも繋がるんだけども、今回は演奏での第1条件を歩行の邪魔にならないこととしてみた。
コラールの演奏で気に入ったのは歩行を乱さないのは勿論だけども、
その旋律の美しさと上品さだ。これは亡くなった王女の過去を上品で美しく表現するという役割を持っている。この歩行と美しさの両立が、この曲では何よりも大事な事なのではないかと思った。
亡き王女という存在は架空の設定であったとしても、それを品よく美しくする必要性があると感じている。なぜならそれがこの曲の美しさにも繋がっているからだ。
以前の私であればこの曲には感情的な美しさを一番に求めていたかもしれないが、王女が歩行しながら舞踏するという大前提になったことにより、
求めている演奏がコラールのものに変化した感じだ。
