ラヴェル「鏡:海原の小舟」海で物質を扱うことの難しさ:ベルトラン・シャマユ
作曲者:ラヴェル
曲名 :鏡 第3曲「海原の小舟」:Une barque sur l'océan
演奏者:ベルトラン・シャマユ
リズム:★★★★★
旋律 :★★★★☆
構造 :★★★★☆
満足感:★★★★★
ラヴェルの曲の中でもシンプルながらも表現が難しいこの曲を、
どこが難しいのかを中心に紹介してみようと思う。
Miroirs, M. 43: III. Une barque sur l'océan
この曲は中々にして聴くのが大変だ。
何故なら、どこが海でどこが小舟の音なのかを聴き分けないといけないからだ。タイトルから海だと分かるだけでもだいぶ助かる。
まずこの演奏がいいのは始まりで、
海面がキラメキながら揺れているのをとても良く表現できている。
特に波の表現に粘り気がないのがとてもいいと思う。
そして波が当たることで、何かあるぞ「小舟」だ。ということがわかる。
やがて天候が変わり、雨が降り風が吹いてきて船が大きく揺れる。
この演奏で難しいのは、途中からどこが波でどこが小舟かの境目が無くなるところだ。小舟にも向けられていた意識というか視点が、それよりもずっと規模の大きい天候という存在の変化へと切り替わっていく。
しばらくすると小舟に視点が戻るが激しく揺れる小舟が表現される。
やがて天候が戻り、穏やかな海のキラメキが戻ってくる。
描写はこんな感じじゃないかなと思う。
この演奏を聴いていて思ったのは、小舟に波が当たるときなどの小舟の質量に対するの水の変化の難しさだ。
ラヴェルは、その水や海水の小舟という質量から受ける運動の変化というものを、作曲した時にそんなにこの曲に入れていないのではないか。
これは思うに質量による水の変化の場面を、余り大量に出してしまうと、
水や海や風といった自然の持つ運動が常に影響を受けてしまって、正常な水や風の表現が上手く出来なくなるから、ラヴェルは大量には小舟の影響による水や風の運動の変化を入れることが難しかったのではないか。
小舟はあくまでも小舟であって大海に浮かぶ小さな存在として扱う必要があったのではないだろうか。
そう考えてみるとこれは第1曲の「蛾」の蛾が持つ質量が小さくて周りの運動に影響を余り与えないことと同じことが、この曲では起きていたあるいは想定されていたということではないだろうか。
私が当初考えていた「海原の小舟」は水や風が小舟という質量を受けた時の運動を表現する実験作ではなく。どこまで小舟と言う存在を海で表現して維持するのが可能なのかを実験する曲だったのではないだろうか。
小舟と言う存在の表現での限界を感じたのは、海が荒れている状態の小舟を表現するのにBGMのような、人で言えば心理描写のような音が付いていることだ。
この音があることで小舟は危ないながらも大丈夫だというのがわかるのだけども、逆に言えばこの心理描写のようなBGMが必要なほどに小舟の表現が難しい場面だったと言うことではないだろうか。そこが「海原の小舟」という表現の限界ポイントだったのではないかと思う。
ラヴェルという人は規則的な運動変化を得意としていた人のように思う。
たしかに登場人物や物質が現れると運動は変化する。だけどそれでもなんとか規則正しい運動を回復して維持させようと考えるのがラヴェルではなかったのかなと思う。
それがあるからこそリアルな大自然や物質を描くことが出来たんじゃないかと思うし、時計職人と呼ばれたラヴェルの本質があるんじゃないだろうか。
ラヴェルの良い演奏が規則正しく聴こえる理由も、これなのではないだろうかと思った。
そしてその規則正しさの違いこそが、ラヴェルとドビュッシーの本質的な最大の違いなのではないかと思う。
